odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「喉切り隊長」(ハヤカワポケットミステリ) 1805年イギリス侵攻をたくらむフランス軍で起きた歩哨連続殺人。ナポレオン、フーシュ、タレーランが登場する歴史ミステリ。

 ときは1805年。フランスの皇帝になったナポレオン・ボナパルトは宿敵イギリスを征服するべく準備を開始していた。パリから馬車で二日かかるブーローニュに軍隊を集め、最新鋭兵器である軽気球100台の訓練にいそしんでいた。しかし、ナポレオンはイギリスとの交渉に時間をかけ、なかなか軍隊は動き出さない。やきもきしているなか、駐屯軍に戦慄が走る。夜間の歩哨が突然刺殺されるという事件が立て続けに起きる。しかも犯人は姿を見せないのに、現場には「喉切り隊長」と名乗るカードが残されている。全軍に恐怖が走る。ここにおいて、皇帝は警務大臣ジョゼフ・フーシェに一週間以内に犯人を捕らえるよう命じた。

 このような大状況が描かれるのは探偵小説としては珍しい。ストーリーの中心に、このナポレオンの戦略・戦術をどうみるか、ナポレオン・フーシェタレーランという三巨頭の思惑がどうなるかというのがある。上記「喉切り隊長」の仕業の意図も、大状況をみないことには理解できない。作家がフーシェにフォーカスを当てたのは当然で、この国だと有名ではないが、王政-革命-ナポレオン帝政を巧みに生き抜き、それぞれの異なる政権のもとで権力を獲得した稀代の「悪党」だから。彼が登場するだけで、うさんくささがまし、陰謀が進行中ではないかと疑念にかられる。
 さて、フーシェは腹心であるラウール大尉に命じてもよかったのだが、直前にフランス貴族を名乗るイギリス人を逮捕していた。アラン・ヘバンという30代半ばの偉丈夫でフェンシングの達人。本作の主人公。彼に秘かに近づいていたフーシェの情婦イダ・ド・サンテルムが、トランクを開けてイギリス政府の密使であることを暴いたのだった。しかもフーシェの手の内には、アランの元妻であるマドレーヌもいて、よく言い含めればアランは命令に従わざるを得ないだろう。描写にはないが、フーシェのほくそえむ姿が見えるよう。
 アランもまたフーシェを出し抜くことを胸に秘め、どうにかマドレーヌを説得し、監視のラウールとイダとともに、ブーローニュの森に馬車で掛ける。その後ろには、プロシャ生まれのハンス・シュナイダー大尉が追いかけ、アランと出会えばいつでもサーベルの錆にしてくれんという決意をもっている。熱血漢であるけど、頭のそれほど良いとは思えず、しかしそれゆえに冒険の危険が増すといういい役回り。
 歴史ミステリという範疇におかれることがよくあるのだが、むしろこれはモーム「アシェンデン」(自分はヒッチコック「秘密特派員」で知っているだけ)のようなエスピオナージュではあるまいか。謎よりも、敵と味方が相乱れ、だれがだれやらわからず、意図を計って自分を優位にするには知恵のみが頼りという点で。アランもまたプロのスパイよろしく、味方の寝静まったのをまって、一人ブーローニュの森に侵入する。アメリカ大統領の特務使節夫婦が勾留されているのを解放したり、軽気球隊に囲まれ誰かの発砲で爆発炎上するのを目撃したり、「喉切り隊長」と思しき殺人犯の犯行現場に居合わせ犯人と間違えられたり。それらの危機を逃れるのは、彼の見聞をイギリスの軍艦に連絡するため。サーベルで腕を負傷し、疲労困憊し、頼みの懐中時計が壊れて約束の時間に大幅に遅れている中、アランは間に合うのか。そして、フーシェが、タレーランが、皇帝がそれぞれの思惑をもってブーローニュの森に集まる。彼らのたくらみはいったい何か。
 最後に明かされる「喉切り隊長」の正体に驚愕するはず。しかもそれは史実からの逸脱は少なく、このような事件はなくてもさもありなんと納得することができる。この構想は見事。姿の見えない犯人による刺殺方法はチェスタトンの短編にその範をとっている(短編名は秘密の日記にかいておこう)のが、物足りないくらい。
 ただ、現代の読み手からすると、アクションが不足気味。冒頭から三分の一はフーシェがアランを説得するまでだけど、城の一室で人物が出たり入ったりして会話するだけ。ブーローニュの森への移動でもほとんどが4人の会話。少しアクションのあるのは後半だけど、アラン対ハンスの決闘は始まる直前に章を終え、結末は人の会話でもって知らされる。エロスは少々有。マドレーヌはたいてい下着姿でときに着替えも見せるというサービスぶり。イダも妖艶な姿をみせる(マントの下は裸も同然、だってさ)。ただ、当時の風俗のせいか、マドレーヌの聞き分けのなさとか我がままぶりとか頭の悪さにイライラして、お前らそんなロマンスなんかいいよ、さっさとアランを冒険に行かせろよと茶々を入れたくなるのは、どうしたものか。構想の雄大さに対して、物語のせせこましさがめだって、あまり高い点をつけられない。
 あと、自分の読んだのは昭和33年のハヤカワポケットミステリの初版本。なぜか古本屋の店頭に並んでいた。クロフツ「ヴォスパー号の喪失」と一緒に購入。たくさんの人に読まれたのだろうなあ。お疲れ様でした。1955年初出なので、極めて早い本邦紹介。