odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

東野圭吾「パラドックス13」(講談社文庫) 極限状態は法を書き換えるが、男は性差別を乗り越えられない

 ある日あるとき、上から13時ちょうどから20分まで行動を控えろという指示が下りてきた。おりから暴力団だかやくざの一斉検挙の突入時刻。躊躇する警視庁グループの前で、所轄の巡査が突入してしまった。追いかけて止めようとしたところ、相手は発砲。その直後に、ひどい揺れが起き、失神してしまう。
 目が覚めると、東京から人がいなくなっていた。人だけではなく、一切の動物も。コンビニに食料品は満載、電気・水道・ガスは通じているが、人は一切いない。驚いてあたりを捜索すると、どこかで人の声が。右往左往の末、生きている13人を見つけることができた。大量の食糧に、生きているライフライン。どうにかなるかと思ったが、保全要員がいないので早晩ライフラインは途絶えるだろう。ロジスティックが途絶えているので、食料は補充できない。そこに巨大地震、続けてゲリラ豪雨。道路は寸断、ビルは崩壊、コンビニや飲食店は壊滅。次第に町は荒廃し、地面はスポンジ状になり崩落をつづけ、ビルが倒壊し、自動車が火災を発生する。エリートコースの警視をリーダーに、その弟、女子高校生、成り上がりの不動産屋とその部下、母娘の親子、看護婦、老年の夫婦、生後数か月目の乳児、そしてやくざ。彼らは被害を避けて動き出す。とりあえず目指すは首相公邸。そこは災害など非常事態を想定したバックアップのしくみが最もそろっているから。そこまでの10㎞ほどの行程も。現在の非常時では、1週間はかかる。
 寄せ集めで、それぞれの経歴が異なり、非常時の対応訓練経験のない素人が、サバイバルするために四苦八苦する。なるほど他人のいない社会、十数名が乏しい資源を分かち合う状況では、貨幣や貴金属の意味がなくなる。生産設備も市場もなくなったこの社会は資本主義と貨幣と労働と家族のなくなった<ユートピア>状況に近い。しかし、そのようなのんきさは、別のフィクションにはよくあるものの(「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」あたり)、ここでは悠長なことを言っていられない。地震ゲリラ豪雨、洪水に津波。さらにはインフルエンザ。21世紀の都市に起こる災害がまとめてやってくる。その上に食料・水・燃料の不足。都市はそこに住む市民だけでは生きていけない。
 面白いのはそこにおいて、道徳や規範が書き換えられること。すなわち、リソース確保が最優先であり、窃盗程度では処罰はない(しかしグループに敵対的、非協力的であれば、犯罪をおかしていなくてもグループから放逐される)。安楽死はグループ成員の全員の賛成で合意され、実行される。性差別が起きると、男女の協力関係が消滅し、男の懇願や権力では解消しない、など。ここで起きる新たな道徳や規範、ルールは、われわれ読者が所属する物理現実で運営される法治主義よりももっと厳しい。愚痴や怠惰、泥酔のような読者の物理現実では容認されることが、この極限状況では<犯罪><罪>であると断罪されるのだ。さてそのような厳しさに読者はついていくことができるか? 
(過酷な環境からの脱出というテーマで思い出すのは、ラッセル「どこかで声が@わたしは無」ブラッドベリ「霜と炎」「長雨」どちらも@ウは宇宙船のウを思い出す。ここでもルールや規範が作り直される。マンガ、映画には山のようにある。)
 自然災害に新たな道徳・ルールの創造など、登場人物には過酷すぎる状況が押し付けられる。人間性を暴露することにかけては容赦なく、どのような男女にしても、隠しておきたいこと・人に言えないことは他人に暴かれ、あるいは自ら告白しなければならず、社会関係やペルソナで隠されていた憎悪や偏見があからさまになり、だれもがみじめで情けない姿をさらけ出さなければならない。ここらの緊迫感はよい(とはいえキャラクター造形は類型的で、ページを繰るほどに醒めてしまうのだけど)。そのうえ、自然災害は都市を破壊しつくし、彼らは脱出できないことがあきらかになっていく。この閉塞感・絶望感もよい。2009年作。自分は、CGを多用した、21世紀のパニック、サバイバル映画を思い出す。細かい描写があっても、生活感がないところなど。
 さて、13時からしばらく動くなという命令、その直後の世界の激変であるが、すれっからしの読者である自分には、1950年代の二つの長編小説のアイデアであることがすぐにわかってしまった。長年あのアイデアを使う作品は現れなかったので(古い小説で、入手が困難なのもあって)、現代の読者には衝撃的であるだろうな。古いのはコメディで登場人物たちにはご都合主義のような救いがあるのだが、こちらは悲痛なサバイバル小説。古い長編小説も読んでほしいが、タイトルをここでは書けないので、秘密の日誌に書いておくことにしよう。