odd_hatchの読書ノート

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吉野源三郎「同時代のこと」(岩波新書) 1960年代のベトナム反戦運動の理論的な水準を示す一冊。

 著者は1899年生まれ。東大哲学科を卒業。マルクス主義を勉強して、現実変革の意思を持ったが、当時はかなわず。戦後は岩波書店の雑誌「世界」の編集長を長く務める。「世界」の関心には日米安保条約があり、その関連でヴェトナム戦争のレポや論文をたくさん載せていた。この新書には、著者の講演などが収録されている。

2013/04/02 吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)


同時代のこと1974? ・・・ ロシア革命は同時代の新聞報道で知ったが、世界史的な意義はさっぱりわからず、レーニントロツキーも知らなかった。とりわけ心をうったのはジョン・リードの「世界をゆるがした10日間」。同時代の事件や人々を一緒に体験することで、物事の世界史的な意義を知ることができる。まずい方法は、1)理論優先で、現実を理論にあてはめて解釈すること、2)歴史家の公平な視点にこだわって、現に起きていることを無視すること、3)政治的な要求にあうように現実を改変して記述すること、など。ともあれ、重要なのは「現場」に出て人と事件に会うこと。解釈や理論化はそのあとでよい、というのが主張かな。
終戦の意義とヴェトナム戦争1965.8 ・・・ 1965年の終戦記念日に行った講演から。敗戦の意義は、この国に1)人権尊重が社会の合意になった、2)そのうえでの平和の実現が社会の要求になった、3)そこには占領期間中の独立の制限の経験が重要だった、にある。そこで、独立後のこの国の要求は平和と民主主義と独立で、それを諸外国にも実現することが必要。他国の軍事行動には抗議すべき。なお「米帝反対」というスローガンは意味ないよ、とのこと。
ヴェトナム反戦ストライキの意義1966.10 ・・・ 国民主権である国家で、政府が対米協力をしていることは、民意を無視していて、憲法違反にあたる。だから、ストライキには意義がある。
ヴェトナムを忘れるな1971.11 ・・・ この年アメリカの政策転換があった(ヴェトナムとのパリ和平会談、ニクソン大統領の訪中、ドルの金交換停止など)。それを導いたのはヴェトナムの不屈の精神。まあ、太平洋戦争の消費量の2倍の砲弾を撃ち込んでもヴェトナムは敗戦しないし、まったく効果がないというレポートがアメリカの大学から出る始末。合理的・システマティックな戦争技術と政策が失敗しているのだが、1946年以降の反共政策にとらわれて、自ら中止することができない。困るのは、この国の政府がアメリカの政策変換にたいし、情報を持たず確たる方針・施策をもたずに右往左往している。この見苦しさは、対米協力に徹して緩ま湯につかってきたこの国の政治家、官僚、財閥の能天気さに由来する。
モスクワ会談と現実主義1972.5 ・・・ この年にニクソンとブレジネフの米ソ首脳会談が行われ、その帰趨を考えるというもの。このとき著者は、この会談において当事者であるヴェトナム政府が呼ばれていないことに注意を促し、米ソ大国間の権力政治(パワーポリティクス)になりかねないことを懸念する。念頭にあるのは1938年のミュンヘン会議。ヒトラーの賭けにチェンバレン他が妥協したことでチェコの人民が悲惨に陥ったことを思い出す。
1972年3月30日以後1972.9 ・・・ 戦略的撤退を決めてソ連の了解を取りたいアメリカではあるが、面子のためか状況のためか、むしろ兵員の増員と攻撃の熾烈化を進めているという矛盾。そこには、民主主義の国の理念がなくなっている。それに対してヴェトナムの人民の士気と民主主義理念の崇高さにはうたれるという指摘。
一粒の麦1973.4 ・・・ 1973年1月29日にニクソン大統領は「ベトナム戦争終戦」を宣言し、「終戦宣言」から2か月後の3月29日には撤退が完了した。しかし、ケネディ政権時代から南ベトナムに派遣されていたアメリカ軍の「軍事顧問団」は規模を縮小し南ベトナムに残留していた上、航空機や戦車、重火器などの軍事物資の供給も行われていた。ホー・チミンの生涯を追う。1920年、パリ留学中のホー・チミンがレーニンのパンフを読んで民族解放、独立をめざし、一貫してその運動を継続したことを記す。現実と理論のかかわりについて哲学的な議論をしているが、興味がわかないので、まとめない。


 1960年代のベトナム反戦運動の理論的な水準を示す一冊だと思う。そのエッセンスは最初の「同時代のこと」にまとめられる。この時代の大人は多かれ少なかれ15年戦争を何らかで知っていて、この国が「生産力」「科学力」の不足で負けたと総括していたとき、ベトナム独立戦争の不屈さは驚異的であった。もちろんソ連、中国などからの軍事・経済援助があったにしても、前線で戦う兵士や家族、一般民衆の闘志は敬服する倫理的な強さがあったのだ。そのあたりへの驚きは、別の本の方が詳しいかな。
 一方で、物足りなく思うのは、雑誌編集者というインテリの書いたもので、年齢もあるにしても、新聞雑誌の記事からまとめた文章であるということ。ここには、ベトナムという場所の熱気や硝煙のにおいや爆撃の高音が聞こえないし、この国の多くの場所で行われていたデモや反戦集会やチラシまきなどの運動のざわめきや汗臭さがない。著者はしきりに「現実」をそのままとらえろというが、どうもとらえそこなっているみたいだし、理論に現実を当てはめて解釈するのもやっているとみえる。最後の論文あたりの味気なさがその一例。
 まあ、ベトナム戦争を知るには不足がたくさんある歴史的な文書になった。ここでは、著者の誠実さや愚直さは15年戦争を知る人(知り合いや燃焼の友人を戦争で失う経験をしていて、自分が生き延びたことに後ろめたさをもっている)に共通するものであって、ここでは「虐げられた人々」に共感し、その立場に立とうとする姿勢を学ぶことになる。