odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

リチャード・カウパー「クローン」(サンリオSF文庫) 知能化したチンパンジーと最初のクローン人間という「ニュータイプ」を人類は嫌う。

 2072年(本書出版年の100年後)のイギリス。人口爆発のために3億5千万人が住み、ロンドンは5千万都市になっている。このころまでにチンパンジーの知能化に成功し、英語を喋り、人間の労働の一部を代行する。それもだいぶ時間がたち、チンパンジーの一部は労働猿階級と自己を規定し、万国類人猿同盟という秘密結社をつくり、武装闘争で人間からの独立を画策している。SFとはいえ、イギリス人のこの作家はむしろ時代風刺に冴えていて、ここらの状況はほとんどそのまま1970年代のイギリスを模写しているようだ。1970年のイギリスの人口は5千6百万人で急増中。人間のすることは非能率でストばかり。社会保障はあっても高い税金に不満が募る。知能を持つが猿の外見をのこしているチンパンジーは作者に意図はなくてもアジア(西のイスラム系から東のモンゴロイドまで)の人々を想起させる。過激なチンパンジー独立闘争組織はヴェトナムの解放戦線や彼らに連帯を表明する左翼過激派をみてもよいだろう。それに対して、時の政府はほとんどなすすべがなく、せいぜいのところ団体の重要な関係者の拉致と抹殺くらい。

 さて、ここにアルヴィンという凡庸な青年が投げ込まれる。彼は過去の記憶を持たないし、なにしろ両親のことや幼少時を知らない。知能にも問題があり、チンパンジーと共同で運営する研究所で雑用をしている。そこのノーバートという中年猿(彼はキリスト教の忠実な信者)の知遇を得て「名誉猿」になっていた。このアルヴィンがノーバートといっしょにロンドンに旅した時、「猿に投票権を」社会連合のデモに巻き込まれる。そこでは官憲が待ち伏せをして大虐殺をした。アルヴィンとノーバートは、若い女性の協力で現場から逃げ出すと、二人ははぐれてしまう。
 陸軍省がアルヴィンに興味を持つのは、彼は最初のクローン人間であるから。とはいえ、1972年当時では遺伝子操作技術のごく基本的なところが開発されたばかりなので、技術は単純。受精卵が4分割したときに振動して細胞を分離し、それぞれを人工子宮で個体に生育したのである。外見は凡庸、知能は愚鈍、底抜けのお人よしである以外に取り柄はないのだが、彼はひとりでも幻視力(ホログラフィーのような立体像を周囲の人に見せることができる)と念動力の片りんをもっていた。ここは昔ながらの英雄物語。聖なる愚か者が実は抜群の才能を秘めていて、共同体の行く末を決定する使命をもっているというわけだ。ここでは陸軍省に代表される人類権力は、アルヴィンのような新人類、ニュータイプを抹殺する方向で暗躍する。ここの主題はステープルドン「オッド・ジョン」スタージョン「人間以上」なんかと同じ。イギリスという階級社会だと、アノマリーや異端は排除されるのだね。アメリカだと、異能の持ち主は尊敬と優遇を得るものだが。
 後半は、逃げるアルヴィンたちをノーバートたちが追いかけ、アルヴィンが兄弟と会うごとに力が増していき、軍隊や警察がこの二組を追いかけるというドタバタになる。作者の狙いが上のような新人類とチンパンジーのような異端やアノマリーとの融和の可能性を考えることにあるのか、たんにモンティ・パイソンのようなドタバタ・コメディを描きたいだけなのかよくわからない。細部は、ブラックでシニカルなユーモアなのに、状況はどんどんシリアスになって、どちらもスベッテいるのでどうにもしんどい読書になってしまった。
 アルヴィンたち4人はアフリカの砂漠の真ん中で邂逅することができた。そのとたんに彼らの能力は世界中を覆うほどにまで拡大し、彼らの抹殺のための原爆投下計画を断念させるほどにもなる。さてそうすることでアルヴィンらは人類と地球をどうするのか、と興味をもたせたとたん、作者は彼らを別次元の世界に旅立たせてしまう。おいおい、それはそうかもしれないが作劇の作法とすれば、もうすこし描写が必要だろうに。
 本質はユーモア作家なのだろうね。でも、1970年代初頭のイギリス社会を誇張しているものだから、あの当時を知らないと、ギャグがうまくはたらかない。サンリオSF文庫の最初のころ(1977年)に刊行された一冊だが、そのころまでしかアクチュアリティがなかったのだろう。社会と技術の変化に取り残されてしまった。