odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ライダー・ハガード「ソロモン王の洞窟」(創元推理文庫) 英国紳士は植民地の秘境を探検する。

 映画「リーグ・オブ・レジェンド」はさほど面白いストーリーではなかったが、登場人物が19世紀の大衆小説のヒーロー、ヒロインたちというのが気に入った。コミックの原作があるそうだが、原作者だけでなく映画の製作者、関係者もみな「わかっている」。ジキル博士や透明人間、ドリアン・グレイあたりは順当な選択としても、ジョナサン・ハーカーでなくミナを登場するというのがマニアック。なによりネモ船長の従者が「コール・ミー・イシュマエル」としゃべったのがうれしかった。
  
 そして映画の主人公アラン・クォーターメンは1885年のこの小説でデビューした。

 アフリカにすむ探検家兼商人のクォーターメンのところにヘンリー卿とグッドという軍人が来る。ヘンリー卿の失踪した弟を探す探検に協力してほしいというのだ。クォーターメンも捜索する地方に行きたいと思っていた。前回の探検で、かれは300年ほど前の地図を手にしていて、それによると人跡未踏の奥地に膨大な宝が眠っているという。二人の利害は一致。当時大英帝国は世界中に植民地を持っていて、太陽が沈むことがないと豪語していた。その動機がクォーターメンと同じく世界の財宝の獲得、いまからみれば資産の強奪にあるわけだ。早速、現地で(たぶんエジプトあたり)でガイドと人夫を雇うことにする。二人をよく知っている気の知れた黒人に、黙りがちな一人の巨大な体躯の偉丈夫。この男がなぜ参加するのかわからない。
 「ソロモン王」は旧約聖書にでてくる紀元前のユダヤ王様のこと。エジプトの王室との関係もあるし、財宝をたくさんもっていたし、智者でもあったし、という具合。エジプトとユダヤのイメージとアフリカ探検の情報から生まれた秘境になるわけだ。なのでスーダンからエチオピアあたりを想定しているのかなあ。あと、秘宝のありかを示した古地図が期せずして女性器を模していた。風水ではないけれど、宝が隠されているところはそういうメタファーをもっているのだね。

 一行は砂漠で干からびそうになり、登山で凍え死にそうになるなど、艱難辛苦の上、どうにかソロモン街道を発見し、ククアナ王国に到着する。そこには白人が来たという伝説があるものの、敬意の代わりに敵意がある。それは、今の王ツワラは兄を殺し母子を放逐させて、恐怖の権威を構築していたから。王には魔女ガグールがついていて、呪術で王国民を恐怖に陥らせ、その子スクラッガを頭にした軍隊が容赦なく殺戮する。おりしも最大の祭りの夜、トランス状態の魔女たちは並び立つ軍隊の中からいけにえを無作為に選びだしていた。彼らはその場で殺され、ついに、クォーターメンもいけにえに選ばれる。
 という具合にページをめくるごとに三人のイギリス人は死を覚悟することになる危機に直面する。まあ、彼らの知恵に体力に、ときに運があって(イギリス人の片眼鏡、入れ歯、白い足をみて神の使いと思うとか、日食を予言してククアナ人に畏怖の念を起させるとか)、危機は乗り越えられる。この奔放な想像力、加えて次々とストーリーを転がしていく語り口のうまさ、これは19世紀の大衆小説の中では異彩を放つ。海洋冒険や辺境冒険の小説はそれこそ「ロビンソン・クルーソー」の昔からあって、お手本になるのはたくさんあったのだろうが、この作を除いて今はまず読まれない。バトラー「エレホン」、メルヴェル「白鯨」あたりが残っているわずかな例。それはひとえに20世紀後半でも通じるスピード感にあるわけだ。
 小説のクォーターメンは映画のクォーターメンほど格好よくなくて人物の魅力はない。最年長であるわりにリーダーシップに乏しいとか、人生訓をまるでしゃべらないとかでね。その代り、周辺人物、とりわけククアナ王国のさまざま人物が多彩でキャラがたっているのも楽しみになっている。おまけに、山本燿也の挿絵が適度にバタ臭くて、男くさくて、勇壮。作品によくあっている。これは1970年代の男前のイメージだよね。文庫初版が1972年で挿絵にも「’72」の文字が見える。

 さて、王の暴虐に恐怖と反感が募るなか、巨大な体躯の黒人が死んだはずの王位継承者であることがわかるとか、王国が二つに分かれて数万人の軍隊が衝突する大会戦が行われるとか、王国からさらに奥にはいった山の洞窟に探検に行くとか、負傷したイギリス人が介抱する娘との間に淡いロマンスが生まれるとか、出口のわからない暗闇を一行が空腹と渇きにさいなまれながらさまようとか、この後の冒険小説や秘境探検映画で何度も模倣されるシーンが雪崩を打って展開される。これはもう、ページを繰りながら手に汗握るしかない。ここまでスピーディでサービスの良い冒険小説は19世紀にはないよ。
 そのかわりに、小説技法にはいくつか問題があって、解説にあるように「途中で休んで考えることをしない」「立ち止まってひとつの場面を深く掘り下げることをしない」。それに加えると、伏線を張らない。謎が出てきたら、その直後には解答がでてしまう。サスペンスが持続しないで、細切れになってしまうのだね。現代の作家なら、この2倍の長さにして、たくさんの伏線を張って巨大な物語にするだろうに。
 評価が辛くなるのも、ハガードの小説より先に笠井潔「ヴァンパイア戦争」を読んでしまったから。6巻「秘境アフリカの女王」と7巻「蛮族トゥトゥインガの逆襲」は、「ソロモン王の洞窟」のオマージュ・パスティーシュになっていて、ほぼ同じストーリーになっている。100年後のこの国の作者の書いたものは、もっと情報量が多く、もっとスピーディで、もっとキャラがたっていて、もっとたくさんの物語が詰め込まれていて、エロスとヴァイオレンスの薬味が効いていて……。ずっとおもしろかった。まあ、しかたないか。