odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小栗虫太郎「人外魔境」(角川文庫) ほぼ地球全土を舞台にした戦前冒険小説。折竹は軍部から派遣された諜報部員でもある。

 昭和14年1939年から昭和16年1941年にかけて雑誌「新青年」に連載された冒険小説。

有尾人 ・・・ コンゴ・モザンビイク(ママ)に住む日系人・座間のもとに有尾人が届けられる。それは、秘境「悪魔の尿溜」からさまよい出たものとしれた。フィアンセ・マヌエラの心変わりに気もそぞろな座間は傷心を慰めるために、「悪魔の尿溜」への冒険を決行することにした。映画「ターザン」で、「モロー博士の島」で、「失われた世界」で、三作をこの100枚強に押し込めるという驚異の圧縮ぶり。

大鄢暗 ・・・ 北アフリカの街チュニスには、南に「大鄢暗」を言う魔境があり、その先にはアトランティスの都と財宝、それを守る赤痣人がいるという伝説がある。赤痣人とみられる現地人を先頭に出発した先遣隊は100名余が突然姿を消した。それを追うのは、現地人の腹違いの妹ステラと美術商に身を隠した諜報部員・山座。彼らをねらうのは悪辣な監獄医ボアルネ。秘境冒険物語にアトランチス伝説を持ち込んだのが珍しい。例によって早口で駆け足だもので、筋を追うのも一苦労。

天母峰 ・・・ ここから連作の主人公・折竹孫七登場。冒険型博物採集学者であり、かつ秘密諜報部員でもある。書かれた時代のヒーロー。さて、チベットに「天母峰」という高地があり、現地や密教の人にはユートピアと言われている。しかし、西洋の冒険家の挑戦をことごとくはねつけていた。亡命チェコ人のサンスクリット学者と白痴(ママ)の二人が天母峰に上りたいと言い出す。折竹は同僚のダネック(同様に亡命チェコ人)と4人でチームを組んで、高峰に向かう。

「太平洋漏水孔」漂流記 ・・・ 太平洋の南東にある「太平洋漏水孔」は渦潮で守られた要塞の海。誰ひとりとしてその中にあるという島から帰還したものはいない。ところが、折竹は奇縁を持ってそこから生還した日本人の子供を知っている。そこには第1次大戦で敗戦国になったドイツの士官の冒険があった。子供を島から脱出させる方法が「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」そっくり。時局がらとはいえ、救出された子供の現在の姿がやるせない(重慶爆撃を担当する陸軍航空隊兵士)。

水棲人 ・・・ ブラジルの奥地で「水棲人」が見つかった。水棲人からダイヤとメモを受け取ったパラグアイ人カムポスが折竹の財布をあてにしながら、奥地行きをたくらむ。派手な賭けにでて、美貌の令嬢ロイスに負ける。そして折竹を含む3人で奥地に出向いた。ロイスは失踪した日本人研究者・三上を慕い、カムポスはロイスに秘かな恋心。陽気でその日暮らしのカムポスの英雄的な行動がせつなく悲しい。

畸獸楽園 ・・・ エチオピア南部タンガンイカ湖は過去の大地震で一つの大峡谷をつくった。その際に、密林が隔絶し、異様な風体の奇獣ばかりが住むという。そこを目指して行方不明になった政商ラウールを見つけるために、フランス夫人と折竹はタンザニアの怪人ともいえる偉丈夫カルサとともに秘境に入る。ようやく秘境の入り口に到着したときには、残りは2ページ余り。駆け足で落ちをつけた。

火礁海 ・・・ 中部スマトラ奥地の「離魂の森」に「人類ならぬ人間」がいるという情報が入る。その証拠は狂女の連れてきた乳児にある。すでに死亡していたためそれ以上の情報はわからない。そこで折竹は、窮地を救ってくれた現地の娘を連れて、密林に分け入る。意外なところに「人類ならぬ人間」がいた。

遊魂境 ・・・ グリーンランド北方で珍しい鯨狼(アザラシとウォーラスの子)が見つかり、折竹はグリーンランド探検をギャングと市長のそれぞれから受ける。死んだエスキモー(ママ)が自力で死処を目指すという言い伝えもをあり、折竹は勇躍、グリーンランド探検に。しかし極寒は彼の行動も頭も鈍らせてしまう。若いころに渡米し、以来サーカスで食っているという女丈夫がおもしろいキャラクター。それにシオン議定書まで登場して。例によって、出発までに枚数を取ってしまうので、探検行はあっさり。

第五類人猿 ・・・ ペルー奥地のアマゾン川源流を目指す折竹一行。折竹は「第五類人猿」の存在を証明するため、付き添うホアンはインカ帝国の隠された財宝を発見するため。隊にはニューヨークの警察官が殺人事件犯人を追って潜入している。犯人と目されるのは、ホアンの恋人ドーニァ。最深奥の密林で、パトロンのロドリゲスが首を斬られて死んでいる。それはニューヨークの殺人の手法に似ている。となると、可憐なドーニャが犯人? 400枚くらいの長編になりそうな素材を70枚くらいに圧縮しているものだから、伏線もなにもなく、物語の骨格だけ。もったいない。

地軸二萬哩 ・・・ アフガニスタンにある「大盲谷」。そこの「大地軸孔」への探検を折竹は断念した。一般には臆病風に吹かれたと発表したが、裏には「地底の女ザチ」から受け取った警告の手紙に興味を示したことがある。帰国途中、イギリスの諜報部にとらまわれ、ソ連の諜報部員ともども「大地軸孔」への探検をするはめになる。ザチも接触して、危機をほのめかす。塩の沙漠には地底大洞窟があった。

死の番卒 ・・・ コロンビアの密林アトラトでプラチナが発見されたとかで、軍が立ち入り禁止にした。一方、ハバナ運河の模型を作った日本人がFBIに勾留されている。折竹はプラチナを独り占めにしようという相場師と手を組み、日本人保護のために、ハバナ運河からアトラトに向かった。そこでとらえられ、新パナマ運河の秘密工事に駆り出される。短い枚数で、いくつも話を組み込まないでよ。冒頭の飛行中のチェスだけで小説がまとまれば傑作になったのに。

伽羅絶境 ・・・ ラオスの高地民族はキャラの採集で生計をたてていたが、支那人(ママ)のためにキャラが刈り倒されてしまった。そこでタイ国境にあるヤト・ジャン(自生のキャラがたくさんある)に移動することを考えるが、あまりの秘境でルートがわからない。おりしもその地方の地図をつくることを目指していた折竹が高地民族の娘デイを連れて探検にゆく。途中、獄賊クナプサクが行く手を阻む。リュパンの冒険談のようだな。

アメリカ鉄仮面 ・・・ 勤務するアメリカ自然博物館を喧嘩して天下流浪の身となった折竹、ニューヨークの潜函仕事に応募する。それは監護島(アルカトラズのことか?)に向かう地下トンネルの工事現場。そこは侠客のような黒人組織マッデン一家が支配し、天才科学者デラニーがかくまわれていた。折竹は、全米石油燃料組合のトップからデラニー暗殺ないし発見を依頼される。デラニーの発明したベンゾールを燃料とするエンジンがガソリンを無価値にするから。アメリカ資本の手先になるのはお断りの折竹は、デラニーを日本に迎える計画を立てる。おりしもアラスカの噴火口探検が予定されているので、デラニーの試験飛行でそこに行き、あとで落ち合おうというのだ。計画は成功したのだが。これをもって折竹は帰国し、冒険は終了。


 この連作とは別に書かれたいくつかの伝奇小説をあわせると、ほぼ地球全土を舞台にしたのではないかしら。現代教養文庫の解説によると、作家は雑誌ナショナル・ジオグラフィーをネタにしていたというが、その読み込みには驚くところがある。おどろおどろしい秘境や現地民の書き方は時代の制約があるけど、ときに資本主義に蹂躙される人々への温かいまなざしがあるので救われる。
 水棲人に有尾人、「人類ならざる人間」など、まあいくたのUMAがでてくることか。それに秘境につきものの地下大洞窟が繰り返し登場。シオン議定書他の陰謀論も顔を出す。よくもまあこの種の情報をこの時代に入手していたものだと感心した。雑誌ナショ・ジオはいまでもその手のネタはよく取り上げるので、当時もあったのだろうな。
 折竹は世界中の魔境、秘境、密林、砂漠に興味を持ち、そこに行く。裏側には軍部から派遣された諜報部員の役割もあるが、ここではおいておく。彼の行動は秘境に到着すること。そこでうわさ、予測、秘密が開示されることを望む。あいにく、彼の冒険でその欲望はたいてい満たされない。この13編(正確には11編)の物語は快男児・折竹の挫折と幻滅の物語。すなわち、1)彼は秘境にたどり着けない、2)秘境には何も隠されていない、3)彼を信頼する人が裏切る、というわけだ。まあ、彼の求める「自然」は彼を拒否し続けるわけだね。それでも秘境にいく折竹はモビィ・ディックを追いかけるエイハブ船長みたい。折竹は挫折や幻滅しても自己が変わらない稀有な、タフな人だった。自分には魅力を見出せなかった原因がそこにありそう。
 サマリにも書いたように、長編でじっくり書いたほうがよいストーリーを圧縮しているものだから、物足りないというか、過剰な情報に圧倒されるというか。長編13冊を一気に読んだようで、とても疲れました。
 これを書いたのち、太平洋戦争勃発から小栗は筆を立ち、戦中は実業家となる。いくつかの新発明をなして、成功したようだ。敗戦後、小説の執筆を雑誌「ロック」に依頼され、「悪霊」の冒頭20枚が書かれたが、メチル禍により逝去。享年45歳。

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<追記2021/4/28>
探偵小説家の小栗虫太郎 作家像の見直しも 家庭小説を確認
2021年3月2日 5時41分

昭和初期に活躍した探偵小説家で「黒死館殺人事件」などの作品で知られる小栗虫太郎が、昭和16年
ほかの作品とは作風が全く異なる家庭小説を発表していたことが確認されました。
検閲が強まる中、探偵小説の代わりに創作したと考えられ、調査に当たった専門家は「これまでの作家像の見直しが迫られる発見だ」と指摘しています。
小栗虫太郎は、横溝正史などとともに昭和初期に活躍した探偵小説家で、名探偵 法水麟太郎が登場する「後光殺人事件」や「黒死館殺人事件」などの作品で知られています。
二松学舎大学山口直孝教授が作品の調査を進めたところ、「亜細亜の旗」というタイトルの新聞連載が新たに見つかり、著作目録に記録がない長編小説と確認されました。
山口教授によりますと、この作品は太平洋戦争が始まる昭和16年から翌年にかけて、九州などの地方新聞に連載され、主人公の青年医師をめぐる恋愛や人間関係が描かれています。
これまでに知られている難解なことばを駆使した幻想的・怪奇的な作品とは作風が全く異なる家庭小説で、検閲が強まる中で発表が難しくなっていた探偵小説の代わりに創作したと考えられるということです。
山口教授は「小栗は探偵小説、冒険小説と時期によって作風が変わりますが、これだけ違ったものはなく、これまでの作家像の見直しが迫られることになるのではないか」と指摘しています。
亜細亜の旗」は今月、単行本として出版される予定です。
二松学舎大 山口教授「戦時中 苦心しながら創作」
小栗虫太郎明治34年に東京で生まれ、32歳の時に発表した「完全犯罪」で一躍、注目を集めたあと、探偵小説や冒険小説など多くの傑作を生み出しました。
その才能は、江戸川乱歩横溝正史なども認めていましたが、昭和21年、44歳の若さで亡くなりました。
日本の探偵小説のすそ野を広げた1人で、二松学舎大学山口直孝教授は「特殊な知識を駆使して、日常とは異なる幻想的な物語空間を作ることに情熱を傾けた作家で、グロテスクでロマンチックな物語世界は、ほかの作家がまねできないものがある」と評価しています。
一方、今回見つかった「亜細亜の旗」は、日本と中国 上海を舞台にした家庭小説で、ほかの作品に見られるような非現実的な場面設定や難解な専門用語は用いられていません。
トラブルや波乱が立て続けに起きるなど、読者を飽きさせない工夫が見られ、登場人物の会話の多い読みやすい作品となっています。
山口教授によりますと、探偵小説は戦時中、表現を規制されて発表の場を失い、探偵小説家は、時代小説や家庭小説などほかのジャンルに手を広げて表現活動を続けていて「亜細亜の旗」は、そうした時代背景の中で小栗が生み出した作品の1つとみられるということです。
山口教授は「探偵小説が書けないから、やむをえず筆を執ったところはあると思いますが、その中でもおもしろく読ませる物語を作っていこうというような工夫をしている。与えられた状況の中で、作家が苦心しながら創作をしていたということが、今の時代に読むとより鮮明に見て取れると思います」と指摘しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210302/k10012892441000.htmlwww3.nhk.or.jp