odd_hatchの読書ノート

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コリン・ウィルソン「迷宮の神」(サンリオSF文庫)

 作家ジェラード・ソームはある出版社から18世紀後半の貴族エズマンド・ダンリイについて書くように求められる。エズマンドは1748年生まれ1832年死去の放蕩者。性的遍歴をポルノチックにつづった日記によってのみ知られていたとされる。18世紀後半には無名氏の「我が秘密の生涯」や国が変わるがミラボー伯「肉体の扉」、サドの一連の著作など性を主題にした文書が大量に書かれていたのであって、その時代を反映して設定されたのであろう。この18世紀の文人たちは、文学一筋というわけではなく、多面な活躍をしている。それがあらぬか、エズマンドは放蕩振りもさることながら、当時の知識人(バイロン、ルソー、ガウスら)と交友もあるという奇妙な人で、「ヒュームの論破」なるパンフレットも書いているのであった。

 1960年代後半、性の解放が叫ばれる中だったので、この種の本の要望があったとみえる。高額なギャラを提示されたので、ソームは仕事を引き受け、まず現代に残るエズマンドの文書を集めようとする。全集など出ていない人なので、彼の末裔がもっている日記、手紙、論文、パンフレットなどを探し求めなければならない。ネットもない時代であってほぼ口伝えでどこにいるともしれない係累を探すことになるのだが、それは奇妙なほどにうまくいく。そして行く先々で、女性に誘惑されたり、性的解放を目指す集団の祭儀に参加したり。これはエズマンドの性的遍歴をソームが追体験しているような具合。
 ソームは「意識の拡大」論者であって、人間の意識は日常にとられていてその機能をわずかしか働かせていない、隠された機能を完全に使うことによってさらなる認識の深まりと高次の存在に変貌できるという。そのとき、性的体験は意識の拡大を自律的に訓練する方法であって、他者との交合による至高体験は意識の拡大によいとされる。この考えを裏付けるのは、追放された精神分析医ヴィルヘルム・ライヒの主張。この人は1957年に死去しているが、「性と文化の革命」が1960年代に出版されて(邦訳は1969年)、新左翼学生運動活動家に盛んに読まれていたのだ。彼の主張を実践しようとする集団もあった。「迷宮の神」は1970年初出なので、ライヒの再評価と軌を一にしている。というか、作者コリン・ウィルソンは「性と文化の革命家 ライヒの悲劇」1986という本を書いているくらいに入れ込んでいる(さすがに「オルゴン・エネルギー」までは支持していないが)。このあたりは、作者のお得意のところ。他の本でも読んだよなあというアイデアがくどいほどに書いてある。
 さて、エズマンドの調査が進むにつれて、「意識の拡大」を実践しているソームはエズマンドの意識が自分に憑依するようになる。ときに、ソームは現代のイギリス都市を眺めているとき、エズマンドの18世紀の目で同じ場所をみたりする。そうなるきっかけは、エズマンドの日記や手紙に不死鳥の図を見つけたことから。この図は当時の異端宗教「不死鳥教団」が使っていたもの。男女の交接の極みにおいて神の啓示が得られるという教義を持っているという。
 この小説を読みながら思い出したのは、ドゥシャン・マカヴェイエフ(かつてはマカヴィエフ、マカビエフと表記)の映画。自分が見たのは「WR:オルガニズムの神秘」1971と「スウィート・ムービー」1974だけだが。まあ破天荒でグロテスク、支離滅裂な映画だったな。前者にはライヒの教えを実践する集団が出てきたし、後者に登場する「銀河コミュニティ」もそういう一種かな。これらの集団の祭儀やパーティは小説にでてくる集団にそっくり。なにしろ、「スウィート・ムービー」にはペニスを金色に塗った男が登場するが、この小説にも極彩色に塗ったペニスを露出して性的パーティを行う男が登場するくらい。主人公が行く先々でへんてこな性体験をするところもね。
 知的情報がいろいろあるし、エロティックな描写が頻発して、ページをめくるのはできるけど、どうにも退屈なのは18世紀イギリスの事情をよく知らないことと、エズマンドやソームに感情移入できないからだろうな。「不死鳥教団」はボルヘスのアイデアを借りて仮構したそうだが、スケールがこじんまりとしているのがちょっとね。エズマンドがソームに取り憑いたのも、最後にソームに接触する秘密組織の正体にもリンクしてくるわけだが、そこに至るまでのプロセスが緩い。京極夏彦狂骨の夢」やダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」のほうが衝撃力は強いよ。知的スノビズムをまきちらしたところでは、エーコ「フーコーの振り子」のほうがずっと豪華絢爛。
 マカヴェイエフの映画にしろ、この小説にしろ、ライヒやウィルソンに入れ込んだ人たちにはよいだろうけど、そうでない人にはお薦めできない。好事家向け。