odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

マリオ・バルガス=リョサ「都会と犬ども」(新潮社)-1 1945年。ペルーの士官学校。軍隊生活は少年たちを鬱屈と暴力的なはけ口にむかわせる。

 ころは1945年。ペルーの士官学校。どうやら5年制で13歳から18歳前の少年が集まっている。日中は教育と訓練。それ以外の時間も厳しい生活を強いられる。ベッドメイキングに、歩哨に、朝夜の行進に、模擬戦闘に、武器や軍装の手入れに、と息つく暇がない。となると、少年の鬱屈は内部に向かうのであって、ひとつは心中の子供らしさを失うことであり(男だけの腕力による秩序だからね)、もうひとつはスケープゴートを作り出して苛め抜くことであり、さらには学年間の憎悪をあおりたてることである(まあ、年功序列が軍隊にあって、上官や古参兵のいうことには従わなければならないということだ)。この時代、アメリカやこの国の若者は士官学校の訓練を終えたら戦場にいくことがわかっていたので、モチベーションはあったのかもしれないが、ペルーでは戦闘はない。なにしろ長年の不況で市場に職はなく、資産家の息子であるとかコネを使えるとか頭の良さがあればなんとか仕事にはありつけるが、貧しい粗暴な子供たちが飯を食う簡単な選択は軍隊にはいることだった。それがまた上記のような鬱屈と暴力的なはけ口にむかうのであって、その行為の激しさはすさまじいものがある。

 全体は2部とエピローグ。
 1部は、15歳の士官候補生たちの日常。フォーカスされるのは、ジャガーという粗暴で強面の少年。アルベルトはずるがしこく立ち回りながら危機を避けていくタイプ。もうひとりリカルドは自己主張のできない孤独で攻撃を受けやすい少年、格好のいじめのえじきになり、「奴隷」と呼ばれて悲惨な目にあう。もうひとりボアという粗暴だが頭のよくない少年のモノローグが挿入。彼らの学校内の野蛮な共同生活が描かれる。冒頭に、化学の試験問題を盗むシーンがあり、それがのちにばれ、全員が外出禁止になる。リカルドの密告で盗人が判明するが、それは同じ学年生に復讐の誓いをさせることになる。ついには、野外で実弾を使った演習で、リカルドが銃弾を撃ち込まれて死亡する。その一方で、入学前の少年時代も描写される。これはよくある青春文学。女の子に気がありながら言い出しかね、仲間と悪ふざけをし、親の介入をうるさがり、失敗を重ねて成長していく。そのナイーブな感情はみずみずしいのだが、ひとたび学校の門をくぐり、激しい訓練を受けると、ナイーブさや初々しさはスポイルされて、粗暴な言葉にすぐさまパンチとキックを繰り出すゲス野郎に変身していく。大江志乃夫「徴兵制」(岩波新書)が書くように軍隊が社会不適応者を生み出していくのをリアルにみていくよう。
 2部は、事故後の反応。群像劇だったのが、3人の人物にフォーカスされていく。まずは、リカルド=奴隷は射殺された、それはジャガーによるものと告発するアルベルト。告発されたジャガー。告発を上申するために報告書を作成するガンビア中尉。この3人の描写で浮かんでくるのは「正義」について。それぞれが別の正義を体現していて、ジャガーは同窓の「組織」の規則やルールが最優先。なので、組織を裏切る密告が最悪に当たる行為。一方、ガンビア中尉は軍隊の規律と訓練。軍はもちろん上官の指示に従うことが使命であるが、それ以上に優先するのが軍律(法)であると考える。なので、自らの立場を危うくするようなことでも、軍律に反する宿舎の悪癖や訓練中の射殺はあってはならない悪なのである。アルベルトはこのような組織内部のルールやモラルには依拠しない。彼が依拠するのはもっと大きな倫理であるといえるかな。すなわち、組織や共同体ではなく、人権が最重要であるとする立場。宿舎の「組織」に縛られる同級生の規則やルールよりも、「奴隷」の人間性を大事にするという立場。
 たいていのお話ではアルベルトのような「正義」は、理解者によって達成されるものだけれど、ここでは軍の対面と自分の保身をもくろむより上の組織によって握りつぶされる。一方、ジャガーは、宿舎が家宅捜査され全員が罰点と外出禁止を喰らうことによって、ジャガーは指導者から引きづりおろされ、「密告者」の烙印を押されてつまはじきにされる。アルベルトもジャガーも自分の依拠する「正義」に裏切られるわけだ。ああ、そう、軍の正義を実現しようとしたガンビア中尉も左遷させられ、国境付近の寒冷地に飛ばされる(なので、かれはトマス・フラナガン「アデスタを吹く冷たい風」(ハヤカワポケットミステリ)のテナント少佐にきわめて近い)。「正義」がどこでも実現しないことで、読者には苦い心が残る。
 エピローグでは、士官学校卒業後のアルベルトとジャガーの姿が描かれる。あの閉塞的な空間から抜け出たことで、軍や「組織」のルールから彼らは自由になる。まあ、端的には暴力と規律で管理することから、他者を目的にする倫理の世界に戻ったということかな。1部や2部の暴力がすさまじいだけに、エピローグはさわやかな印象を残す。とはいえ、当時のペルーは不況で軍政がしかれていたから、かならずしも彼らが幸福になったわけではない。解放感はあっても、暗鬱な気分は残るのだよなあ。

マリオ・バルガス=リョサ「都会と犬ども」(新潮社)-2 に続く。

2022年6月に「街と犬ども」のタイトルで新訳が光文社古典新訳文庫からでた。