odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エラリー・クイーン「ハートの4」(創元推理文庫) ハリウッドは映画の都・夢の工場ではなく、スキャンダルと死の土地。

 1910年代にロス・アンジェルスに映画スタジオが大量にできた。フィルム感度の悪い時代にヌケのよい画面を撮影にするには、日射しが強く、日照時間が長く、雨の少ない気候で、平坦な広い土地を確保できる場所であることが重要だったのだ。人工的に作られたその町には、映画関係者と俳優、そのメイクや衣装、大道具・小道具、セット製作その他のさまざまな職業の人が集まり、たくさんの人が住んだ。田舎娘やとっぽい若者が一夜でスターになる伝説があり、一方で夢破れて挫折する人もいた。そこで作られる映画は、流行の発信地であり、映画スターはあこがれの的であった。同時に、そのような「夢の都」は負の面ももつ。イエロージャーナリズムもあって、スターや映画関係者のスキャンダルと死をさまざまに報じた。ケネス・アンガー「ハリウッド・バビロン」を読めば、1920年代からすでにスターや監督などがスキャンダルのターゲットになり、スケープゴートにされて、破滅していったさまざまな例をみることができる(としたり顔でいったが、未読です、失礼)。まあ、ロスコー・アーバックルからジーン・ハーローから、ジェーン・マンスフィールドから、ジュディ・ガーランドから、チャーリー・チャップリンから……と延々とリストを連ねることができる。前作「悪魔の報酬(悪魔の報復)」に続けて、ハリウッドを舞台にした探偵小説を書くとき、たんに映画の都、夢の工場を描いたというだけでなく、このようなスキャンダラスな土地として見ていることに注目する必要がある。

 なので、登場人物は映画関係者。スター俳優に、辣腕のプロデューサー、脚本家、エージェント、宣伝部長、などなど。理由はよく知らないが、どうも才気走った者が重宝されるせいか、こういうハリウッドの人物たちは、スノビッシュで、軽薄で、根無し草で、心に傷を負っていて、自虐ギャグで本心をかくし、得体のしれない野望や欲望をもっているように描かれる。この探偵小説の十数年後のメイラー「鹿の園」も、こういう人物でいっぱいだった。それに金がぐるぐる回っているので、店やファッションも軽薄なのだよなあ。1938年作。でも戦争や社会不安の影はない。それはハリウッドという土地からすれば当然か。
 では小説に戻るとして、まずは男性と女性の老俳優が長年喧嘩ばかりしていたところから始まる。親の不和は子供に遺伝したのか、タイとボニーは顔を合わせるたびに喧嘩ばかり。しかしエラリーがプロデューサーに呼ばれて(彼に会えないというカフカ「城」みたいなのが前作「悪魔の報酬(悪魔の報復)」だった)、この親子たちを出演させる映画の脚本つくりに参加することになったときに、突然彼らは結婚することになった。派手なことのすきなハリウッドのことで、飛行場で二人を披露することになる。孤島にむけて飛び立つ飛行機は消息をたち、数百キロ離れた山中で、老俳優は毒殺されているのが発見された。
 ここで謎とされるのは、飛行機に乗った俳優はさし入れの酒に混入された即効性のある毒で死んだが、飛行場で飲んでいたのにその場では効かなかった。どうやって飲ませたのでしょう。借金にあえぐ老俳優は結婚式の数日前に11万ドルの大金を返済していた、どうやったのでしょう。老俳優とその息子たちに、トランプのカードが定期的に送られる。どうやら脅迫であるのだが(カードの意味は最初に送られていて、その全貌が読者に開示されている)、老俳優の死後も送られたのはなぜでしょう。あたり。
 老俳優のさらに父である老人が田舎に隠遁生活を送っていて、孫娘ですら会わない。健康に気を付けていて、大金を子や孫にとられるのを極端に嫌っていた。母を失い傷心の娘を慰めるうちに、敵を親に持つ若い俳優は喧嘩をやめて、恋心をもつというロマンスがある。そのうえ、自分は家から一歩も出ないのに、情報屋のたれこみでだれよりもハリウッドの事を知っている事情通の女性記者にエラリーは魅かれて、何とも不器用なアプローチを試みる。という具合にたくさんの物語が詰まっている。
 パズルとしては完璧。派手なトリックはない(ラストシーンの飛行機内の大立ち回りが代わりにある)が、さまざまな欲望を持つ者たちが勝手に動いているうちに、事件の様相がこんがらがってしまったというプロットがこの作のポイント。「さて、皆さん」のあとのエラリーの饒舌は読者が見逃したことをしっかりとみていて、全体の驚くべき構図にぴたりぴたりと当てはめていく。その知的な快感といったら。
 ハリウッドを現代の地獄か煉獄にみたてて、その腐敗をあばくというような視点はまったくない。その種の「社会派」な物語はチャンドラーやマクドナルドで読むのがよいだろう。そのうえ、どうもたくさんのストーリーを詰め込んでしまって、とりわけタイとボニーのロマンスが大半を占めるので、どうにも冗長。400ページを300ページに圧縮するとよかった。


 さてようやく国名と悲劇のシリーズにたどりついた。