odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

井上清「明治維新」(岩波現代文庫) 治安維持法下でさまざまな制限を受けた人は明治維新を自由の獲得とみる。昭和時代の古い歴史記述。

 1913年生まれ2001年没の歴史家。近代日本史を専攻し、羽仁五郎の大きな影響を受ける。もっとも師のアジテーター的なところは継承していないで、アカデミシャンとして冷静な発言をする。師の影響もあって、歴史の人民解放という視点を強調する。
 明治維新については、1960年代に中央公論社が製作したシリーズ「日本の歴史」第20巻が著者によるもの。こちらは1850-1880年までを総合的にとらえている。面白い見方は、明治2年の政府首脳がそろって外遊した岩倉使節団を重視するところ。ここで欧米の諸制度を実地で見学・研究したことがその後の官僚国家、富国強兵策、条約改正など一連の政策を決定したとする。さらに、征韓論から西南戦争への流れとそこでの覇権闘争に注目。上記岩倉使節団の構想がこの一連の内乱によって実現する下地となった、とする。この見方については別の機会に。
 以下は、別に書かれた維新関連の論文と講演を収録。ただし、上記の大著の書かれた時期と異なるので、意見が一致していないこともある。

明治維新と女性の生活1939 ・・・ 江戸期から明治初期にかけての女子抑圧の歴史。

勝海舟と近代文化1939 ・・・ 蘭学勉強、アメリカ視察などで先見性を持ちながら、江戸城明け渡しで幕府温存を測ったという二面性ないし制限を勝海舟にみる。

武市瑞山先生の墓に詣でて1943 ・・・ 墓詣での記録と武市瑞山半平太の生涯を略述。初出のころには、武市瑞山はどのくらい知られていたかしら(いまなら司馬遼太郎竜馬がゆく」で著名になったとおもう)。歴史教科書に登場するような有名な志士が藩の枠組みを超えて考えていたのに対し、この人は藩の改革に情熱をもって志半ばで挫折。ただ没年が1865年というのに驚愕。この2年後に大政奉還していたのだった。この時間のずれがなんとも。(まあ、武市の考えが新政府に通用するかは相当に疑問ではあるが)

二つの愛国主義と国際主義1949 ・・・ 明治維新前後の対外政策を検証。単純化すると、対内政策では人民に強権的に対処したが(税金とか貨幣変更とか)、対外政策、ことに領土問題では弱腰であった。どころか英米のご機嫌伺いをしながらロシアやフランスに対していた。そのとき、領土範囲の考えはあいまいで、樺太・千島・対馬小笠原諸島などはこの国の領土とは考えていなかったようだ。一方で、沖縄と朝鮮には植民地化する意図が明確。で、愛国主義には対馬における人民蜂起のような愛国と、組織の延命のために人民を売るような政府、地方政府の役人の称えるそれがあったとのこと。あと人民については、侵略・植民地化への蜂起や反抗があり、政府のそれより有効であったが、隣国との連帯まで考慮するような運動にならなかったのは残念とのこと。書かれた時代に注目。

幕末における半植民地化の危機との闘争1951 ・・・ 明治維新期に来日した欧米各国は日本列島を植民地化する企図があったが挫折した。それはなぜかというと、1)民衆レベルの反抗、闘争があったこと、その背景には民衆の反幕気分が蔓延していたこと、2)その反抗を見て各国が直接植民地化する政策から間接統治に変更したこと、3)攘夷志士がとくに1864年の薩英戦争、下関戦争などを経験して民族意識に目覚めたこと、などをあげる。著者は明治維新を革命ではないと断じながらも、民族解放闘争であることを強調したいらしく、さまざまな事例をあげる。戦後の解放的な気分を思わせるにしても、牽強付会だよなあ。

最近の明治維新論とその思想的異議1962 ・・・ 明治維新を政治改革、資本主義化、近代化という視点で見るのは結構だが、人民の解放という視点がもっとも重要。最近の明治維新論はそのことを忘れておる!という大演説。

新政の演出 岩倉具視1976 ・・・ 宮廷クーデターの達人、抜群の人事管理、近代天皇制のデザイナー、としての岩倉具視

明治維新中岡慎太郎1990 ・・・ 近代民族主義の思想家として、薩長連合のフィクサーとして、幕藩体制の打倒者としての中岡慎太郎


 カバー裏には「硬直した左翼史観と反動的な歴史主義に抗し、科学的で血の通った近代史研究をめざした」云々とあるのだが、どうにも微苦笑。1960年以前の論文は左翼史観のそれだからなあ。まあ、封建主義、マニュファクチュアリズム、前期資本主義、帝国主義などの用語をちりばめて説明し、経済の発展段階を示すという書き方だからなあ。ではその後の論文で乗り越えているのかというとどうもねえ。
 素人のいくつかの感想でいうと
・各国の資本主義が一枚岩で統一したポリシーをもっている(それも資本増加のために人民収奪と植民地拡大にいそしむ)とされる。そうかな。経営者、資本家が共通政策をとることはないし、新興産業と没落産業では求めることが異なるし、中央政府と地方派遣官で意図が食い違ったり、文民と軍で別々の対応をとったりと、寄合所帯とみたほうがよろしいのでは。まあ、資本主義による人民搾取を克服するために資本主義打倒、社会主義政権樹立、労農提携というスローガンを説明するには都合がよいだろうけど。
・視点を「人民」に置くということだが、彼の「人民」はイマジナリーな存在ではないかしら。外国の不法駐留に抗議したり、税制改悪や徴兵制に反対する一揆の参加者には「近代民族主義」の意識の芽生えをみるけど、一方では封建的な圧政に耐えるけなげで純真な存在。彼らが民族意識を持つことを望みながらも、排外主義で保守的な一面を嫌う。いつかはこのような「人民」が決起して、資本主義を変革することを期待する。まあ、著者の意向はこんなところかしら。でも、こういう希望は明治維新でも、自由民権でも、大正の民権主義運動でも、戦後の解放期でも常に裏切られる。そのことに著者は残念がり、不信をもつ。なので、歴史の人民の記述はぎくしゃくする。それは、「人民」が彼の中にいるもので、現実の人々と対応していないからではないかな。
・人民がイマジナリーな存在であるとすると、その「解放」はなにかとなると、この論文ではあいまい。さまざまに侵害されていた人権の回復なのか、資本を自分らで持つことなのか、政治の権力を得ることなのか。そこまでくると、歴史学とは何かという所に行きそうだね。
 この人も治安維持法下でさまざまな制限を受けた人。なので、権力の抑圧を嫌い、自由の獲得を心から願う。だから文章は火の出るように熱い、熱い。それが著者の文章を読むときの魅力。ただ、それが学問の記述にふさわしいかは疑問が付き、彼の歴史評価方法(「人民の解放」という視点)の有効性にも疑問があるとなると、過去のように著者に寄りそって読むのは難しい。