青木千三(チビ公)は、ちびの豆腐屋。小学校までは首席を通すほどの秀才であったが、父が政治に入れ込み財産を失ったところで亡くなったために、家を売り、叔父の豆腐屋で手伝いをしなければならない。当時の義務教育は6年間だったので、小学校卒で仕事につく少年は数多かったのである。毎朝、叔父の作る豆腐を天秤に担ぎ、一日中売り歩く。そして夜学に通う。彼は母思いであり、心根はやさしく、大志を抱き、不正を憎む快男児たらんとしている。この境遇は、当時の中学生にはロールモデルであっただろう。そのせいか、彼は勉学で抜きんでるのみならず、野球でもすぐさま傑出技量を発揮し、浦和中学との対抗戦で大活躍するのである。
彼の小学校時代の友達は二人いて、ひとりは町の立憲党の政治家の息子・柳光一。彼は、吉野原三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)のコペルくんよろしく、生活に不自由はない。文武両道、眉目秀麗、正義感のつよい秀才である。ここでは作者の主張は社会認識にはないので、商品流通や民主主義について悩むことはない。
もうひとりの手塚は、医師の息子で、青木の家を買い取った成金の息子。こずるく、悪巧みにたけていて、こうもりのごとく強いものを利用し、金を使って不良を周囲にまとわせる。不良といっても、映画をみたり、女の子と会食したり、無職の青年と遊んだりとそれくらい。まあ、映画「若大将」シリーズの青大将みたいな金持ちの才子だな。この小説では悪役に徹しているが、学校卒業後は意外と起業して成功しているかもしれない。

というのも、昭和2年から3年にかけて少年倶楽部に連載されたこの児童小説では、吉野のような社会の問題を認識することはおいておき、まずは自己修養と愛校心を持つようにと強く勧めるのである。なぜ自己修養かといえば、人は生まれた家や生育する環境による差異はないが、残念なことに社会的な格差や不平等は厳然としてあるのであり、克服する道は己の心身を鍛錬し、強くすることにある。その鍛錬によって、同じような自己修練の結果、仁徳をもつに至った人間性の高い大人に認められて、必ず立身出世の道が開けるのである。途次においてさまざまな誘惑があるが、それに打ち勝つ強い集中が必要であり、家族愛や愛校心から始まる共同体への友誼と感謝をもてばよいのである。このあたりが、作者の主張だろう。その具体的な存在が青木千三であり、柳光一であり、小説の途中で改心して勉学に励む阪井巌である。彼らのように生きろ、というのが、作者の主張。
この時代(1920年代)は、白樺派あたりの教養主義と大正デモクラシーがあった時代。とはいえ、作者はそれに背を向けて、一世代前のナショナリズム運動を提唱する。まあ、大日本雄弁会の発行する雑誌の理念をまさに具現化しているわけだ。理想はおいておき、小説として成功しているのは「ああ玉杯」くらいか。「少年讃歌」はいい子しかでてこない失敗作。
少年のときの自分はこの小説に熱中したわけだが、その理由を考えるとこういうことか。
・チビ公は中学にも師範学校にも通えないので、夜学の黙々塾にかよう。東大の出でありながら、立身出世に背を向け、貧困のうちに上のような理想を熱を込めて語る黙々先生。その周囲には貧乏人の子供たち。皆熱血漢で理想を純朴に信じる子供たち。黙々先生の塾の卒業生で、毎日曜、通ってくる一高生の安場。彼らの疑似家族的な紐帯が、理想的に見えたのだね。同じ家にいる父や母がうっとうしくなった中学生にとって、家族から離れた暮らしができ、しかも優れたメンターに保護されているというのはそうありたい環境だった。
・野球の描写が詳しいのは、作家や雑誌の趣味かな。このころには大学野球が人気になっていて、甲子園大会も回を重ねていた。おいらも熱中した時期には、野球に熱心で(プレイすることではなく、情報を集めること)、昭和の初めの野球が興味深かった。野球の試合の描写は、すでに現代のものになっていた。この国の野球小説は高橋源一郎「優雅で感傷的な日本野球」(新潮社)くらいしかしらないが、新聞や雑誌の文章はこの小説の影響の範囲内だと思う。
まあ、今日の若者が探して読むほどのものではなく、老人のノスタルジーをかきたてるには役立つだろう。北杜夫「どくとるマンボウ青春記」や畑正憲「ムツゴロウの青春記」は敗戦直後の旧制中学や新設の高等学校のバンカラな青春を描いているのだが、その系譜でたどれる前駆作になるので、上記のファンは読んでもいいかも。それもまたノスタルジーをかきたてるのに役に立つか。とことん後ろ向きだな。
作者自身の思想を表明していると考えてよいわけだが、実際の作者の息子は「グレ」てしまった。ハチローはペラキチになり浅草に出入りしていたし、他の3人も乱脈な生活を続けた生活無能力者で、破滅的な死に方をしたとの由。教育の思想をもっていて子供がもその通りに育つわけではないというのは、ルソー「エミール」でもそうだったなあ。
佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて/少年讃歌」→ https://amzn.to/4bnks7n https://amzn.to/3F6Tvsv
「ああ玉杯に花うけて」は青空文庫で入手できます。→ https://amzn.to/3FfSEWj
〈追記2025/3/4〉
前田勉「江戸の読書会」(平凡社ライブラリー)をみると、黙々塾は江戸時代の私塾の流れにあるもの。私塾は支配権力とは無関係の教育機関。藩校とか幕府の学問所とは別。民間の知識人の自宅でその人が属する流派の教育が行われたとの由。子弟の身分にはこだわりがなくすべての人に解放されていて、塾内では対等の関係を持つことができた。
黙々先生は儒書を講読していたので、儒学の私塾であると知れる。塾内の自由と平等が徹底されていたのも、江戸の私塾の伝統に則る(とはいえ、身分制の肯定や強化が読書の内容だったので、矛盾を抱えている)。
黙々塾は紅緑の創案による理想の教育組織なのではなく、江戸のやり方の復古だった。なにしろ明治政府は帝国大学を作り、小学校から種々の中等教育機関を整備して、私塾や会読会の伝統を破壊していったのだった。紅緑の考えは復古革命。