odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

クリストファー・プリースト編「アンティシペイション」(サンリオSF文庫)

 アンティシペイションは「予感」ないし「期待」を意味するという。この国だと使わない言葉。未来の不確かさを表すことばに「リスク」があるけど、リスクのような不安定や損失の意味合いはなくて、むしろ待ち望むものが現れるような明るさをもっている言葉になるのかな。編者プリーストはこのテーマを作家に投げて、その返答が以下の諸作品。なるほどいずれもはっきりした結末を示さないし、訪れた事件が未来にどうなるかはあきらかではないが、どこか明るさや希望を感じさせるところが共通しているみたい。1978年初出。

イワン・ワトソン「超低速時間飛行機」 ・・・ 1985年12月、それは突然現れた。解体できない球体の中に錯乱した狂気の老人が一人。中に入る方法がないまま観察すると、男は次第に若返り、正気を取り戻していく。それにタイトルのような名前をつける。この不格好なタイムマシンは、未来に飛び立つためにいったん過去に戻らないといけない。実験は35年前に始まったと推測され、人々はその日を期待して待つ。救世主であるかのように、そして彼は我々の世界を捨ててしまうのではないかという恐れとともに。レム「天の声」のような科学者の観察と考察だけで書かれた小説。。
イアン・ワトソン「スローバード」(ハヤカワ文庫)

ロバート・シェクリィ「隣は何をする人ぞ」 ・・・ 退屈している引きこもりの男が双眼鏡を買って、外を眺める。部品がしょっちゅう壊れるそれで眺めるたびに彼は殺人の現場を目撃する。アイリッシュ「裏窓」を思い起こさせながら、ちょっとずれていき、見る視線とみられる視線が交錯する。蔵にこもって遠眼鏡で外を覗くというのは、ウィリアム・モール「ハマースミスのうじ虫」とか、本邦作では乱歩「孤島の鬼」「押絵と旅する男」、小栗虫太郎「人魚謎お岩殺し」横溝正史「蔵の中」などもあった。

ボブ・ショウ「闘技場」 ・・・ 数年前に調査隊が行方不明になった無人の惑星で、カメラマンと妻は惑星の生物を撮影する。ある生物が別の生物を捕食しようとしたとき、空からヒューマノイドが現れる。捕食活動をやめさせた後、カメラマンたちに不可解なメッセージを送る。このメッセージはよくわからない。作者は個人的なものというから、そういう内容なのだろう。F・ブラウンも同じタイトルの似た設定の短編を書いている(「闘技場@スポンサーから一言」)。

クリストファー・プリースト「拒絶」 ・・・ 国境が壁で封鎖された国。文学好きの青年が警備隊に配備され、人間性を失うような作業を行う。その村には青年が愛好する長編「受容」を書いた作家がいた。青年は休暇を使ってその女性作家に面会に行く。監視された作家は青年の話を聞き、翌日「拒絶」という短編を青年に渡した。それが理由で作家は逮捕され行方不明になる。作家と短編「拒絶」は「壁を越えろ」とメタフォリカリーに主張していた。青年は雪に埋もれそうな壁を見る。壁は政治的にも、心理的にも、コミュニケーション障害ともとることができる。その複雑で多様な意味合いが、読者の「壁」をさまざまに浮かび上がらせ、青年と同じように「壁を越えろ」を「受容」するのか「拒絶」するのかと問いかける。テーマとストーリーが融合した見事な一編。(アーシュラ・ル・グィン「闇の左手」(ハヤカワ文庫)

ハリイ・ハリスン「美しき青き鳥」 ・・・ エネルギー源も資源も枯渇した近未来。アメリカのCIA諜報部員が秘密使命を帯びて、イタリアとアイルランド密入国する。そこでみたもの。イタリア行きの使命がパンスト密輸だったり、アイルランドが稀代の資源国になっていたりと、なんとも皮肉な舞台設定。

トマス・M・ディッシュ「老いゆくもの」 ・・・ なんかよくわからない。ネットで調べたら、不死者と普通の人間が共存している社会のことらしい。暇な金持ちの痴話げんかをみているみたいで、フェリーニの「甘い生活」を思い出した(見当違いすぎるかな?)

ジョン・G・バラード「ユタ・ビーチの午後」 ・・・ Dデイで連合国軍が上陸したユタ・ビーチ。避暑に来ていたディックは古いトーチカにドイツ兵が隠れているのを見つけた。ディックは彼に食料を与えるなどして助ける。そして避暑の最後の日、沈黙していたドイツ兵器が火を噴く。ヨーロッパおよびアフリカ戦線では、第二次大戦のあと密林に逃げ込んで、一人で戦争を継続するというのはこういうSF的発想のうちにしかないのだね。この国では、1970年代にそういう兵士が数名発見されたけど。怪奇大作戦「24年目の復讐」のあちら版。

ブライアン・オールディス「中国的世界観」 ・・・ 年代のはっきりしない近未来、西洋文明と科学技術は失敗していた。すなわち地球は資源の不足で工業生産ができなくなり、化石燃料の枯渇は内燃機関を失わせた。ほぼすべての国は農業国になっている。そこにおいて中国が世界に強い影響力を行使している。さて、軌道人工惑星フレグランスのある企業は予言機械(PM)を製造したので、それを中国に売ることにした。派遣されたのは開発者であるエドワード。自分の開発したPMの意味の取りにくい予言を読みながら、中国の要人に会おうとする。エドワードの予言機械は周辺情報を絶えず入力して、数式だかプログラムだかで予言するという仕組み(シルヴァーバーグ「確率人間」のやり方に似ている、というか西洋科学の基本的な考えだね)。それに対して中国の要人は易経を持ち出し、我々はこれで十分。未来の確率的変動は機械で計算できるものではないし、人間も決定論的な生き方をしてはならないと主張する。ヨーロッパ人が中国的世界観を描写したのは力が入っているが、それぞれの世界観のごった煮をもっている日本人からすると、この小説の理解は皮相だな。それよりも、書かれた当時の1970年代が、西欧で東洋思想のブームがあり、ニューサイエンスというでっち上げに熱狂し、中国の文化大革命に共感していた時代だったということを思い出せた。このアンソロジーの書かれた後に中国は四つの近代化を唱えて、自由主義経済と科学技術を強化していったのだからね。


 最初の3編を書いたのは1970年代にデビューした若手作家。後半の4編は1950-60年代にデビューした中堅作家ないし大家。すべてイギリス人作家。プリーストがいうように女性作家が入っていないのは寂しいが、この7人に比較できる女性のSF作家が見当たらないから、仕方ないか(これに載っていてほしい女性SF作家はル・グィン、ケイト・ウィルヘルム、ジェイムズ・ティプトリ・Jrあたりだが、みなアメリカ作家だ)。
 このアンソロジーはいずれも力作で、1970年代のSFの雰囲気を知ることができる。面白いのは、SF的なガジェットや設定(ロケットとか宇宙船乗組員とか宇宙人とか円盤とか月や惑星とかコンピューターとか)をあまり使わないか、使っても主題にしないところ。アメリカのSFみたいな、読者の物理世界から大きく外れた異世界や遠未来をいきなり提示して、その不可思議さに酔わせるということがない。むしろ読者の現実世界からちょっとだけ位相のずれた世界にゆっくりと誘っていって、現実と幻想が混乱する、そのめまいを感じさせるようなところがある。これはたぶんイギリスの作家だからだろうなあ、と乱暴なまとめ。もうひとつは、ときに哲学的思弁的な難解な思考が描写されるところも特長。認識の拡大とか文化の差異とかモラルと行動の葛藤とか、そう簡単には結論をつけるのが難しい問題に、抽象的な会話を交わす。多くの会話はそれこそ駄弁で、無意味になりかねないけど、それでも考えていることを消化不良のままでも書きたいというのがこのアンソロジーに参加した作家たちのいきごみ。
 自分はよく知らないけど、このふたつは「ニューウェーブ」SFの特長でもあるのかな(イワン・ワトソンのようにニュー・ウェーブ嫌いを公言する作家もはいっているが)。