odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

高木彬光「刺青殺人事件」(角川文庫) 戦後すぐに出た和製ディクスン・カーはセンセーショナルだったが、改稿版は長すぎる。

 明治政府の刺青禁止令によって、負のスティグマになったものの職人気質の江戸っ子と愛好家と学者によって、その命脈は保たれていた。ここに彫安(ほりやす)なる昭和の名人が息子娘の3人に、児雷也(蛙)・綱手姫(蛞蝓)・大蛇丸(蛇)の柄を彫ったのが奇縁となる。この三すくみ、彫師にも刺青者にも不幸がたたると言い伝えられているのである。ただ、戦争の災禍によって、息子は出征中に戦死、双子の妹は広島で爆死と縁は終わったかに見えた。
 さて、銀座の「セルパン」なるバーのママ、野村絹枝は彫安の子供の一人の生き残り。背中には大蛇丸の見事な彫り物があるというものの、だれにも見せないのであるが、東大・早川博士の熱心な説得により、戦後に復興された彫勇会において見事な背中をさらすのであって。この30前の年増、過大なフェロモンが男を引き寄せ、早川博士に最上組の久、その支配人・稲沢義雄、その他の男が芳枝をめぐって、熾烈な争いをするのである。彫勇会の夜、絹枝は秘密の写真を松下研三に渡し。その翌日、鍵のかかった密室でバラバラ死体となって発見された。奇妙なことに、刺青のある胴体が持ち出されていたのである。絹枝のパトロンで、父子で絹枝を争っていた久の兄・竹蔵は失踪。その後取り壊しの決まった土蔵で惨殺死体が発見される。その後、戦死したと思われた長男・常太郎が帰還し、事件を知らされ、絹枝の残した写真を見たとたんに「犯人がわかった、しかし教えるのは3日待ってくれ」と言い残し、再び死体となって発見された。
 事件を追うのは、法医学を学ぶ松下研三(研究者にありながら、茫洋としたうっかりもの)とその兄・捜査一課長の栄一郎(こちらはまことに警察官然とした熱血漢、しかし想像力に乏しい)。この二人がドタバタしながら、犯人の後を追いかける。3人の死体がならんだところで、研三は旧友・神津恭介の帰還をしり、出馬を要請。事件の概要を知り、犯行現場を見聞しただけで、犯人と方法を見つけるという慧眼の持ち主。読者への挑戦状を差し込んだ後、神津は容疑者と将棋や碁などを指し、犯人の心理を推理する。
 1948年に岩谷書店で出版。その年のベストセラーになり、作者は職業作家になった。航空兵となり九死に一生の体験をしたり、1週間たらずで300枚のこの小説を書き、江戸川乱歩に持ち込んで出版にこぎつけたという裏話がおもしろい。解説でここに触れていないのは残念。
 なるほど、敗戦後、この種の活字エンターテイメントに飢えていた読者には干天の慈雨か。戦前の大家がいくつか長編推理をものしていたとしても、それは旧態依然としたもの(まあ、じぶんは角田喜久雄「奇蹟のボレロ」あたりを想定しているのだが)。そこにヴァン=ダイン風、ディクスン・カー風の長編を新人がものしたというのはセンセーショナルだったのだろう。
 まあ60年もたって読むとなると、加筆して650枚にしたぶん事件の描写は冗長、上に書いたようなサマリーから19世紀の古風なトリックがメインになっているのがすぐわかり、探偵小説の評価は芳しいものにはならない。大げさな文章も戦前風でどうにも読みずらい(自分の感想が古い言葉を使っているのはそのまね)。探偵の登場が事件が終わった後、というのは探偵の無能(犯人がわかっても犯行を防止できない)を回避するにはよいが、そのあとが長すぎる。坂口安吾のいう通り(「坂口安吾 「刺青殺人事件」を評す」)。
 容疑者と将棋を指すというのが「カナリア殺人事件」の模倣と知れてなんとも興ざめ。
 昭和23年の戦後風俗を読み取れるかというと、同時代の横溝正史みたいに戦後復興問題は描かれないし、都市の退廃や混乱も描かれない(最悪は脱したとはいえ、不況でみんな苦労していて、労働争議も多かったのだぜ、書けばいいのに)。するとのこるのは、刺青に関する薀蓄くらいか。それに興味を持てないとなると、この小説は厳しいな。どうも自分はこの作家と相性が悪い。

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