odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎「いかに木を殺すか」(文芸春秋社)

 1984年に発表された短編集。のちの長編を書くときの素材集か、すでに書かれた長編からはみ出たスピンオフ作品みたいなものか。

揚げソーセージの食べ方 ・・・ 村=国家=小宇宙のトリックスターの一人を紹介する。早稲田大学理工学部を戦前に卒業した兵衛伯父さんの狂状。物理学を学び、仏典を独学した兵衛伯父さんが1960年代後半に、ヤギの引くリヤカーに乗って、東京を目指し、新宿地下道で浮浪者になる。「シリメ」「木から降りん人」の再来。

グルート島のレントゲン画法 ・・・ ずっと昔に(1960年代半ばか)に、オーストラリア・グレート島にいったとき、changeling(本来の子供と取り替えられた子供)と呼ばれる女性23-4歳の女性と会って翻弄されたよ。まあ、全編、書き手を除いて日本人の出てこない日本語の小説。この書き手はどこにいっても面倒に巻き込まれるのだなあ。本人が喋らなくても。

見せるだけの拷問 ・・・ バークレー校で臨時講師で単身赴任しているとき、才能のない、しかしプライドだけはある日本人学者(なにしろ1984年でマルクス主義再生のアイデアがあると大言壮語)が作家につきまとう。挙げ句の果てに、あんたは俺のために小説を書く義務があるぜ、といいだす。というわけで、およそ20年前の大学卒業直前の共同生活を思い出す。マーさんという年上の女性との関わりとバークレーでの再会。できあがった思い出を小説にして、それをこの学者に英語化版権をゆずると書いているのだが、さて彼は自分の恥も記載されたこの小説を英訳出版できるか。めずらしくブラックなユーモアのある一編。こういう学者ゴロはたいそういたのだろうなあ。

メヒコの大抜け穴 ・・・ 同じくバークレー校で講演があったときに、メキシコで講師をしていたころ(1970年代)に知合ったメキシコ人の日本文学研究者の消息を聞き、彼に預けた「同時代ゲーム」の廃棄した手稿を買い戻す。それを読み直し、亡くなったメキシコ人学者を追悼する。こうやって廃棄した原稿を出版するのは、「洪水はわが魂に及び」の草稿を収録した「文学ノート」以来。なるほど、たしかに破棄するのがよかったという内容。おそらく決定稿と同じくらいの破棄原稿があるのだろうな、そこまで取捨選択と推敲をしてあれだけの分量の小説をかくというのはなんという勤勉さ。メキシコ人学者をつなぐ日本人留学生だか学者ゴロの話はそれほどおもしろくない。

もうひとり和泉式部が生まれた日 ・・・ 「大いなる女」の物語の構想があっていまだに手付かず。そこで、端緒となるような話を書こうというわけで、敗戦後の女教師のいざこざを詳述。女教師は村の部外者であったが、村に来ることで神話=歴史の一部になっかたのよう。ここでも「僕」の母の存在感が強い。ちなみに、村=国家=小宇宙の神話=歴史は1945年からしばらくのあいだは欠落しているみたいで(「僕」の個人的な記憶だけ)、母たち村の女のできごとはこの短編集くらいにしかなかったな。

その山羊を野に ・・・ 起承転結のはっきりした佳品。戦争中に疎開してきた蜜枝アネサマは村の仮小屋に勝手に住み着いた。若い男を拒まなかったので、人気者になる。しかし、ある日、森で若い衆と行った「野点」でぼやを起こし、村を追放されることになる。そのとき、村の女たちは穢れた小物を彼女に託した。まあ、性において過剰なものが村の秩序を揺るがしたので、その他いっさいがっさいの村の穢が彼女に託され、彼女が引き受けることになった(しかし、村や川下の若い男集は彼女を必要とするのである)。それが文化人類学の知見といっしょに記述される。

「罪のゆるし」のあお草 ・・・ 「M/Tと森のフシギの物語」の最終章や「懐かしい年への手紙」第1章のもとになるような文章。1983年にヒカリさんが20歳になったときに、森と村を訪ねた時の記録。それにあわせて、「僕」の父の死や「神隠し」についての思い出など。このあたりは先に合わせて「同時代ゲーム」でも語られたことではあるのだが、細部どころか大枠でも違う話が語られる。すなわち「神隠し」は明け方ではなく昼間におき、その間に「在」の人とあい、「千里眼」を頼まれたのは「ギー兄さん」ではなく「僕」であり、森林組合の書記の仕事を斡旋したのは義兄であるとか。まあ、そのようなバリエーションのあるのも神話の常として。あとは、「母」のことを詳しく書くようになり、女性の人格をしっかりと書くようになったのはこのときからではないかな。あわせて、過去の小説の引用と批判が同時に行われているのも、このあとの仕事を予感させるもの。短編集の白眉(でも上記の作を読むと、粗いというか、書き込みすぎて焦点がぼけているな。それを救っているのが母の存在)。

いかに木を殺すか ・・・ 敗戦直前野村の森に、予科練の脱走兵三人が逃げてきた。憲兵に警官がきて山狩りをするが、脱走兵の一人は村の出身であって、はかがいかない。憲兵は森を焼くという強硬手段にでたので、女たちは「世界舞台」で村の伝承に則る「木が人を殺す」劇を上演する。これは、明治直前の一揆のころとも、15年戦争の始まる前の出来事とも、もっと古い時代のことともよく知りえないしかし村の人には重要でアイデンティティに決定的なできごとなのだった。まあ、「M/Tと村のフシギの物語」よりも詳しい、珍しい「母」の活躍する話。そこの主要な決断と実行が女たちであり、芝居のあと、だんまりを決め込み、男たちも糺しえないというできごと。これもまた神話=歴史の一ページに組み込まれる。しかしやられたと思ったのは、「50日戦争」ももしかしたら明治の一揆でさえ、実はなかったことなのではないか、祖母の問わず語りの神話=歴史から作家が紡ぎ出した架空の歴史なのではないか。とすると、国家に抗する社会としての村=国家=小宇宙は実在しない? まあそういうものでいいか。この小説の面白いのは、カナダの日本史研究者夫妻に話したことという枠物語になっていて、彼らの批判によって歴史の細部を思い出すことになり、解釈の多様性が引き出されること。これはたぶんのちの「ギー兄さん」のような批評的人格を創始し、手紙という形式で同じことを繰り返し語れるという次の方法を発見するきっかけだったのではないか。最後に兵衛伯父さん(「揚げソーセージの食べ方」の主人公)の言葉が引用されて、短編集の環が閉じる。


 解説の川西政明によると、傑作は「もうひとり和泉式部が生まれた日」とのことで、なるほど、この短編だけが自立しているからだろうな。ほかのは短編になりそこねたスケッチか、長編に組み込まれるべき習作であるかだし。ほぼ同意だけど、自分は表題作と「その山羊を野に」に魅かれる。
 「雨の木を聴く女たち」や「現代伝奇集」あたりでは、作家に批判的なあるいは批評的な人格を務めていたのは、外国人、それもインテリか自国からはみ出ている祖国喪失者だったなあ。そのやり方は、どうも自分から見ると成功しなかったよう。ここでも「グルート島のレントゲン画法」の若い女性とか「メヒコの大抜け穴」のメキシコ人などがそういう役割を担うのだが、作品や作家に深く切り込むまでにはいかなかった。作家の外国暮らしの多いことの反映だから以上の積極的な意味がなかったように思う。その種の人格が主人公格になる長編はなかったのだし。
 そのかわり、ここで発見したのが「大いなる女たち」。後半の小説でそのタイトルの長編を書く構想が述べられ、そのままでは実現しなかったにしろ、多くの長編で女の存在が重要になり、彼女らに「死と再生」の契機を求めていくようになって行ったのを見ると、この着想は生きていたのだろう。そのきっかけはなにか、まあ憶測だけになるけど、もちろん1983年と思しきときに母とイーヨー=ヒカリが初めて会うことが重要だろうけど、もうひとつは「罪のゆるしのあお草」で父の死に関する疑惑に作家が答えを出したことかな、と。幼少から母子家庭であって、不在の父に対するなにかの希望とか憧憬みたいなのがあったような(初期小説にはパトロンになったり権威を振りかざしたりする父権的な人物がよくいたなあ)。その不在に対する疑惑や反発みたいなのから解放されて、母とか母性に気づいたとも。神隠しのあと発熱してうわごとを言う「僕」に母は「そんなに怖がるな、自分がいつでもお前を生むから(超訳)」という具合に、母の循環する時間と豊穣な再生能力は、なるほど男の不安をどうにかしてくれる希望だよなあ。小説がこのような希望で終わるというのは、読者はほっと安心できる。といって、マザコンになれとかシスコンになれという勧めではない、もちろん。