odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

都筑道夫「グロテスクな夜景」(光文社文庫) 昭和の終わりから平成の初めにかけた短編小説とショートショート。作家はワープロを使いだした最初のひとり。

 昭和の終わりから平成の初めにかけた短編小説とショートショートを集めたもの。1990年に文庫初出。

五十二枚の幻燈たね板 ・・・ 1988.6.1から1989.6.28まで、「大阪産経新聞」に週一で連載されたショートショート。なのでちょうど52編。ミステリ風、SF風もあるけど、怪奇ものが多くて、ほとんどが作者のいう「ふしぎ小説」。なにが正しいのか、リアリティのある場所がどこなのかわからないという混乱であいまいした状態で終わりにし、読者に不安を残す小説。
プリントアウト1988.06 ・・・ 書痙で悩む作家がワープロを購入。文章を打ち込んでいくと、いつの間にか、手を加えられている。それは知り合いの翻訳家の妻で事故死したはずが、殺されたのだという。作家が自分のワープロで試してみると、やはり同じことが。「匣の中の失楽」みたいな枠構造を持った不思議なお話。1980年代後半にようやく一般庶民の購入できるワープロが普及するようになり、作家はそれよりいち早く導入。原稿用紙に手書きというやり方がディスプレイとキーボードになり、そこに新しい恐怖を見つけたのだった。機械の中に幽霊がいるような感じかな。
第二感覚1988.08 ・・・ 戦後40年たって、いきなり白昼に敗戦直後のヴィジョンを幻視する。それが繰り返されるので、友人のところに行って話をした。その途中気分が悪くなり、一方同じ時刻に妻が悪漢に襲われていた。「闇を喰う男」にでてきそうなバイオレンスホラー。
虹の影絵1989.01 ・・・ 「あなたは人を殺したのでしょう」と知らない女から電話がかかってきた。「虹の影絵」というタイトルを思い出せという。自分は書いた記憶がないのに、昔の短編集に収録されていた。そこには作家が人を殺す話が書いてある。しかし、翌日には短編集にその話は載っていなかった。「梟の巨なる黄昏」みたいな呪われた書物の物語。
露天風呂1989.02 ・・・ 幽霊の出るという温泉宿になぜか引き込まれるように転がり込む。露天風呂には先客がいて、知っている顔つきだが思い出せない。風呂を出て部屋にいると、その男がやってきて、どうだ幽霊は出たかという。リアリティがどんどん崩れてきて、ぼんやりした空間で自分の念慮だけが漂うような。今どきの幽霊小説はこんなふうになるのかなあ。
失踪1989.04 ・・・ 兄が疾走した、というので兄嫁といっしょに郊外の家にむかう。そこの一軒家には兄が幼馴染の娘によく似た女といた。翌日、兄が殺されたと警察が捜査に来る。兄が死んだのはたしかにその一軒家だったが、ながいこと空家で、先月そこに暮らしていた娘は自殺している。憔悴して兄嫁の部屋に行くと、兄もついてきていて。


 職人芸は見事なもの。落ちを見破ることのできるものがひとつもなかった。ああやられた、と笑いながら頭をかくしかない。
 後半には幽霊が出てくる。幽霊をストレートに描写しても、いまとなってはギャグになってしまう。もう19世紀の怪奇小説、幽霊小説は書けない(映像ならまだ可能性はあるのかな)。でも幽霊を出したいとなると、工夫を凝らさないといけないわけで、ここでは主人公の妄想(おもには人を殺したいという動機のはっきりしない衝動と、それを否定するエネルギーのせめぎあい)が「現実」を浸食して変容していく具合。そのために、どこからか小説の「世界」が少しずつ崩れていく。そのほんのひとことの描写に賭ける作者の意気込みやよし。解説にはぎりぎりまで文章に手を加える作者の様子が書かれている。なるほどこれらのふしぎ小説を読むと、さもありなんと膝を打つ。
 あとは、作者がようやく自家薬篭中にしたワープロという機械。自分もそうだったが、キーボードで文章を書くのは、ほとんど頭で考えるスピードと同じ速さになる。ときには、文章のほうが思考よりもさきに生まれることがある。この感覚が高じてくると、機械が文章を生み出しているのではないか、いや機械が自分を使っているのではないか、作者は機械の中にいるのではないか、という不思議な感覚を生み出すのだった。なるほど四半世紀もキーボードをたたいているとこの感じは新鮮さを失ってくるが、当時のセンセーには驚きであったのだろう。それが書かれていて、自分の中に懐かしい思いが生まれた。