odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」(岩波書店)-1

 1986年に出版されたとき、もちろん即座に購入して読んだ。そのときは、「同時代ゲーム」のわかりやすい再話か、大して重要ではないな、と思い込んで、さほど感心しなかった。そして四半世紀を経ての再読。自分の思い込みを恥じる。小説を読むことの快楽を存分に味あわせてくれる傑作。

 「同時代ゲーム」にあった、神話=歴史を時間順を無視して記述して読者に再構成させるところとか、「村=国家=小宇宙」の神話と作家の一族の物語と作家個人に起きていることがシャッフルされて読者が今何を読んでいるのかわからなくさせるところとか、翻訳文体をさらに晦渋にした錯綜する長文とか、その種のあえて読みにくくすることによって、小説を読むことに時間をかけるようにする仕掛けが一掃されている。まあ、「同時代ゲーム」のこのような手法は、同時代の中南米文学にもあって、「百年の孤独」とか「緑の家」だともっと錯綜していて、この国の読者だと土地勘と歴史理解がないぶん、かの国の作品のほうがもっと難読なのだよ、といっておく(「同時代ゲーム」程度の錯綜ぶりはたいしたことない、いやたいしたもののなのだけど、克服しがたいものではないよ、と見栄を切る)。
 まず村の神話=歴史は、ほぼ時間経過順に語られる。海浜の藩で、無法者の藩士25人が追放されることになり、そこに海賊の娘25人が加わって逃避行を開始する。それから起こる村の歴史や隠れ里の村と国家の関係は別エントリーで見ることにしよう。
 村の神話=歴史は教科書のように書かれているわけではない。祖母の語りが基本骨子であっても、さらに他の村の長老から聞いた話、母や父から聞いた話、地方史家の書いた歴史書、村にある遺跡(とはおおげさか、神話=歴史で語られる場所で現代に残る場所)の「僕」の記憶、さまざまな語り手から聞いた話を総合してまとめた「僕」の解釈、同じ話を聞いている他の人の解釈などが加わる。ある神話=歴史のできごとも、これらの複数の語り、声、文体によって繰り返し語られ、重層したイメージを読者にもたらす。こういう書き方が魅力。まあ、たいていの小説(純文学だろうと、私小説だろうと、エンターテイメントであろうと)は、出来事を語る声、文体、視点はひとつで、イメージは固定されるからね。同じ物語でも語り手によって、差異がうまれ、結末が変わってしまう伝承「文学」ではよくあったことで、この小説の書き方は上記のように新しいけど、古い「文学」にも通じるところがある。
 というわけで、この小説は時間をかけて読むことを推奨。できれば神話=歴史のメモを取りながら読むことを推奨。そして神話=歴史とこの国の歴史との照合関係もあわせて調べることも推奨。
 ここでは語り手「僕」の現在のできごとはほぼ無視されている。「同時代ゲーム」にあった妹への関心とか、執筆中に出会った前衛劇団とのやりとりとか、海外の大学での独り暮らしでめげているとか(30年以上前の読書の記憶で書いているので間違いがあるかも)、ということがおおむねオミット。あちらの小説では、書いていることが書き手自身に降りかかってきて、自分の書く行為の意図を考えるというモチーフもあった。それがないので、わかりやすい。
 たいていの小説の主人公はなにか特権的な役割をもっていて、小説内の特別な事件の重要な関係者になって自己変容を遂げていくものだ。ところが、ここではそのような事件の当事者に「僕」はなっていない。神話=歴史を書くこと以外に、「僕」に起きていることはなにもない。では、「僕」は特権的な役割から排除されているのかというとそうではなく、まだ子供であったときに、祖母に選ばれて神話=歴史を細部まで知り、それを書く=後世に伝えることを期待されていた。そういう点では、主人公「僕」の自己変容は小説の冒頭ですでに完了している(思春期ごろに祖母に反発したけど、青年になってからは積極的に長老の話を聞くようにしている)。だから、もしかしたら「本当」の小説は、村の神話=歴史を書く事を決意するまでの、まるでサルトル「嘔吐」かプルースト失われた時を求めて」のようなものであったかもしれないね。そういう小説(群)の一挿話になるのが、この小説であるかも。だから「あえて未完にした巨大な小説の一部」とも思えてくる。
(この小説では甕村と呼ばれる「村=国家=小宇宙」の神話=歴史に収まる小説に「芽むしり仔撃ち」「万延元年のフットボール」があり、神話=歴史を書くことを決意するまでの小説に収まる小説に「われらの時代」「遅れてきた青年」「個人的な体験」があり、「村=国家=小宇宙」の未来を幻視するのが「懐かしい年への手紙」「燃え上がる緑の木」「宙返り」であるとかと妄想する。)
 この小説から始まる妄想はとどめないものになる。

    


2016/01/15 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1
2016/01/14 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-2
2016/01/13 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-3
2016/01/12 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-4
2016/01/11 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-5