odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

マイクル・コニイ「カリスマ」(サンリオSF文庫)

 パラレルワールドないし並行世界論というのがあって、この物理現実の世界の<横>にほんのわずかだけ違った別の世界がある、その横にはその差異にほんのわずかの違いが加わった別の世界がある。すこしずつ差異を増やしながら無限の数の世界が連なっている。そこではこの<私>とそっくり同じ<私>がいて、ほんのわずかの違いがあるが、別の生活をしている。そのような無限の並行世界には、犯罪者の<私>や実業家の<私>や、まあありうるさまざな状況にいる<私>がいる。おそらく、並行世界にワープしたら、そこの<私>はこの<私>と入れ替わって、「今−ここ」の<私>ではない別の人生を生きることができる……。そういう考え。最初はSFに生まれて、のちに哲学者が根拠を与えて、物理学者がそのような宇宙論を構想している。というのが21世紀初頭の状況。

 さて1975年のイギリスSFでは並行世界をどのように考えているのか。「私」であるジョン・メイン(ジョンという凡庸な名前に「メイン(主流)」の刻印がついているという奇妙さ)は、ホテルのやとわれ支配人。経営者メローズにのらりくらりといいまかされて半年無給状態のうえに、なけなしの金をヨット事業に投資させられている。おりしも嵐でヨットが壊滅。すると、メローズはジョンを解雇し、ホテルとヨットを取り上げようとする。にっちもさっちもいかなくなったジョンはやけ酒をあおることにする。近くの山中にある研究所近くで、美女と出会う。その美女スザンナが研究所の所員であることを突き止め、デートに誘うと、目前で焼死。そのうえ、自分に近寄っていたずらする少年がおぼれかけ、船が爆発したり、あまつさえ反目していたメローズが殺される。
 奇妙なことに、ふと目くらんだ後、ふたたびスザンナと会う。しかし彼女はジョンを知らないといい、ふたたび事故死してしまう。この状況を説明するのは、研究所の所長ストラトン。研究所ではパラレルワールドの物理的な研究をしていて、なんとジョン・メインにはパラレルワールドを行き来できる能力が備わっているという。どこかにスザンナが生きている、再び会いたいという願いでジョンは研究に参加し、ストラトンの命じるままに、さまざまなパラレルワールドに出向く。そこでは「歴史の均等化」の作用が働いて、どの世界でもスザンナの死亡、おぼれかけた少年の救出、船の爆発、メローズの殺害がおこる。メローズ殺害の容疑はジョンにかけられ、怜悧なバスカス警部(複数)に執拗に追及される。このこんがらがった事態で次第に追い詰められ、はたしてパラレルワールドの罠から抜け出すことができるか……。
 初出のサンリオSF文庫の裏表紙の解説は固い内容で、思弁SFみたいに思えるのだが、じつのところは探偵小説の枠組みを借りた冒険・サスペンス小説。とても運の悪い男が殺害事件に巻き込まれて容疑者になり、追求を交わしながら、真犯人を追いかけるという仕掛け。1975年の初出時には、パラレルワールドという設定が目新しかったのか、何が起きているのかを解説するシーンがたくさんでてくるが、21世紀にはもう不要だろう。冒険・サスペンス小説として楽しめばよい。そこはイギリスの中堅作家(ボブ・ショウとかピーター・ディキンスンとか)のような手練れなので、しっかりした構成と語りの妙で安心できる。
 ただ、この小説がやりきれないのは作中で他の登場人物から批判されているように、ジョン・メインの行動が自己の利益を最優先して、他人の危害や不利益を無視している身勝手なところ。なるほど絶世の美女にあい、一途にその女性を追い求めるというのはメロドラマの基本ではあるけど、それが彼のさまざまな暴力や器物損壊のいいわけにはならないでしょう。タイトルのカリスマはめったに姿を現さない美女スザンナのことで、生命と美と愛の束の間の幻覚だから、なのだそうだ。ここでもジョンという男が自分に都合の良い女性像をスザンナに投影して、スザンナとの比較でリアルな女性をバカにしたりハラスメントをしたり。ここらにもジョンの傲慢なところがみえる。なので、気に入らない小説だった。