odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎「青年へ」(岩波書店)-1

 1980年に大江健三郎同時代論集全10巻という企画があった。それまでのエッセイを発表順とテーマでまとめて10冊にしようというもの。1冊1300円(消費税のない時代)で、新書版というのは手に入れやすい設定だった。ただ自分がこの論集を買わなかったのは、収録されているエッセイのほとんどを別のオリジナル版でもっていたから。ただ、10巻の「青年へ」だけは1979-1980年に雑誌「世界」に連載されたばかりで、未単行本化だったので購入した。
 さて、「青年へ」は45歳になった小説家がアイデンティティ・クライシスにある20歳の「**君」にあてた手紙として書かれている。「**君」の具体的な描写がないので、まあほとんどが独白だ。その中で、作家は読書を通じて、青年のアイデンティティ・クライシスを乗り越える方法を提示する。後半はそのモデルに従って、当時の社会や政治の危機に注意することを喚起する。
 収録タイトルは、
「青年へ―中年ロビンソンの手紙」「青年と世界モデル」「子規はわれわの同時代人」「同時代論の試み」「反論理の水先案内人」「青年のドストエフスキー」「核シェルターの障害児」
 ほぼ同じ年に「核の大火と「人間」の声」(岩波書店)や「小説の方法」(岩波書店)がでていて、読書の仕方や最近の気づきなどは共通している。取り上げた本や作家には、ミッシェル・トゥールニエ「新・ロビンソン・クルーソー」、柳田國男正岡子規中野重治ドストエフスキーなどがある。
 後半の政治や社会の危機として、光州事件改憲論議(15-20年おきに繰り返されているのだ)、核戦争の恐怖(核シェルター販売)、原爆被爆者援護法、障害者支援などが取り上げられる。ここらについては、まっとうな議論なので省略。
 自分の興味はアイデンティティ・クライシスにある青年への危機の克服方法についてだ。作家が言うには、治療が必要なほどの「鬱」であるならさっさと専門医の治療を受けるべきで、自分は鬱だなどというポーズなんぞやめちまえ。でもって、勉強して読書して「宇宙論的なモデル」になるような世界認識の方法を獲得しろ。そのうえで、「共同体文化の中核に位置する」行動を起こし、それを「個人の中核に位置する」ようにしなさい。そうするとアイデンティティの獲得ができる。もしも共同体の進み行きに不安があるようであれば、「共同体の運命を正して」いきなさい。ポイントは反論理主義や反合理主義(対象になるのは小林秀雄横光利一江藤淳吉本隆明あたり)に巻き込まれないこと。乱暴な言葉使いにあえて変えてみた。カッコ内は作家の言葉の引用。
 アイデンティティ獲得のモデルとしてはとくに文句をつけるところはない。そういうものだ。気になるのは、「共同体文化」の意味することがあいまいなところ。彼の示すのは戦後民主主義日本国憲法が規範になるのだろうな。そこらへん明示的でないのは小説家という多義的・象徴的な言葉を使うからなのかしら。共同体文化といっても、地域の差は大きいし、所属する宗団によっていろいろ違いがあるからね。田舎の高校を卒業して都市の大学にいったときに、根扱ぎになった学生がカルト宗教や反社会集団に加入することをどう考えるのかしら。進学をあきらめて田舎に残った若者が暴走族(死語か、1980年当時は存続中)に入ることをどう考えるのかしら。それも「共同体文化」であるのだし。あるいは、「それぞれの地域に根差した共同体文化」を重視しようという提言もある。大筋では同意であるけど、地域に根差した文化の共同体がインサイダーにはやさしくて、異端者やアウトサイダーには厳しいこともある(2012年の震災瓦礫受け入れ反対運動を想起せよ)ので、一概にそれでOKとは思えない。難癖みたいになってしまった。その時作家は「共同体の運命を正していきなさい」と忠告するのだろう。その正しさに、自分はまいってしまいそう。
 作家の示す道筋は、勉強のできる頭のよい子には通じそうだが、そうでない人たちはどうするのかな。
 残りは追悼文、本の解説など。注目はマリア・カラスについて書いた「悲劇の表現者」。デビュー直後のジャズに関するエッセーと、1980年代の武満徹に関する文章を除くと数少ない音楽家の話。