odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

浅野裕一「孫子」(講談社学術文庫) 戦争の暗黙のルールを共有していない「敵」との戦略や戦術立案に有効かどうかは疑問

 テキストクリティークの話から。もともとは紀元前500年ころに成立したといわれるが、自著ないし当時の本はもちろん残っていない。孫子の稿本は遡っても宋の時代(960-1279)まで。その写本は限りない人の手を経ていて、本文と注釈の区別がつかなくなっている。そこで、現在読まれる「孫子」は、1)孫武の書いたものがほぼ忠実に残る、あるいは孫ピンの書いた兵法書との編集版である、2)曹操が取捨選択した簡易本である、3)後世の偽書である、の3つの説があった。そこに、1972年、前漢時代の竹簡が発掘された。それは、現行の孫子本文とほぼ同じであり、1の孫武の書いたものであるという説が実証された。こういう「本」の伝承とテキストの検証はブッキッシュな自分にはとてもおもしろくて、ときに本文よりもこういう検証の歴史の方が興味深いのだ。

 さて、内容は世界最古の兵法書であることにつきる。紀元前500年ころといえば、徒歩・牛馬車・小型船くらいの交通手段に、人の移動による通信手段しかなく(無線、電話、写真などずっと後の話)、兵器もごく初歩的(銃器はこの2000年くらいあと)、正確な地図もないし時計もない。そういうきわめて制限された中で、長距離の遠征をして、日付を合わせて別働部隊と協同作戦を実行し、諜報戦をやってのけるというのに驚く。とはいえ、時代の制約がこの本にはいっているのであって、そのままでは実施に使うことはできない。そこは、これを読んで現代の可能性を見出さなければならない。たとえば、毛沢東の「遊撃戦論」(中公文庫)は孫子の可能性の中心を的確につかんで、現代(1930-40年当時)に再生した稀有な書だといえる。
 内容については、いうまい。エッセンスだけしかない本をさらに要約するのはできないし、その種の本はたくさんある。
 俺が気の付いたのはこういうこと。
孫子は、戦争は外交内政の問題解決を図る最終手段でやむを得ない時にだけ、使用しなさいという。というわけで、指導者や経営者はこの本だけでは不十分であって、国家や組織の経営論、ライバル・同業者との外交論などをまず会得しなければならない。孫武の時代には諸子百家の論があって、諸王は兵法家のほかの参謀を登用して、国家運営方法を研究実践していた。そのような国家運営指南の一分野である兵法の記述であることに注意。
・戦争の経済に触れているのが、この本の特徴。それは数多ある解説書ではきちんとふれられているのかしら。あいにく貨幣経済、資本主義もない2500年前の記述は参考にならないので、ポール・ポースト「戦争の経済学」(バジリコ)で補完しておこう。
孫子の兵法は当時の戦争の暗黙のルールを前提にしていることが予想される。たとえば、指揮官が逃走したら決着がつくとか、非戦闘員は殺傷しないとか、戦端を開くときは互いに合図しあうとか。そういうこちらと敵方が戦争の暗黙のルールを共有しているときには、ここに書かれた戦略、戦術、兵站、組織は有効になる。でも、ときにルールを異にする敵と戦うときがあり、そのときにジェノサイドと戦争のイノベーションがおこる。たとえば、モンゴルの騎馬民族漢民族・中世ヨーロッパの騎士団・中世日本の武士団と戦ったとき、後者が持っていた戦争のルールをモンゴルの騎馬民族はもっていないために旧来の軍隊を駆逐殲滅した。西洋の軍隊は戦争経験のない中南米の国家や部族を殲滅し、アメリカの軍隊も大陸の「ネイティブアメリカン」に圧勝して殺戮した。この国の軍隊が20世紀前半に圧勝していたときには、宣戦布告と同時の奇襲攻撃や電撃戦爆撃機による長距離無差別爆撃、ゲリラ戦を避けるための三光作戦など戦争のルール破りをしていた。中国共産党やベトコンのゲリラ戦は近代の西洋流軍隊に手を焼かせ、国内から撤退させた。飛行機ほかを使った特別攻撃は効果がなかったに等しいが、一般民に装った自爆テロは正規軍を悩ます。そんな具合に、当時の「主流」の戦いかたは前者の「野蛮」な戦争に負けることになる。あいにく「孫子」からそのような歴史はみえてこないし(なにしろ2500年前に書かれていたからね)、暗黙のルールを共有していない「敵」との戦略や戦術立案にこの本の内容は有効ではない。
・そういう意味ではこの本の読者は、毛沢東の前掲書に加え、チェ・ゲバラ「ゲリラ戦争」(中公文庫)、ヴォー・グエン・ザップ「人民の戦争・人民の軍隊」(中公文庫)あたりも見ておいたほうがよい。まあ、こちらのゲリラ戦はビジネスや保守的な人生訓の参考にはならないだろうがね。