巴里について2年たち、根なし草の生活が板につくようになってきて、詩想も消えていく。それに若くない。妻・三千代は父に預けた子供のことが気になって仕方がない。それにかの国では日本の評判は下がる一方であり、不況はますます肩身を狭くする。ベルギーの親日資産家が帰国のための金を捻出する手助けをしてくれた。まずは、金子が先に帰り、生活のめどを立ててから、三千代を招くことにした。そうして帰国の途につきながら、金子はシンガポールに根城をつくり、マレイにスマトラにと足しげく移動し、熱帯夜のなか、ビルマから安南にも羽を伸ばそうかと夢想する(当時安南には、少女のマルグリッド・デュラスが生活していた。「愛人」を参照)。マルセイユを出るときは、船賃と1か月分足らずの金しかないのに、それは瞬く間に消え、在留邦人の間を歩いて、金策をしなければならない。
時は1931年。マルセイユ出港の日に満州事変勃発のニュースをよみ、シンガポールについた時には排日運動が盛んになっていて、いささか物騒な目にも合う。一旗揚げようと南洋に出てきた新種気鋭の連中も、懐中がとぼしくなり、排日の目にさらされるとなると、不況で職のない本国がまだましとみて帰国の途に就くものが多い。それが正解であったかどうかは、この先15年を経たないとわからない。
ヨーロッパにいるとき、詩人はその町を歴史や知識でもってみることになる。街角の風景、人々の会話、寒々とした空気、そうしたものを思い出すとき、手がかりになるのはさまざまな絵画。先人の描いた絵や文章でもって、現在の都市と人々を描く手がかりとする。それは、先人の目と耳でもって、都市と人々を観察すること。その方法が、シンガポールにつきマレイ半島をうろつくときには使えない。そのような記号の歴史は堆積していない。湿度の多い自然は、観察者のあたまを茫洋とさせて、「認識」することを妨げる。著者はしきりに寝る。ホテルで、寄宿先で、連れ込み宿で。
代わりにあらわれてくるのは、エロティックな関係か。シンガポール港ですれ違ったシャム系女性の後を追い、マレイのバトパハでマレー系の女性と半同棲になり、シンガポールの寄宿先に出入りするハーフの男が娼婦を紹介し妾になれとけしかけられ、著者の周辺には脂粉の匂いが途絶えることはない。とはいえ、マルセイユにおいてきた妻のことも気がかりであり、子供の顔もちらほらするとなると、エロスの誘惑はシンガポールに根を生やすまでの力を持たない。なにしろ、巴里のような漂泊で根なし草の自称芸術家がここシンガポールはまったくいない。企業や官庁が送り込んだエリートに、出稼ぎにきた零細労働者ばかりとなると、生活のわびしさ厳しさが著者の眠りを時に妨げることになるのだ。
どこまでも自堕落になれそうな著者がどうにか奈落に落ち込まずに、生活するところに踏みとどまれたかというと、この本からは酒を飲めないというただ一点しか思い当たらず、この三年の放浪と漂泊がいつどこでも転落しかねない、きわどいところにあったと思える。さすがと、3年以上の外洋暮らしは著者の若さを摩耗したとみえ、帰国の直前でさえ女のところでぐずぐすしていながらも、老いを自覚せざるをえないとなると、旅の終わりのわびしさ淋しさは北風のような寒さを感じさせる。
とはいえ、ようようのこと妻の実家に戻り、子供と6年ぶりの再会を果たした時、そこに発見したのは不在の妻による書置き。そこにはあと半年子供を預かってもらって、自分は根を張るために東京に先に行くと書いてあるとなると、旅への誘いは著者のほうがしたのであるが、結局のところ、旅で図太くなったのは女なのではないか。エロスの誘惑はついに生活の先にいくのか、と女の不可解さを思い知らされることになる。
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