登場人物のすべてがプロであって、そのプロがおのれのプライドにかけて任務を達成しようと意気込んでいる。そうすると、どのような危機も克服できるのであって、その克服の方法が素人のわれわれの予想を超えているのであるから、われわれは神のごとき「上から目線(へんなことば)」で彼らの冒険を安全なところで覗くことになる。その立場にあると、全体を把握できない登場人物に読者はすこしだけ先を見ることができて、自分が安全なところにいることに胡坐をかく。こういう読書は願望充足のためなのだろうな。
さて、物語は三つのグループの視点で語られる。
最初のは、傭兵たち。アフリカ・コンゴという政情不安定な地で、エボラ出血熱によくにたウィルス感染症が発見される。パンデミックの可能性があるということで、コンゴの原住民ピグミーの集落を殲滅する計画が立てられた。政府直属の組織が使えないので、民間警備会社(すなわち傭兵)から4人が選抜される。リーダーのイェーガーのほか、マイヤーズ、ギャレット、ミック。イェーガーは息子の不治の病の治療費を稼ぐため、ギャレットは強制収容所の拷問の実態を暴くため、とそれぞれの思惑をもって傭兵に参加していた。彼らは一か月の訓練ののち、現地に投入される。ようやく目的の集落をみつけたとき、そこにはウィルス感染の事実はなく、コンゴの内乱で脱出できない人類学者ピアーズと、異様な風体の子供を見つける。
次のグループは、日本人の薬学専攻の大学院生。ウィルス研究者の父が突然死んだあと、奇妙なメッセージを見つける。ふたつのパソコンをもって、指定の住所に行け、他言無用、警察などの監視が始まるから慎重に、と。もうすぐ取り壊されることになっているアパートには1千万円も費用をかけたと思われる実験施設。そしてパソコンには創薬の指示がある。俺にはできるのかと暗然とするなか、肺病であと数か月で亡くなると目される少女を見て、大学院生・古賀研人は一か月で未発見の薬物を合成しなくてはならない。そのときから、彼の身辺を公安が嗅ぎまわり、家にも大学にも戻れなくなる。たのみになるのは、父の残したキャッシュカードと、韓国の留学生。そしてパソコンの創薬ソフト、そして時々かかってくる正体不明者からの電話。電話はこれから起こることを正確に予知し、研人の危機を救うことになる。
最後のは、合衆国大統領バーンズによる「ネメシス計画」。40年前、ハイズマンという学者の未来予測レポートが人類の危機を訴えていた。核戦争やパンデミックのほか、五番目は人類の進化であった。200年前、人類の祖先のサルが分岐したあと、数々の種が発生しながら、現在のヒトザルだけが生存している。それはヒトザルは他種よりも残虐で好戦的であったから。そのようなヒトザルから生まれる新たな種は、ヒトザルよりも賢く、しかも残虐であるだろう。とすると、新たな種はヒトザルの脅威になるから殲滅しなくてはならない。そして、新たな種の誕生がコンゴの現地人ピグミーにあらわれたという報告が入った。そこで新種の個体を確保し、殲滅するために「ネメシス(復讐の女神)計画」が始まる。
タイトル「ジェノサイド(一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為)」は、ネメシスによる新種殺戮だけを意味するのではない。コンゴの民族紛争、イランの宗教原理主義者によるテロリズム、アメリカに「民主主義」のための戦争で行われる残虐行為、ナチスの絶滅収容所、アメリカの黒人奴隷貿易などなどの数々の残虐行為を指す(物語の舞台のために、アジアで行われた残虐行為はさほど触れられないが、作者が無視しているわけではない。韓国人留学生の境遇に反映している)。そのような「度し難い」愚行を繰り返す人間の「本性」が、ヒトザルが進化の過程で獲得してきた残虐性、好戦性にあるのではないか、と指摘する。これに反論するのはなかなか難しい。ときに、ハイズマンのように人間は滅びてもよいのではないか、と納得するときがある。作者は、そうではない、と最後にメッセージを送るが、この小説で描かれる死体の山を前にすると、説得的とは思えない。このように人間の残虐性についての議論は通り一遍、表層的。もったいなかったな。「カラマーゾフの兄弟」のイワンみたいな激烈な告発者が哲学的神学的議論をすればとはおもったけど、これはミステリーやSFではなく、冒険小説だからね、仕方ない(笠井潔でさえ「ヴァンパイア戦争」や「サイキック戦争」ではその種の議論の深まりを書き込めなかったし)。
(続く)
2014/07/24 高野和明「ジェノサイド 下」(角川文庫)