odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

佐々木邦「いたずら小僧日記」(新学社文庫) 19世紀末イギリス児童文学の翻案。夏目漱石「坊ちゃん」1907年の子供時代のわんぱくぶりをさらに幼少者がやっていると思いなせえ。

 1883年(明治16年)生まれの作者26歳の第1作。ほぼ無名の作家でありながら、1909年に内外出版協会で出版されたという破格な扱い。「A Badboy's Diary」なる無名氏の作品を翻訳したとの由。なるほど、主人公である太郎の家では舞踏会を催し、朝はパンとバターで、日曜日には教会に行くという設定であるから、イギリスあたりにあるユーモア文学であるといえる。一方で、この国の習俗が違和感なく溶け込んでいるのも確かであって、解説は翻案なのではないかという。当時活躍中の黒岩涙香もそのような翻案をさかんに行ったのであって、まあそういうものかもしれない。解説は1970年代のものだから、現在の定説がどうなっているかは知らない。

 内容はそうだな、夏目漱石「坊ちゃん」1907年の子供時代のわんぱくぶりをさらに幼少者がやっていると思いなせえ。やることなすこと常に人に迷惑をかけ、災難はかならず自分の頭に降り注ぎ、良かれと思ってしたことが必ず他人に非難されるというなんとも皮肉な星のもとに生まれた子供。同世代とは喧嘩ばかり、女中をいたずらで泣かし、書生を怒らせ、年少者には無理無体をめいじて泣かし、とやりたい放題。親にほおっつらをひっぱたかれ、おしりをまっかにし、鞭で背中を赤くはらせ、押入(というか地下室か)に閉じ込められ、朝食や夕食を取り上げられ、貯金を賠償に払わされ、おもちゃはすぐにこわし、まあ、親や教師の体罰を連日喰らうことになる。この太郎の良いところは、しでかしたことの処罰に対する嫌悪や怒りを翌朝には全部忘れていること。これはほとほと感心する性格で、自分にはうらやましい。忘れてしまうから、翌朝から新しい悪戯や実験(たいてい失敗に終わる)を思いつき、果敢に挑戦する。
 「小二病」という概念が流通しているので早速使わせてもらうが、太郎は小二病の罹患者。下記サイトに症状の具体例が羅列してある。
小二病とは (ショウニビョウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
 こういうのは10歳くらいまで治癒するものだ。社会性とか正義とかを自分のうちに見つけて、自分を見る自分が生まれるうちに、小二病の症状は消えるもの。でも、それが消えないでいるのが、太郎に、坊ちゃん@夏目漱石。もしかしたらスサノオノミコトもその一人かな。こういういたずら好きは、文学の世界ではトリックスターと呼ばれているようで、山口昌男の本に詳しいから、参照してもらおう。トリックスターの効用は、社会や大人の建前を壊し、社会に混乱にあたえて、活性と再生をもたらす。なるほど、この小説でも大人は太郎の悪戯に憤激するが、その一方、大人に抑圧されているものたち(女中や兄弟姉妹など)は太郎の後ろで笑いをもらし、普段のうっぷんを晴らしているのである。そういう効果があるから、大人は太郎を叱るが、家からは追い出さないのだ。
 というようなところをほめるのだが、太郎のいたずらにはときに冗談ではすまない危ないものがたくさんある。幼児の足を縛って川に投げ込んだり、居眠りしている老人のメガネをかえしのついた釣り針で釣り上げようとしたり、クロロホルムを女中に嗅がせて気絶させたり。いやあ、これは危険だよなあ。序で会田雄次は「善良な人間性への共感」などを述べているが、そんな悠長なものではないんじゃないか。太郎のいたずらが許容されていたというのなら、かつては子供の暴力に鷹揚だったし、もちろん親による子供への暴力もかなりの範囲で容認されていたことになる。
 新学者文庫には「おてんば娘日記」も併録。内容は「いたずら小僧日記」ににたりよったり。

    


〈翻訳のもとになった本〉