odd_hatchの読書ノート

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E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-1

 自分の知り合いだった人に、大正生まれで共産党員の父を持つ昭和30年代生まれの人がいた。都内の高校から大学に進学するにつれ、1970年代のこととして新左翼の運動に共感をもっていく。その結果、家族内では当時の左翼運動を巡る議論が白熱したという。ときに母が泣き、憤然とした父が押し黙り、息子たちがドアを強く締めて出ていくことがあったと想像する。家族で不和が生じるような深刻な対立が父子の間で起きた。対立の背景は、1956年のスターリン批判からのソ連共産主義に対する考えを巡るもの。官僚制と収容所群島の評価(レーニン主義の必然とみなすか、スターリン個人的な問題とするか)にある。
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 さて、この1971年出版の小説ではアメリカの共産党や労働運動をめぐって父と子が対立する。いや、そのような対立関係は父と子には生じていない。舞台になる1967年において父と母はすでに亡くなっているから。しかし、その両親の存在が25歳の青年ダニエルに強く影響している。
 すなわち、ダニエルの両親アイザックソン夫婦はマカッシーズムの最中の1954年に突然逮捕され、ソ連のスパイとして断罪され、死刑判決が出て、翌年電気椅子で亡くなった。執行の夜、刑務所の周辺には数万人の助命嘆願の人々が集まったが、大統領は減刑の書類にサインしなかった。両親はその後の労働運動や反戦運動のシンボルになる。その一方で、逮捕から死刑に至る過程で、アメリ共産党運動は分裂し党は解体した。1967年の「サマー・オブ・ラブ」の年に、政治運動する若者たちは当然アイザックソン事件はよく知らないし、古い左翼やその運動を無視している。
 ダニエルの困難は、アイザックソン事件の夫婦の息子であること。常に注目されてしまうこと。反戦運動や労働運動の集会で「アイザックソン事件の被害者の息子」として紹介される。FBIの監視を受けていて、あの「アイザックソン事件の被告の息子」だから何をするのも当たり前とみなされる。常に両親が影のように寄り添い、両親と比較され、両親のような振る舞いをすることを要求されているように思われる。そうではない、自分は両親の弱さやおかしさを知っているし、ごく普通のあたりまえの人間であると主張したい。でも彼を取り囲むに人々はそうみないし、そうさせてくれない。彼は自分であることを自分の行動や役割で満足することができない。だから、極度に非政治的であろうとするし、一方で衝突が予想される政治集会に参加することもある。このふらふらさ/あいまいさをいかに克服するのか、自分が自分であることをいかに自分に納得させるかが彼の大きな問題だ。それは強いストレスをもたらすのだろう。大学を卒業し学生結婚をして博士論文を書いているが、彼は配偶者や子供にごくあたりまえの接し方ができない。妻を凌辱するような扱いをし、赤ん坊がおびえるくらいの振る舞いをしたりする。そのような強い暴力と破壊への志向も生まれている。彼は、ふたつの衝動(アイデンティティの確認と破壊)を言葉で説明しようとするが、それは誰にも受け入れられない。人々は彼を避け、おざなりな皮相的な付き合いしかできない。
 ダニエルにはもうひとつ妹の問題がある。アイザックソン事件の逮捕の時、ダニエルは10歳で妹スーザンは6歳。妹スーザンもまた両親の不在と彼らの神格化に悩む。彼女の場合は、両親と同じ道を歩むことでダニエルと同じ衝動を克服しようとするが、それは新左翼による旧左翼の無視によって挫折している。よって、妹スーザンはより過激になり、ついに精神を病んで病院に収容される。彼女はダニエルの優柔不断さと道化た振る舞いを指弾・非難して、ついに狂死する。両親や妹の存在は、行動を起こさない/起こせないダニエルの強い批判者として表れる。
 「ダニエル書」は1967年の約半年間、ダニエルのアイデンティティ克服の旅として語られる。その間に、妹との再会、育ての親との離反、反戦集会(徴兵カードを焼いたり、警察にぼこぼこにされたり)への参加、両親を告発した人物との再会、妹の葬儀が起こる。それらが起こるたびに、ダニエルは夢のように過去を回想し、その意味を解釈しようとする。夢で見る過去は時間を前後し、連想が飛躍し、とりとめない。その解釈はダニエルの行動のごとに少しずつ変わっていく。そして、妹の葬儀に両親の死刑を重ねて、ダニエルの旅が終わる。終わるのだが、ダニエルが変わったのかどうかはわからない。今後も逡巡が続くことを予感させて、唐突に小説は終わる。
 たぶん旧約「ダニエル書」の結尾がダニエルにあらわれる黙示なのだろう*1

「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう(新共同訳 P1402)」

(続く)

2014/04/21 E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-2
2014/04/22 E・L・ドクトロウ「ダニエル書」(サンリオSF文庫)-3

*1:「『旧約聖書』にある「ダニエル書」に2017年に世界や人類の終末・滅亡・破滅が示されている」という「予言」があるという記事がたくさんありますが、このエントリーには無関係です。そのような与太に惑わされないようにしましょう。