odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

「TAJIRIのプロレス放浪記」(ベースボール・マガジン社)

 昭和の中ごろからプロレスラーは本を書いていた。たいていの場合は、ゴーストライターによる代筆だろう。
 プロレスラーが自分で書いていることを宣言したうえで、文章を発表した端緒は、馳浩安田忠夫のデビュー戦を週刊プロレスでレポートしたとき(いっしょにいた佐々木健介も記事を書いている)。1か月ほどあとにアジャ・コング北斗晶と組んだ豊田真奈美井上京子とのタッグ戦を同じ雑誌にレポートした。読者に強い印象を与えたらしく、同誌では現役のプロレスラーの連載を開始する。最初はウルティモ・ドラゴンで、次はTAKAみちのく。彼らのレポートが新しかったのは、海外のプロレスの事情をインサイダーとして書いたこと。試合の映像はみることがあっても、レスラーがバックヤードやプライベートでなにをしているのかはまるでわからない。まして異国の、日本語の通じないところにおいては。自宅を職場や学校を往復するルーティン生活者からは、まるで毎日が冒険のような海外のプロレスラーの話はとても面白かったのだ。この二人に続いたのがTAJIRI田尻義博)で、約3年間の連載を一冊にしたのがこの本。自分もこの連載を楽しみにしていた一人で、雑誌を長期間保存し、そのうえ記事のPDFにして保管してある(そちらのほうが写真が豊富)。
 前著「TAJIRI ザ ジャパニーズバズソー」は学生から社会人を経てプロレスラーになり、大日本プロレスからメキシコに渡り、アメリカのECWに移籍。資金難でECWが倒産し、WWE(当時はWWF)に入団するまでをまとめる。こちらでは、WWE入団後、約5年間の活動を描く。アメリカのプロレス事情がとてもよくわかる。日本のメジャー団体との違いに着目すると、
・日本では興業会社の社員として入社する。試合以外のさまざまな雑用も仕事の一部であり、ベテランやスターレスラー、ガイジンの付き人であったりして、興業中の雑用を一手に引き受ける。メインイベンターやベテランになると、身の回りの世話を付き人や新人がやってくれる。相撲部屋や大学の体育会のしきたりが残っているのだ。一方、アメリカでは一選手が会社と個人契約する。試合とプロモほかの映像収録が仕事。他のレスラーの世話をするとか、試合以外の雑用は一切ない。
・もっとも違うのは会場の移動についてか。日本では移動手段は会社が用意するもので、古くは列車を使い、1970年代からは専用バスを使用する。ベビーもヒールも一緒に移動。宿泊は会社が用意するもの。
アメリカでは、飛行機のチケットを用意するだけ。空港から会場までは選手がレンタカーを借りる。この移動のスケールがこの国からするととんでもない。次の会場まで200-500kmも離れているのは珍しくない。その結果、選手らはレンタカーの相乗りで、深夜にハイウェイを走る。食事をとり損ねることもあるし、ホテルの到着が早朝になることもあるし、吹雪や嵐などの天候に振り回されることもしばしば。これが海外遠征となると、飛行機を乗り継いで24時間以上の飛行を体験する。あれだけ大きなガタイが、飛行機のシートに座りっぱなし。時差ボケは日常茶飯事。
・試合会場以外の生活や活動は自己管理。移動やホテルの手配をするのみならず、コンディションの調整やトレーニング・練習は選手が独自に行わねばならない。給与は個人ごとに結んだ会社との契約に基づく。付き人などはいないので、おそらくトップレスラーは個人でヘルパーを雇うだろう。
 このような日米の雇用関係の違いはほかの業種でも見られること。ただ成果主義能力主義ではアメリカのほうが徹底している。この国のプロレスラーの給与は低く抑えられる傾向があるが、雇用年数が増えるにしたがって雑用が減る。一方、アメリカでは一軍(著者の所属したWWEではsmackdownかRAWのいずれかに所属)になると一般に報酬は高く、スター選手になると年収100万ドルを超える場合もある。かわりに仕事以外は全部自己負担で自己責任で、会社の都合で一方的に解雇されることがある。いずれがよい、ではなくて、自分がどちらに向いているかということだ。アメリカの団体の高収入に憧れても、契約に至るまでのハードルは高く(この国のメインイベンターがトライアルで落とされる場合がある)、入団しても仕事と移動のハードさが尋常ではない。そのために、痛みを抑えるために鎮痛剤を、時差ボケなどの不眠を抑えるために睡眠導入剤を、疲労でやる気がでないときには興奮剤を、けがの治療や筋肉維持のためにステロイドを服用する。時に大量に服用したり、麻薬に手を出したりして、事件や事故を起こしたりする。それが理由で契約を解除されたり、事故を起こしたり、ときには死亡する場合がでてくる。
 プロレスラーは仕事がなくなる恐怖と、廃業・引退後の生計をどうするかという不安と、体の不調やけがにおびえている。一方で、リングで浴びる注目と熱狂を忘れることができない。文字通りのブレードランナー。そのような冒険的な生活をみられるということで、自分はプロレスの本が大好き。

 欧米では引退したら自伝を書くのが習慣になっているようで、プロレスラーも例外ではない。試合や興業の記録、交友関係のエピソードだけでなく、現役時には口外できない暗黙のルールやケーフェイが暴露されたりしていて、そちらの興味もつかない。以下のレスラーの自伝の評価が高いようだ。ルー・テーズフレッド・ブラッシーアブドーラ・ザ・ブッチャー、ダイナマイト・キッド、リック・フレア、ミック・フォーリー。この国の人のではいいのがまだでていない。