イエスの時代をユダヤの側だけから見るだけではなく、ローマの側からもみるためにこの本を読む。どうやら河出の「世界の歴史」シリーズは歴史学で認められる事実だけではなく、当時の人々が事実と考えていたことも歴史に書いてよいというスタンスらしい。福音書に書かれたイエスの生涯は伝承であるとされるのだが、この本では事実として記述されている。ほかにもそういうところはあるかもしれないので、この本を読むときには別の本も参照しておいた方がよいかもしれない。
扱われるのはローマ帝国の勃興と没落。紀元前400年ころから西ローマ帝国崩壊の500年ころまで。この間のさまざまな皇帝の名前や戦闘はおいておく(それを細かくひろうと際限がない)。経済の点から見ておくと
・紀元前4−5世紀まではローマは数ある都市国家のひとつ。この地方都市が政治的経済的に優位にたったのは、農業生産性に優れていたのと、軍事的な天才が現れて新戦法を案出して戦闘に強かったこと。ギリシャ、エジプト、カルタゴ、ペルシャなどの強敵に勝ち、版図を広げる。
・占領地は、ローマの属国とし、先住者のうちの有力者を統治責任者にした。それ以前の帝国は統治官を派遣する直接統治だったので、被統治者による反感があり、しばしば反乱や内乱となった。ローマのやり方は、占領地からの税収をローマに集め、奴隷の供給地になり(奴隷はイタリアの奴隷農場で働かせる)、先住民の反感が直接ローマに来ないようにすることができた。ローマ帝国はその資産を公共インフラの整備(道路、水道など)に使用する。それはローマの専制を強化する目的もあったが、占領地=属国の生産性を高めることになった。このような統治方法は紀元100年ころまでは有効に機能する。
・紀元100年を過ぎると、周辺国家はほぼローマ帝国の支配下になり、征服事業は中止される(支配下に入れたい土地はたくさんあっても、遠すぎるか荒地かで投資対効果が見込めないのだ)。その結果、奴隷の供給が止まり、イタリアの農業生産性が低下する(奴隷の値段が高くなりすぎたため)。一方、属国ではイタリアと同じ生産物(オリーブとかワインとか小麦とか)を高品質で生産できるようになり、富が属国に流れるが、高い税率を課されたので反感が募る。
・ローマ帝国は軍事国家化し、税収と奴隷の確保のために戦争を始めるが、負けが込む。4世紀に帝国を4つに分割するが、5世紀からのゲルマン民族移動によって西ローマ帝国は崩壊(鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)をみると、ゲルマン民族がローマ帝国を取り込んだみたい。あるいは堀田善衛「スペイン断章〈上〉歴史の感興 」(岩波新書)を読むと、ゲルマン民族はローマの遺産に無関心で放置していただけみたい)。コンスタンチノーブルに遷都した東ローマ帝国はペルシャ帝国との戦争に勝って、その後1000年ほど安泰。
ダメ皇帝がでたとか、母が政治に口を出したとか、ローマ市民権が拡大されて政治方針が統一できなかったとか、共和制がうまくいかないとか、さまざまな崩壊の理由あるだろうが、自分の着目するのは、このような経済的事由。貨幣経済が浸透し、貿易が盛んになったとき、ある場所の経済的優位性は長続きしない。そこには絶えざるイノベーションが必要になるのだが、ローマ帝国は巨大すぎて多角化や新規事業を起こすだけでは、官僚化・保守化を止めることができなくなるのだ。なんだか、この国の戦後生まれの大企業を見ているようだね。
イエスが生まれたのは、ローマ帝国が最も版図を広げていて、先住者による間接統治が有効に機能していたころのころ。ただ、ローマの皇帝に愚帝が多く(ネロとかカリギュラとか)、一属国に対してローマの政治家の手が回らなく、ユダヤ人の統治者がローマへの反逆運動に厳罰を処した時期だったのが悪かった。ユダヤ教は統治者と癒合しているものと、ローマに反逆するものに分かれて、一触即発。その中で、政治的主張はないが、反律法・反教会を打ち出し、「地の民」のような被差別民と結びつこうとするイエスの運動はどちらからもうさんくさいものにみえたはずだ。
イエスの死後は、弟子たちが宣教をするが、ユダヤ人ではないパウロのものが最も信者を集めた。イエスの思想を骨抜きにし、イエスを信じることを救済とみなし、現存秩序を肯定し受容しようというパウロの主張は、ローマの重税に苦しむ小市民や中産層に受け入れられていく。そこには、ローマの圧政と収奪に対する厭世や反感の気分が漂っていたに違いない(グノーシス派がもっとも多かったのも、ローマの軍事大国化が進んだときだった)。最初のうち、キリスト教は弾圧されていたが、それに対抗するローマの共同体宗教がひっ迫する市民層から受け入れられなくなり、属国の独立意思に結び付いていくにつれて、ローマ帝国はキリスト教を受け入れる。ローマ帝国が崩壊しても、バチカンの権威はなくならなかった。