odd_hatchの読書ノート

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アマルティア・セン「貧困の克服」(集英社新書)

 著者はインド生まれの哲学・経済学・政治学その他の研究者。アジア人として初めてノーベル経済学賞を受賞。ここでは彼の考えをよく示す講演4つを収録。

危機を超えて−アジアのための発展戦略 1999 ・・・ 東アジアの経済発展と危機の経験から開発の戦略を考える。グローバル経済に参加するには国際規格に準拠する生産と高い品質管理ができることが必要。そのためには、当該国の人間的発展が必要となる。基礎になるのは教育と医療、土地改革、資源の公平な配分など。とくに最初の二つは低コストであるとともに、国民の生産性を高める(なので開発国の子供が教師や医師を目指すのは当然なことなのだ!)。経済発展だけでなく、人間の潜在能力を高める(逆にいうと貧困や抑圧に置かれない)ことにも有効だし、個人の社会的チャンスを用意し、それだけでも目的や価値になる。開発国では忘れられがちだが、女性のエンパワーメントを高めることも経済発展に寄与する。開発と成長を実現するときに開発独裁のような権威主義社会が効率的といわれてきたが、統計をとるとそうでもない。むしろ民主主義と参加型政治のほうが役立つ(政治的自由ともいえる)。それらがあると、政権は民衆や国民の要望を聞き取り答える機能を持つから。開発と成長は持続的ではなく、ときに突発的な危機にあうが、権威主義的社会では権利が剥奪される(飢饉が起こるのはそういう社会のみ。民主主義がある社会では飢饉は起きない)。民主主義は「人間の安全保障」を実現し国内の権利の剥奪による分断を回避する機能をもつ。
(1945年当時ではほぼ同じ経済水準であったインドと中国の差異を検討している。上にまとめた内容からすると、いずれにもよいところとわるいところがあった。開発が必要な国では、市場も国家の機能も不十分なので、それぞれが補完しあいながら機能することが必要。開発独裁社会主義は国民の権利の剥奪を起こすか他国の支援がないと、開発も成長もできないということになるのだろう。)

人権とアジア的価値 1997 ・・・ 権威主義を正当化するために使われるアジア的価値には意味がない。一方、自由・寛容・平等・権利の概念が西洋由来であるわけではなく、アジアほかにも見られる。人権は共通の人間性を基盤にして形成され、特定の人々(国籍や市民権を有する人)にだけ適用されるのではない。人権には異議申し立てすることはできない。
(背景にあるのは、シンガポールや中国などの権威主義社会の政治家がその体制を擁護するために、アジア的価値を持ち出して、西洋的価値である民主主義がアジアなど非西欧には適合しないと主張したこと。そうではないことを歴史的原理的に反論する。インドの事例にはびっくりしたし、一方で戦後直後のこの国の民主主義を思い出した。)

普遍的価値としての民主主義 1999 ・・・ 人々は民主主義のプロセスを通じて民主主義に適合していくもの。その際には、地域や経済発展、教育程度などは関係ない。民主主義は多数決原理だけでなく、ほかのさまざまな手段や方法をもっている。これがうまく運用されているとき、社会的経済的危機の際に破局を回避することができ、束縛から解放することができる。民主主義を支えるのは、人々の政治的自由、自由なメディア、開かれた意見交換と論争など。
(あまりに粗雑なまとめになってしまった。著者の考えはもっと勉強しよう。)

なぜ人間の安全保障なのか 2000 ・・・ 人間の安全保障が対象にする「人間の生存、生活、尊厳」が脅かされている一方、それに対抗するシステムが世界的にできつつあり、さらに進めなければならない。人間の生存は健康、平和、寛容を対象にし、生活と尊厳は好況時のセイフティネットと景気後退期の安全保障となる。組織の役割は重要であるが、個人が社会や政治にコミットメント、アンガージュマンすることが最も大切。発展は経済的だけでなく、人間の自由と尊厳が拡大することを意味する。
(あまりに粗雑なまとめになってしまった。著者の考えはもっと勉強しよう。)


 経済学でノーベル賞を受賞したが、この講演の内容やほかの著作を見ると哲学・政治学など多彩な範囲におよぶ。そのうえ、開発支援のプログラムや世界機関にかかわっていて実践も行っている。そのために彼の思想は広がりと深さのうえで他の人を凌駕している。こうしてみると、一人でロックやアダム・スミスそのたの西洋の基本思想の見直しをしているわけだ。講演は彼の思想の論理や広がりを十分に展開しているわけではないし、訳者によるあとがきも物足りないものであるから、ほかの本でさらに深めることにしよう。民主主義や開発に関する指摘だけで自分の好奇心は増すばかりだし、またロールズの正義論の批判もどこかで行っているとなるとそれは重要だ。
 このような広がりと深さは、彼がインドの現状を体験していることが重要なのだろう。講演ではインドの歴史や文学が縦横に引用されるし、そのうえ中国の文学や思想にも精通しているらしいし、アジア諸国の各国史も詳しそうだ、そのような経験と知識の積み重ねのうえに、イギリスの大学教育で西洋の知識を踏まえた議論ができる。自分はアジアの関心が薄かったので、民主主義や正義を考えるときに、西洋視点を無自覚の前提にしてしまう。それがアジアで開発を受ける側の見方をなくしてしまって、彼らの反応を乏しいとみなし、上から啓蒙・教育する態度をとるようになってしまう。著者からすれば、開発や援助を受ける側にも要望があり、自発的・能動的に参加する意欲がある。それができないような仕組みを開発・援助する側が押し付けているということになる。数々の開発支援・援助のプロジェクトの失敗があって、是正されているようだが、そこには著者の思想や実践が多く反映しているのだろう。なるほどこの国の経済成長は独特の資本主義をつくって、西洋に対峙できるようになったが、それはたまたま運よくいったということであって、自分らを西洋化してしまったといえるのかもしれない。アジア的価値は著者のいうように無効な概念であるが、アジアの知恵は参考にするべきなのだろう。


<参考エントリー>
2016/07/7 アマルティア・セン「人間の安全保障」(集英社新書) 2006年