岩波書店の主催している市民セミナーの講義録。1980年代に同趣旨のセミナー講義録がいくつか出ていた。「〇〇を読む」というタイトルで統一されていた。自分の読んだのは「三文オペラ」と「ソシュール」くらいだけど、「丸山真男」「パンセ」「ガリヴァー旅行記」などいろいろあった。そのうち作家が選んだのは、ドスト氏やディケンズではなく、東大仏文科時代にゼミの指導教官だった渡辺一夫。なので、ときに個人的な付き合いも紹介される。1984年。
第一回 戦前エッセイと「敗戦日記」について ・・・ 渡辺は二度敗戦を体験したのではないか。最初はフランスがナチドイツに降伏したときで、二回目はこの国が敗戦したとき。野蛮が世界と社会を覆うとき、自由はいかにして可能かということを古い文献などを紹介する形で発表した。この種の韜晦は、武田泰淳も林達夫もやったことだった。
第二回 寛容論をはじめとするエッセイについて ・・・ 占領時代の文章について。敗戦後、半年もたたないうちに、渡辺はこの国の行く末に暗澹たる思いをもっていたようだ。それは、1949年ころからの警察予備隊など再軍備や戦犯指定解除などで強まったようである。にもかかわらず、ぺシミストは断固として進まねばならぬ(@中野重治)と決意しなければならない。
第三回 「フランス・ルネサンスの人々」の書き方について ・・・ 主著について。岩波文庫で読める。とても面白いので、一読を。あわせて同時代(16世紀のフランス)を書いた浩瀚な堀田義衛「ミシェル 城館の人」も読まれんことを。16世紀にはユマニストという言葉があったが、ユマニスムは19世紀にならないと登場しない。そこで、「人間らしく」を考えるときには、個々の人間をみることが重要というのが面白い指摘。
第四回 「乱世の日記」「泰平の日記」の訳と註による文章 ・・・ 15世紀と16世紀のフランスの市民が書いた日記をもとに当時の社会や世相を描写した本を読む。このときに、作家が「小説の方法」で見出したグロテスク・リアリズム、カーニバル、宇宙樹などの方法を学者がすでに見出しいてる、ないしそのようなところにフォーカスした読み方をしていることに注意。同じような読み方の例として堀田義衛「方丈記私記」を参考に挙げる。
第五回 「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の翻訳と研究の文体について ・・・ 渡辺一夫はラブレーの本を歴史主義的に読み(そこに書かれていることがなんらかの作者の現実の出来事と照応している)、バフチンは神話的に読み(書かれていることに象徴を見出そうとする)という違いがある(自分のような素人だと、どちらも採用して多義的に読むほうがおもしろいな)。あと渡辺はラブレーを翻訳するに当たり、複数の文体を用意し、それを使い分けていた。これはなかなかできることではない。
第六回 ガブリエル・デストレ他、史伝の文体について ・・・ 晩年の一連の史伝について。16世紀の、とくにアンリ四世の周辺にいた女性の史伝。
ゼミに参加していたということもあって、作家は23-4歳の若いころから渡辺一夫や彼の翻訳による「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語」について語ってきた。もっとも古いものは最初のエッセイ集「厳粛な綱渡り」に収められている。それをやはり若い時に読んだせいか、自分も「ガルガンチュワとパンタグリュエル物語」をひととおり読んだ。あいにく、多義的な読み方もできず、細部を面白がることもできず、たんに文字をスキャンしただけにすぎない。というのも、渡辺のような歴史主義的に読むための歴史知識もなかったし、バフチンのように神話的に読むための知識もなかったし。もう一回トライしてみようかという気分と、あの分厚く長い物語をよむだけの根気はないよなあ、とのせめぎあい。
さて、このセミナーの前に「小説の方法」を書き、「文学再入門」の講義も予定していたとあって、これらで開陳された小説の読み方の方法がここでも説明されている。そのあたりが注目点。
渡辺一夫「僕の手帖」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/4dhs6Rg https://amzn.to/4dmi1SU https://amzn.to/4dfZyHN
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渡辺一夫のエッセイについては、「人間模索」「僕の手帖」「ヒューマニズム考」に書いたのでここでは繰り返さない。入手難になってしまったなあ。