odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

「TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー」(ベースボール・マガジン社)

 本名田尻義博で、21世紀になってからアメリカのプロレス界でもっとも名の知られた日本人レスラー。20世紀だと、戦前のキラー・シクマから戦後のジャイアント馬場マサ斎藤ヒロ・マツダ、キラー・カンなどの成功者を上げることができる(ここでは日系アメリカ人のグレート東郷、キンジ渋谷、ミスター・フジなどは省く)。それまではこの国のメジャー団体が提携先の団体で「修業」することはよくあったのだが、1994年に新崎人生WWF(当時)にスカウトされた後、独力で団体を契約する選手が出てきた。なかなか敷居が高く、アメリカ随一のメジャー団体WWF(WWE)で活躍した人は数少ない。

 その中では、フナキと並んで長期契約に成功し、TVショーの常連になった人。この本は、2003年に出たから、契約して2年目のことか。当時30歳の青年がプレスラーを目指して努力し、チャンスをものにしていった半生を書く。そこには明確な目標と達成に至るマイルストーンの設定、そのうえでの鍛錬(体を鍛えるだけでなく、スペイン語の習得まで)。この上昇志向とプロジェクト管理はみならうところがたくさんある。

TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー

TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー

 とはいえ、この本が自分にとって重要なのは、ECW(Extreme Championship Wrestling)の終焉のドキュメントであること。最後の興業のレポートは、当時の週刊プロレスにも載っていなかった(著者によると、取材記者はいなかったとのこと)。なので、この本だけが唯一の証言なのだ。
 ECWの話をしたい。フィラデルフィアのローカル団体だったEastern Championship Wrestlingが、あるとき(1994年だったか)マッチメーカーがいないために興業が中止になりかけた。そのとき団体の主催者がマネージャーのポール・ヘイマンに任せた。彼は当時のメジャー団体WCWWWFにない特色を出して、この団体を成長させた。この団体に集まったのは、メジャーからも日本の団体からもお呼びのかからない連中ばかり(チビ、デブ、でくの坊、グリーンボーイ、盛りを過ぎたロートル、移民、団体の管理を嫌うわがままな連中など)だった。資金がないのでショーアップはできない。彼らの戦略は、日本の団体FMWを参考にした過激さと多彩さだった。数々のデスマッチと流血。体重100㎏もない連中の空中技。女性マネージャに試合をさせ、時にテーブルに投げ落とす。要するに、メジャー団体が緻密なストーリーとがたいのでかい口達者なスターの個性でみせていたのを、レスラーの内面までを吐露させるようなライブ感覚を売りにしたのだ。そこに観客参加ができるようになり(凶器を持参してレスラーに使わせたり、マネキンの頭を振り回したり、客席に投げ飛ばされた軽量のレスラーを受け止めて頭上に抱えあげたり)、カルトなファンを生む。ネットのない時代なのに、初めてリングに上がるレスラーの情報はすでにしっているという連中が集まったのだ。日本の雑誌やビデオを入手して回覧し、電子掲示板で最新情報を交換し合っていたという。
  この団体に入れ込んだのはファンばかりでなく、レスラーもそう。「ECW:The Rise and Fall」には当時のレスラーの証言がたくさん収録されていて、彼らが意欲満々で興行に参加していたのがよくわかる。その熱はリングで発散されて、ファンに伝わり、さらに熱気が増すという循環に入っていった。そういう創業期の一心不乱ぶりが、とても新鮮だった。
 この国では、始まったばかりのケーブルテレビで定期的に放送されたみたい。一度パッケージで興行したことがある。WINGという団体が、1994-95年ころにそっくりそのまま呼んだ。どちらも、あいにく話題にはならなかった。この国のファンはむしろ雑誌で知り、セルビデオで実態を知ったと思う。自分がそういうファンのひとり。
 1997年の最初のPPV(ペイ・パー・ビュー)である「ベアリー・リーガル」がこの団体の頂点だったと関係者は言う。そのあと、事業を拡大していったが、経営ができるのがヘイマンただひとり。人事や資金繰りがおろそかに。人気を知ったWCWWWFが選手を個別にスカウトして、次第に経営が傾いていく。
 それが終わる。経営難でギャラの支払いはできないが、ECWを愛するならきてくれというヘイマンのメッセージに数十名のボーイズ(レスラー同士の呼び方)が集まる。閑静な田舎町の体育館で、トミー・ドリーマーが終幕を発表。全レスラーがリングに上がり、ビールで別れを惜しむ。事情の呑み込めない観客の茫然ぶりとリング上の涙、冬の氷点下の冷気。たくさんのプロレス団体がつぶれているが、その中で最も美しい光景であったと目頭を熱くする。ECWの10年間は伝説になった。それに熱中していた自分のことを含めて。そのレポートを書いてくれて、サンキュー、TAJIRIさん。
 ECWは、この大会を最後に2001年に破産し、WWFに買われた。以上の経緯は、DVD「ECW:The Rise and Fall」が参考になる。ほかにも、ECWの試合を編集したDVDをいくつか出している。
 ECW:ライズ・アンド・フォール。あいにくTAJIRIの出番はなかった。エディ・ゲレロのからみで西村修選手がちらと登場。

 WWEは2005年にECWブランドを復活した。番組ブランドは2010年に消滅したが、「エクストリーム・ルールズ」「テーブル・ラダー・チェア」のPPV名に残る。
 ECW:ワン・ナイト・スタンド2005。TAJIRIは第2試合でスリー・ウェイ・ダンスを戦う(WWEのトリプル・スレッド・マッチとは別物。といってわかる人は相当のプロレス者じゃないかな。)

サンドマンの入場シーンで、観客はメタリカ「エンターサンドマン」を大合唱するのだが、DVDでは別の曲に差し替えられている。なので、こちらの動画をよく見る。
The Sandman Entrance - ECW One Night Stand 2005 - Video Dailymotion
 ECW:ワン・ナイト・スタンド2006。上記のように「ベアリー・リーガル」1997年も同封。みちのくプロレス6人タッグマッチを提供。

 「ベアリー・リーガル」はVHSで販売されたことがあり、実況と解説(斉藤文彦さん)の掛け合いが面白い。上記みちのくプロレスの試合には、グレート・サスケ選手がゲスト解説。なお、VHSではシェーン・ダグラスvsピットブル2号の試合が割愛されている(DVDは収録)。

 TNAでのECW同窓会マッチ(Tna Wrestling: Hardcore Justice 2010 )。あいにくTAJIRIは呼ばれなかった。サブゥーvsRVD、レイヴェンvsトミー・ドリーマーは10年以上の歳月の詰まった決着戦。前者はオリジナル・シークのプロレス道場での生徒仲間(WWEホール・オブ・フェーム2007年でオリジナル・シークが選ばれたときのインダクターがこの二人)、後者は中学校のサマーキャンプ以来のライバル。このライバル物語と「ベアリー・リーガル」を知っていると、たとえ過去のように動けないもの同士の低調な試合であっても、涙なしにはみられない。