キリスト教の教義を書いた文書は紀元60年ころからできて、教団ごと・言語ごとに多数できた。そこにはキリストや弟子の名を使って、ユダヤ教やグノーシス主義などほかの宗教の思想が語られるものがあった。そのようなキリスト教と異なるが似た言葉を使う集団が多数できたので、2世紀ころから正統な解釈が必要になり、数回の公会議を通して確立していく。そのときに多数ある文書の中から正典27書が選ばれ、そこに入らなかったものを外伝と名付けた。外伝は正典と同じような文学形式・伝承様式を持っていて、長い間、正統教会でも使用されていたらしい。
ここには多数ある外伝の中から10編をえらんでいる。いくつかは本邦初訳(ただし刊行は1970年代)。大きく分けると、
1)大衆文学としての外伝:当時のキリスト教徒大衆の理解能力や嗜好にあうように聞いて楽しめる文学にしたり、正典にないイエス伝や弟子の活動を創作している。
2)異端思想の文学表現:とくにグノーシス主義を反映したもの。2−3世紀はグノーシス主義がエジプトを中心に大流行。知識人層・富裕層に受け入れられたせいか、大量の文書が出きた。それを反映した文書はことごとく外伝になっている。この本に収録されたうち、※をつけたものが2のタイプの文書になる。
ヤコブ原福音書 ・・・ 正典では描写が少ない、イエスの母マリアの生誕と父ヨセフとの邂逅、荒野におけるイエスの出産が描かれる。2世紀に成立したと思われる。イエスの兄弟がヨセフの異母兄弟であるとか、マリアとヨセフは正式な夫婦でないとか、正典とは異なる設定。ルカ書やマタイ書その他の引用がたくさんある。(念のためだけど、正典と外伝の福音書に描かれたイエスの降誕はさまざまな伝承を組み合わせて成立。史実であるとは考えられていない。)
荒井献「イエス・キリスト 下」(講談社学術文庫)
トマスによるイエスの幼時物語 ・・・ 同じく正典では記述がほとんどないイエスの幼年時代。成人してからの奇跡が先取りされて描かれる。一方、気に入らない人間に死を与えたり、学校の教師をやり込めたりと、生意気で憎たらしい子供でもある。今ならギフテッド・チャイルドになりそう。2世紀末に成立。
ペテロ福音書 ・・・ 1886年に見つかった8−10世紀ころの写本。残っているのはイエスの受難から復活まで。イエスは「我が力よ、我が力よ、ついに我より去ったか」と言って息絶える。およそ思想性、宗教性の記述はなく、出来事だけが記載。ここではイエスの死の責任はユダヤ人にあるとされている。2世紀ころに成立。
ニコデモ福音書(ピラト行伝) ・・・ 4世紀ころに成立し、その後1000年かけて継ぎ足されてできたらしい。受難から復活まで(訳出されていないところにはイエスの冥府めぐりまであるらしい)。裁判ではピラトがフォーカスされているが、ユダヤ人がイエスの処刑の責任を負うというのは外典の特長という。3-4世紀にキリスト教はローマ帝国の公認になり、ローマ人に都合の良いような書き方になったからだろうなあ(ローマ帝国内でユダヤ人は被差別民族だった)。
ヨハネ行伝※ ・・・ 3世紀ごろに成立したらしく、その後写本でたくさん読まれてきたという。イエスの受難ののち、ヨハネによる諸国での宣教と最後の高挙までが描かかれる。この外伝の重要なのはグノーシス主義を濃厚に反映していること。両性具有者、一者、踊る主、神殿破壊、肉体・財産の放棄、肉欲の克服など。アンドロニコスとドゥルーシアネーの夫婦間で起きた事件(幽閉と殺害、横恋慕するものの凌辱など)が教団の同朋関係と相克するさまや克服までが書かれている。夫婦や家族は捨てるもので、ここでも夫婦の関係は同朋関係に包含されることになる。3割くらいが紛失しているらしく全文は読めない。
ペテロ行伝 ・・・ ペテロはイエスの受難のときに3度否認した弟子。それが改心して、ローマにわたって宣教し、アグリッパの奸計で十字架刑で処刑され高挙するまでが描かれる。主題は魔術師シモンとの奇跡対決。シモンはグノーシス主義者であるのだが、思想対決はなく、スペクタクルな見世物ばかり。2世紀に書かれて、「クオ・ヴァディス、ドミネ」の挿話によってよく読まれたという。シェンキェヴィチ「クォ・ヴァディス」はあまり読まれなくなったのかな。庄司薫の「狼なんかこわくない」か「バクの飼主めざして」で1960年代の高校生の時のスノッブなエピソードで紹介されていたのだが。
パウロ行伝(パウロとテクラの行伝) ・・・ 2世紀ごろ小アジアで書かれたとされる。パウロの宣教の様子だが、主題は貞節な女性テクラに訪れる数々の試練を信仰によって克服すること。女性が固い信仰を持っていると描写するのは珍しい。
アンデレ行伝※ ・・・ 2世紀末に作られたが大部分が紛失。残っているのは宣教するアンドレが捕らえられ、獄中で説教し、十字架刑を待っているところ。ほとんどはアンドレの独白でグノーシス主義に近しい。
使徒ユダ・トマスの行伝 ・・・ ユダ・トマスは「トマスの福音書」にあるようにイエスの双子で、インドへの宣教を行ったとされる。この外伝はマニ教徒やグノーシス主義者に読まれたそうで、グノーシス主義に近い思想(とくに禁欲)が語られる。前半はインドへの布教の旅。後半はマツダイ王のもとで家臣ほかに宣教したり、夫に性交を強要される女性を救ったり。最後は殉教で終わる。後半になると、説教が長く語られて、へこたれた。
荒井献「トマスによる福音書」(講談社学術文庫)
セネカとパウロの往復書簡 ・・・ ローマの知識人セネカとキリスト教宣教師パウロが文通していたという設定の偽書。およそ面白味のない文書で、せいぜいセネカがパウロを立てている、ないし師のようにみているところが注目点かな。このニセ書簡は300もあって、研究者によっては当時の学生のラテン語作文の練習だったとみているらしい。3−4世紀に成立。
パウロの黙示録 ・・・ 4−5世紀につくられた黙示文学。正典のヨハネ黙示録に比べると劣ること数段下というできばえ。
ふう、読み通すのが大変だった。1のタイプの大衆文学は、同時代のロンゴス「ダフニスとクロエ」やペトロニウス「サテュリコン」(岩波文庫)に比べると各段に劣る出来栄え。2のタイプのグノーシス主義文献は、もともと思想がキリスト教と異なるので理解が難しいうえに、記述のしかたが秘教的・わかるものにだけわかればよい・意味は隠されているから自力で読解せよという具合なので、読み進めるのが困難でした。まことにこれは好事家向け。同じ文庫には「使徒教父文書」や「旧約聖書外伝 上下2巻」が出ているが、もうへこたれました。お手上げです。
ここに収録されていないが、最近発見されたグノーシス文献に、「ユダの福音書」がある。マービン・マイヤー「ユダの福音書 DVDブック ビジュアル保存版 」日経ナショナルジオグラフィック社)を参照。内容よりも発見にいたる経緯のほうが面白かった。
荒井献「イエス・キリスト 上下」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3K8ryjm https://amzn.to/3ysQmjt https://amzn.to/4dJNVsR
荒井献「トマスによる福音書」(講談社学術文庫)→ https://amzn.to/3wH3Szi
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どうでもいい余談。UFOの信奉者はときに過去のUFO目撃譚を聖書外伝にみつけることがある。でも、光の飛翔は神や主の顕現の比喩。とりわけグノーシス文献には光の表れがたくさんある。なので、新約聖書外伝をUFOに結び付ける人たちは聖書学をしらないのではないかしら、と疑ってしまう。