odd_hatchの読書ノート

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都筑道夫「翔び去りしものの伝説」(徳間文庫)

 その世界は、西洋中世の騎士小説みたいな場所。ひとつの王国が周辺地域を収めているが、王位継承者が不在だった。老臣、重臣らは無能。そこで二人の魔術師が暗躍を開始。ひとりの黒魔術師ルンツ博士は地球で事故にあった男をこの世界に呼び寄せ、誘拐しておいた王子を殺し、身代わりに立てることをたくらんだ。地球では八剣巷二と呼ばれていた男は、この世界ではウエラと呼ばれ、身代わりに立ったところではカル王子と名乗る。このたくらみは、もう一人の黒魔術師トルファスは別の王子を立てることを画策し、傷害事件を起こして追放されていた剣士レアードを呼び寄せる。ここにおいて、カル王子とレアードの対立はすさまじいものになり、一触触発の危険な領域にはいる。さらに、以前の王にはラビア姫とリアナ姫と二人の娘がいて、当面ラビア姫が王位継承者の王妃になることが約束されているのでrが、ルンツ博士と組んだリアナ姫はウエラあるいはカル王子を籠絡しようとするが、その心根がそこまでで済むとは思えない。
 さて、トルファスの策略となるのか、ラビア姫が誘拐されてしまう。そこにおいて城に奇蹟がおき、巨人の城が立つときこの国は亡びると予言され、なるほど巨大な城が男の姿になって今にも立とうとしている。一方カル王子には大地の精霊があらわれ、世界の救うのは人にあらざる人であり、そのものには三人の異能の人が付き従い、彼らの助けが必要と聞かされる。カル王子は皆がしり込みする中、ひとり巨人の城を見つける旅にでることを決意する。一度剣を交えたレアードはどういう心持ちの変化か、彼に従うことを申し出て、カル王子は不審と信頼の間を揺らぎながら、地元に詳しい奴隷身分の男たちとともに、深い森に分け入る。彼らの後を、カル王子に抱かれた記憶を大切にする女剣士ヌルミと、矮人の魔術師グブも姿をハリネズミにかえて後を追いかけるのである。

 冒頭こそSFともいえるものであるが、次第に剣と魔法の英雄譚に移り変わっていく。複数の名前をもつ八剣=ウエラ=カル王子は地球の記憶もなければ、この世界の歴史も知らないという無垢なる救済者。彼の内面が空虚であるほどに、事件は吸い込まれるように彼のまわりに集まり、王に世界の命運は彼の活躍にかかっているわけである。彼の旅は巨人の城さがしと誘拐された王妃の奪還という、聖杯物語や騎士物語のような目的をもっている。まあ、そこまで深読みするのは好事家のみでよく、あとがきにあるような「ゼンダ城の虜」「快傑ゾロ」あたりの秘境冒険小説を思い出せばよい。
 まやかしの森でカル王子と主従6人は迷いに迷うわけである。あとがきによると、ここは「西遊記」をモデルにしているとか。まやかしの森で物語が停滞するのは、登場人物同様にまやかしの森から抜ける道を発見するのに手間取ったためらしい。似たことをエンデが「はてしない物語」のアトレイユ少年の冒険について語っているのを読んだことがあり(安達忠夫「ミヒャエル・エンデ講談社現代新書)、なるほど物語を書くときに困難は共通するものがあるのか。
 ようやく森をぬけたとき、みいだしたのは出発したときの城。「青い鳥」ではないが、謎は遠くにあるのではなく、存在そのものにあるというわけかな。そして巨人の城のありかが判明し、八剣=ウエラ=カル王子はルンツ博士とトルファスを手玉に取った地下の魔王(過去の戦いで地下に封じ込めたのを地上に戻してしまった)と最終決戦に臨むことになる。そこではもはやヌルミほかの従者の助けを借りることができず、わが身ひとつで戦いに向かわねばならない。決戦の行方は、真の策略とは、それをいかに乗り越えるか、勇気と機智のみが八剣=ウエラ=カル王子の武器である。
 今でこそヒロイックファンタジーはめずらしいものではないが、書かれたのは1976-78年(単行本は1979年)。当時の若者は「スターウォーズ」1977年でようやくこの種の物語の面白さに開眼したのであって、剣と魔法(ソード&ソーサリー)を楽しむのはゲーム小説がいくつか出てからであって(1979年からだったような)、例によってセンセーの仕事はいつでも早すぎる。
 あと注目するのは、すべての冒険が終えた後、英雄はいかに生きるべきかという問題に面白い解決を示していること。同じく異世界の英雄譚である「暗殺心」も同じ問題に別の解決を示しているので、これに「アーサー王の死」「三国志演義」「南総里見八犬伝」などを合わせて、比べるとよい。おとぎ話のように「それから幸せに暮らしました、とさ」ではいかないのが神話とヒロイック・ファンタジーなのだ。

  

 光文社文庫のコレクション<SF編>には、「イメージ冷凍業」「地球強奪計画(未完)」も収録。前者は「フォークロスコープ日本」で取り上げる。後者は書出しだけで中断放棄されたもの。妙に肩に力の入った堅苦しい物語で、これでは続きは書けない。軽妙さを取り入れることで、当初のアイデアはようやく「未来警察殺人課」に結実したと見える。