odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

東野圭吾「プラチナデータ」(幻冬舎文庫) アイデアやテーマを持っていながら、どれも深めることなく放りっぱなし。ベストセラーはそうしたもの。

 何度も自分に「考えるな、感じろ」と言い聞かせながら読んだ。

 DNA解析技術が大進歩し、遺留品からDNAを採取すれば人の形質(外見、身体的特徴、遺伝的疾患など)がプロファイリングできる(すごく強い遺伝子決定論だな、おっと考えるな、感じろ)。そのうえ政府管理のデータと照合すると、登録データから該当者を割り出すことができる。おまけに監視カメラが交通網に公共施設に完備していて、これも外観をデータベースと照合してある程度被疑者を特定できる(ならばDNA捜査システムがなくてもいいんじゃね。おっと考えるな、感じろ)。おかげで足と聞き込みで被疑者を割り出す昔ながらの現場の警察は、肩身が狭くなっている(あれ、似たような設定の映画かドラマがどこかに、おっと考えるな、感じろ)。
 このDNA捜査システムを大々的につかうためにDNA法案を通したい政府と警察の上部(検挙率の向上と損壊した遺体の身元特定くらいしかプロフィットのないわりに、国民全員のデータを集めるのはコストがかかり過ぎじゃないか、おっと考えるな、感じろ)。その基幹システム(なにしろ遺伝子配列を照合するのだ、なまはんかな業務システムでは対応できない)を開発した兄妹が、通常出入りのできない施設(照合とプロファイリングのシステムはDNAの読み取りシステムとデータ交換をするから、単独ではシステム開発できないと思うのだが。おっと考えるな感じろ)の7階で射殺された。これにショックを受けたのは、神楽くん。自殺した陶芸家を父に持ち、心的トラウマのせいか多重人格をもっている科学者で、開発した兄妹と対面できる数少ない人物で、DNA捜査システムのプロジェクトリーダー。困ったことに神楽くんは事件が起きた時に、別の人格が現れていて、当時の記憶を持たない。そのうえ自分の開発したDNA捜査システムが被疑者のモンタージュを作ると自分にそっくり。DNA捜査システムに興味をもったアメリカ警察から派遣された美人捜査官(似たような設定のアニメがどこかに、おっと考えるな、感じろ)は、あなたが疑われていると秘密裏に伝えて、なぜか日本の警察の裏をかこうと、神楽くんに現金と携帯電話を渡して逃亡を助ける。
 捜査に駆り出されたのは、浅間くん。昔気質の足と聞き取りでねばり強く捜査する体力・筋肉系の刑事。この事件のまえに、連続暴行事件と違法な脳刺激装置の販売を捜査しているところにかりだされ、しかも上から捜査の権限を無くされて頭にきている。彼があう関係者は好意的で、なぜか違法すれすれな捜査に協力したりする(おっと考えるな、感じろ)。なもので、上には内緒で事件を追いかける。物語はふたりの活動が交互に描かれる。
 神楽くんの物語は、巻き込まれ型サスペンスの常道だね。事件の発見者にして最重要参考人。状況証拠からすると自分以外に犯人は思い当たらないが、そんなはずはないので、警察の追及から逃亡しつつ、真犯人を見つけないといけない。捜査の手は次第に追いついてくるので、短い時間のうちに解決しないといけないというタイムリミットもある。そのうえ彼には多重人格問題を抱えているので、自分はなにものかもあわせて解決しないといけない。ここらへんはアイリッシュ「黒いカーテン」とか横溝正史八つ墓村」あたりでおなじみ。PKDの主題とも重なるな。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」とか「模造記憶」とか。そのうえ、DNA捜査システムに関係する「モーグル」なるプロジェクトかプログラムの行方を追うことになる。事件の最重要な情報は「本(記号)」にあるというわけで、聖杯を追いかける騎士の役目もある。当然のことながら、彼が忠誠を尽くすことを決めた姫もいるよ。
 浅間くんの物語は、新技術で仕事を奪われるかもしれない不安と、ピラミッド型組織で自分の意向を押し殺さなければならない中間管理職の悲哀と意地。立ち食いソバをすすり、雨に打たれるまでにはいかないが、かわりに盛んにタバコを吸っては周囲にたしなめられる(ガリレオシリーズでもそういう描写があったな)。これは社会派ミステリに二時間ドラマの定番。具体例をださなくてもいいよな。
 新しい意匠(DNAとかPCとか携帯電話とかネットとか・・・)をまとっているわりには、根幹は古くからある物語の再話なのでした。技術描写は薄くてハードSFとはいえないし、監視社会の恐怖や政治家・官僚・資本家のステンレスのトライアングルを告発するには考察が足りないし、男の友情物語というには暴力が足りないし、なんともねえ。
 冒頭にでた陶芸品のオリジナルと機械によるコピーの区別がつかないという話はどこに行ったのかなあ。逃亡の途中で監視社会からドロップアウトした都市のサラリーマンが作るコミューンが出てきて、それが救済みたいに書かれているのもなんだかなあ。ラストシーンではプリコラージュや手仕事で生きるのが人間の本来的ありかたというウィリアム・モリスみたいな光景になるけど、だれもがあんたみたいに芸術の才能をもっているわけではないよね。
 これくらいにアイデアやテーマを持っていながら、どれも深めることなく放りっぱなし。ベストセラーはそうしたもの、なのかねえ。