新美南吉は1913年に生まれた。成績優秀で東京外語大を卒業したが軍事教練に出なかったので、中学教員になれなかった。小学教員をしながら創作童話を発表。結核を病んでいて、1943年に29歳で病没。生前は2冊の童話集しか出版されなかった。戦後友人の手で著作が出版され、それ以来の人気は知る通り。
たしか小学4年生のときに、新美南吉の童話全6巻を読んだ記憶があるけど、本当に全部だったのかなあ。有名な「ごんぎつね」「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」「手袋を買いに」などはあんまり心に残らず、題名を忘れた未完の小説の唐突な終わり方が印象に強い。たしか隣室を探索にはいるところで、その恐怖に押しつぶされそうな気持ちが不気味だった。
でもって、今回久しぶりに読み直す。どうにも自分の心が荒んでしまったらしい。まるで面白くなかった。むしろイライラさせられた。作家が小説を書いたのは、経済も文化も統制された時代であって、自由な思想を表現することは難しいという事情は勘案しよう。でも、小説の底流にある強いものの論理と倫理というのが、自分には了解できない類のものだった。
話はずれるが、中江兆民が「三酔人経綸問答」(岩波文庫)を書いている。1887年に書かれたこの本では、三人の論客が酒を飲みながら国の行く末を議論するという趣向になっている。その中に「豪傑君」がいた。彼の方針は、20世紀前半のこの国の政治や経済の進め方になった。その主張を思い出すと、豪傑君が童話を書いたのならば、新美南吉になったのだろうと思う。
最初の「張紅倫」(17歳作)が典型。日露戦争で負傷した将兵を現地の人が助ける。その10年後、将兵が帰国して会社を起こす。会社に来た行商人が負傷看護のお礼で渡した時計を持っているのに気づく。行商人は否定するが、そのあと本人であることを手紙で告白する。あなたが立派におなりになったので、私のようなものと関係があったことは知られてはならないことだから否定しました、ごめんなさい、こういう内容。将兵は現地の人に憐憫をするがそこまで。現地の人は謙虚で将兵にかかわらないことを選択する。ようするに強いものの論理と倫理なのだよな。「手袋を買いに」では主人公のきつねは弱い側。強い側にいる店の主人の温情で、手袋を購入でき、きつねの母は感謝する。ここでも弱いものは強いものの憐憫や同情に感謝することが要請されている。
「花のき村と盗人たち」「牛をつないだ椿の木」では、意思疎通のできないような人たち(貧しいからとか盗人であるからとか)でも、善意に触れ、好意を示し、真意を吐露すれば、他者に認められる。でもそれが通用するのは、村や集落や学校のクラスの内側。その外(動物とか他国人とか)にはその種のコミュニケーションはあり得ない。その代わりに上記の強いものの論理と倫理が現れる。他の童話や児童小説でも同じ。
解説者によると、他者との触れ合いを求める切なる情、失われゆくもの消えゆく者へのノスタルジー、友愛の共同体、自己の存在の不安定などが主題という。そのとおりでしょう。全く同意だけど、それがこの国のインサイダーには通じるけど、その周辺にいる人たちへは通じないよなあ。どうにもなじめなかった。