odd_hatchの読書ノート

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網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)-2

網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(ちくま学芸文庫)-1

 後半は「続・日本の歴史をよみなおす」というタイトルで出版されたもの。ちくま学芸文庫版は二つの本の合本。「日本中世の民衆像」(岩波新書)から10年を経ての講義なので、前著の内容を覆す発言も含まれる。

日本の社会は農業社会か ・・・ 「日本中世の民衆像」(岩波新書)の主張のさらなる追及。これまでの歴史の見方は農本主義的。それは奈良時代のころからの政権が土地を税金のもととし、農をこの国の主要産業とする政策をとってきた(1300年間も)。その強い影響が江戸時代にあって、たとえば城下町と古い町以外には「町」の名は使えない。そのために、港湾都市や貿易都市はそれだけの規模をもっていても「村」と呼ばれた。百姓はもともとは「普通の人」くらいの意味だったが、「農家」とされてきた。でも古文書をみると、農以外の生業を持っている人が百姓とされていた。「頭振」「水呑」を貧乏農民とみなしていたが、それも土地を持たない人のいいで、海運業・貿易業で資産を持っている人がそのように呼ばれていた。この国の漁村、山村も貧しいとみなされてきたが、それは田畑がない=石高をもたないからの連想であって、運輸・材木業で財を成した家があり、金と物が大量に集まる豊かな都市であった可能性もある。もうひとつ、明治維新後の経済学・歴史学の輸入において農業を中心とする経済学や歴史学が紹介されてきたことも理由にある。
海からみた日本列島 ・・・ この国は河川がたくさんあり海が大きく入り込んでいた。現在の平地は海か水郷。なので河川交通がさかん。四つの島をカバーする海運は縄文から弥生のころにはすでにできていた。また日本海玄界灘琉球列島などを経由する大陸との交通もあった。「倭」人というとき、それは「日本人」を意味しない。日本列島、朝鮮半島琉球列島、大陸の一部にまたがる共通文化、文明の集団を「倭」といったらしい。なお、上記のように平地は水浸しであったので、自給自足は難しく、交通・交易によって生活していた。あとこの時代は西日本と東日本は別の国家であったとみるのが妥当。このような海上・河川交通の国を陸上交通に変えたのは、6-7世紀の中央集権権力。中国の制度を真似た国家を作った。陸上交通重視、戸籍を作成→税制の確立、文書主義による統治など。中国に範をとる古代帝国を目指していた。しかしそのもくろみのうち陸上交通は9世紀にはダメになり、ふたたび海上・河川交通にかわる。国家の大陸交易は遣唐使の廃止で途絶えたが、民間の交易は活発化(それがのちには宋銭の流通になるわけだ)。国内の公益では女と僧侶が中心。すなわち20歳以上の男子に租庸調の税務が与えられたということは、そうでない人は国家の制限を受けず、自由な移動が可能であったというわけだ。あと10世紀の将門の乱、藤原純友の乱は古代の体制を壊した。中央から役人を派遣し、税金を取り立てるという仕組みができなくなり、地場の有力者に税金取り立ての権利を与え、上納させるという仕組みになった。というわけで次の章に引き継がれる。
荘園・公領の世界 ・・・ 荘園は税務を請け負う集団ないし地域であるが、農地だけをカバーしていたのではなく、山地・島地などすべての土地をカバーしていた。そのため場所によっては米を作れないのだが、そのときにはその地の特産品をコメの価格に換算して治めていた。それは荘園から国家に対してだけではなく、個々人ないし家と荘園の間でも同じ。なので、米がとれないから貧しいのではなく、むしろ交易によって富と資産を持った山村や孤島があった。あと、この荘園経営には勘定ができ、帳簿をつけ、国家などと交渉ができ、荘園民を管理する経営者の技術が必要である。多くの荘園で、その役割を僧侶(とくに鎌倉の新興仏教の僧侶)が担っていた。
悪党・海賊と商人・金融業者 ・・・ 中世の時代の「悪」は日常の安穏を攪乱する、人の力をこえたものとのつながりをもって考えられており、利潤や利子を得る行為そのもの、商業・金融業そのものを悪ととらえる見方があった。さいころの目で事を決める博徒や、好色=セックス、さらに穢れそのものも、人の力をこえたどうにもならない力として「悪」ととらえられた(P351)。(「歎異抄」の「善人なおもて往生す、まして悪人においておや」という難解な文章の「悪」はこのように読んだほうがよいと思う。と書いた後に本文では、「悪」や「非人」に対し布教した親鸞、一遍が書かれる)。で、その連想で、金融業者・商人・海の領主・山の領主は「悪党」と呼ばれた。山賊、海賊というわけだが、実際の仕事をみると、交通組織の警備役みたいなものだった。で、彼らの中では海の慣習法ができ、のちにまとめられたというのが重要。海賊のネットワークができていた。それは、商人、工芸職人、遊芸民でも同様。
※ 「交易によって富と資産を持った山村や孤島」があったというのの末裔は、横溝正史「獄門島」の鬼頭家を想起すればよい。山賊が交易の警備を担当するというのは、岡本喜八監督の映画「戦国野郎」の馬借で描かれる。

日本の社会を考えなおす ・・・ この国は農本主義を国是とする政権が運営してきたが、ときに重商主義の政策をとり、商人資本に依存する政権もあった。後醍醐、足利義満・義政など。面白いのは農本主義政策は合議制で、重商主義専制政治になること。これは19世紀の西洋の民族国家と同じ。あとは、農業生産に従事しないで食料は銭で買い、市場での売買で生計を立てていた都市民がいて、そのような都市がたくさんこの国にはあった(飢饉で餓死者がでるのは都市民においてではないか、農村はむしろ餓死しにくい場所ではないかと推測する)。またこの国の商業用語は中世、ときに平城京の時代までさかのぼれる。すなわち、交易を営む人はたくさんいて、貨幣経済も早い時代に確立していて、資本主義の萌芽(金融資本とか手形とか複式帳簿とか)が独自にあった。これまでの農本主義、農業国としてのこの国というとらえ方はこの国の見方を貧しくする。


 後半になると、日本史全体の大幅な書き直しないし読み直しになる。まあ、ぼくらが教科書や映画で想像していた田畑を耕し、移動もままならず、領主や代官にいじめられる農民がこの島の大多数のロールモデルだったというところからの転換。そういう人もいただろうけど、ダイナミックに移動して交易・貿易を行う商人や工芸技術者に遊芸民がいて、領主や代官も高圧的な支配をするだけでは不十分で国内の統治や裁判、税収、起業、他国や商人との交渉ができないといけないマルチタレントの人材がいて、新興宗教は都市民向けの布教活動を行い、場所によっては荘園の管理・経営に参画していた。この国の歴史を書くと、公権力を持った人か文化人(これも18世紀以前には通用しない概念か)にフォーカスを当てることになるのだが、網野さんの見方をとると、ずっとダイナミックで、面白いことが起きていた社会だったということになる。こういう見方で小説を書いた人がいないかなあ。時代小説が戦国時代か明治維新ばっかりなのに風穴を開けるのではないかしら。まあ、この分野は詳しくないのでここまで。
 高校の日本史だと、12世紀から15世紀までがどうにもわかりにくい時代だった。鎌倉と京都の関係が複雑で混乱してしまうのだった。ここに書いてあるような整理だと、公権力と地方権力の関係、経済の変化、思想の変化などが大胆に大規模に行われた興味深い時代になるわけだ。この時代は民俗学のアプローチではわかることが少ないし(現代の生活からさかのぼれるのはせいぜい500年前まで)、公文書だと「農本主義」「古代帝国志向」という見方になるし。そういうドクサを排除するのに便利で面白い本でした。歴史学の外野にいるので、どれほど共通認識になっているのかはわからないけど。