odd_hatchの読書ノート

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石川淳「焼跡のイエス・処女懐胎」(新潮文庫)

 読み始めて異様に思うのはいつまでたっても読点を迎えない文章で、一文が40字詰めで3行4行続くのはあたりまえ、1ページに喃喃とする文章は珍しくもなく、途中で会話が加わってようやく読点を見出すという次第。そのうえ文節ごとに景色は変転し、人間の感情もまた幾多な物思いにふけるという、近年の文章作法から言うとおかしなものでありながら、それでいていい日本語を読んでいるという心地よさに満たされていく。主人公のモノローグはきわめて卑小な市井の俗物どもと思えるかのようでありながら、ときに無窮の観念と戯れながら人生の深遠に届くかと思う厳しさを見せる。こんな具合に強烈な影響を与える文体ではあるのだが、それを芸術として結晶化したとなると、これはもう石川淳のみに可能であったということになる。そうでなければ、敗戦直後の汚わいにまみれた年若い浮浪児にイエスを見ることはとうていできることなぞなく、ボロの背中に神の光輪を見出すのはどうしても作者の文章の中においてほかはない。
 この文庫に編まれた短編は比較的若い時代の作(といって敗戦の年に40を超えているのだから、この人の文学運動は非常な年季が入っている)。「わたし」なる主人公がいて、人情の機敏にふれていて、日常生活の自在な描写のなかからほのかに幻影が浮かび上がるというところは、晩年の壮大な作とはすこしばかり異なる。場合によっては、戦前の「私小説」を想起させたり(「葦毛」)、敗戦直後の太宰治「斜陽」を思わせたり(「処女懐妊」)、荷風遊郭ものを思わせたり(「かよい小町」)もするが、そこに書かれたことは先行作の模倣であるどころか、それらの拠って立つところをはるかに超えて、数千年分のビジョンを垣間見させもするものだから、その文学の射程というのははるかに遠く長い。

葦手 ・・・ 「普賢」(集英社文庫)と重複。

山桜 1936 ・・・ 30がらみの貧乏な画家。食うに困ってかつて恋愛していた女の実家に無心にいく。やけにひとなつこい子供に、怒り狂った夫。今は人妻になった女は見向きもしない。彼女に声をかけると。それはネルヴァルの外套に魅かれてさまよい歩いた町の山櫻の見せた幻か。

マルスの歌 1938 ・・・ はやり歌「マルスの歌」がどこでも聞こえる時代。マルスは軍神マーキュリーで、軍歌のいいか。古い戯曲にはまる妻が、唖や聾の真似をして夫と遊んでいる中、ガスを開けっ放しにして死んでしまった。事故とも自殺ともいえない状況。通夜の最中に夫に赤紙がくる。5日後には入営しないといけないのに、夫は妻の妹と遊びに出かける。書けない作家が彼らの後をうろうろと追い、なんとも重苦しくやりきれないその当時の空気に次第に読者が押しつぶされていく。この作が「反戦的」とみなされて、作家はしばらく自作を発表できなくなる。その間の仕事が「癇癖談」のような江戸文学へのかかわり。

張柏端 1941.10 ・・・ 「おとしばなし」(集英社文庫)と重複。

焼跡のイエス 1946 ・・・ 昭和21年7月晦日。翌日には上野の闇市が撤去されるという日、「わたし」は闇市をうろうろとしている。そこにボロとデキモノの少年が現れる。市の商人にこっぴどく追い払われ、古いオニギリを盗み、「わたし」に襲いかかって金をとる。威風堂々と闇市を闊歩する少年に「わたし」はイエスを見る。彼はキリスト(救世主)ではないが、単独者として世界と対峙しているのではないか、と。翌日、撤去された闇市は荒涼と寒々しい。

かよい小町 1947 ・・・ 昭和21年。焼原はバラックで埋まったとはいえ、復興はままならない。泥道のぬかるみに銭湯帰りと見える二人の女、妙に気をひかれて年増の後を追うと、数駅先の待合に入る。一見さんお断りの料亭を強引にはいり、懐のすべての金を女給に預けると酒肴に加えて先ほどの年増がくる。金がきいたのか、そのような店なのか、そのまま伽の部屋にいく。寝入った年増女の胸元にのぞく聖なる印。即座に結婚を決意し、翌朝には夫婦然とした帰路に就くのである。その一方で、年若の女は共産党赤旗に小鼻を膨らませ、赤旗をへんぽんとひるがえす。行き過ぎるのと見送った後、年増と唇を振れあわせる。

処女懐胎 1947 ・・・ 経済復興はまだまだで多くの人は貧困において平等であったわけだが、ごく少数は戦前の資産を残していて生活のわずらいなくすごすことができたのだった。浪越利平もその一人。戦前の貿易商でいまは開店休業、再起を目指して店を再建。大江徳民は元軍人でいまはするころがなく、最初の参議院選挙の出馬を考えている。こういう生命力たくましい大人たちに対し、利平の娘・貞子と大江の息子・徳雄はいささかふわふわした生き方に見え、生活の具体を持たない。徳雄は貞子に求婚したものの色よい返事はもらえない。この若い二人は、ピアノ教師の看板を出すが実際は内縁の妻ともいえる陽子のひも然とした都賀伝吉のもとにかよう。この中年男は先祖の遺品をことごとく売り払い65万円の大金で豪勢な暮らしをしている。伝吉も徳雄への意趣返しか貞子に求婚し、二人の間はぎすぎすするかと思えば、そういうことはなくヤミのウィスキーを飲んだりもする。貞子17歳は都電で体調をくずしたあと、しばらく寝込むと懐妊したのであった。もちろん徳雄とも伝吉とも交渉のあったわけではなく、これこそIHS(人間の救主イエス)の恩寵かを思わざるを得ない。事実や意味などここでは一切考慮されることはなく、貞子が本当に妊娠したのか想像妊娠なのかの詮索もおこなわれず、彼女の精神の動きにふりまわされて、ふりまわされないとする男どもを笑いのうちに読めばよい。

変化雑載 1948 ・・・ 闇市のたつ町の中にモミジ屋なる便利屋がある。花と茶の家本教授の看板を出して、ときに渋い着物でで帰ることもあるが、安いシャツを着ていると花札の絵柄が背中に見えるというやつだ。このモミジ屋、世間の荒れる時代には便利であくどいやつと見え、ご禁制の酒を提供する。なじみになったら、秋の名月を肴に飲みませんかということになり、不思議な女のいる小屋に連れて行かれる。出入りのある合図とともに真っ暗になり、女の手を握ったのがいつのまにかススキの穂に入れ替わっていた。この作家の小説ではたいていのことは明確になるのだが、珍しく女の正体はあいまいなまま。

喜寿童女 1960 ・・・ 江戸下谷町の芸妓・花が喜寿の祝いの席の後神隠しにあった。その後の消息は不明であるが、語り手は古本の中にその後を書いたものを見つけた。清の秘儀でもって不老童女となった女の怪奇譚。ここは作家の辺々自在な文体を楽しむ。物語の虚と歴史の実が交錯し、離れて、その光芒に女の妄執が浮かんで消える。


 闇市の猥雑で祝祭的で緊張感のある雰囲気は21世紀にはもはや味わえない。なにしろその場所にいることで、売り子だろうが冷やかしだろうが逮捕勾留の可能性のある場所だったのだ。こちらはフィルムで想像するしかないが、それを補完するにあまりあるのが、作家のこれらの小説か。取材したのか、日常的に行き来していたのかの詮索は不要で、ともあれ文章からにおい立つ闇市を味わえばよい。
 忖度すれば、この闇市「至福千年」の乞食部落であり「狂風記」の裾野であり「六道遊行」の盗賊たちの暗躍する奈良平城京であるだろう。戦後数年間にだけあり、その後消失した闇市(に集まる諸力の束)が小説復興のカギになるとみたのだろう。
 おなじく、焼け跡の浮浪児にかいまみたイエスの姿が、上記の後年の長編で活躍する運動そのものの人間の原型である。理屈や知情意は行動の後からついてくるような運動そのものの。

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