この本にはヴァイオリンの歴史がかかれているが、それをみるとヨーロッパは遅れていたのだなあと思う。すなわち、たとえば雅楽の楽器は7-8世紀には完成しているし、アラビアでは弦楽器が古代にはあったが、ヨーロッパでは10世紀ころまで弦楽器はなかった。ようやくさまざまな楽器がうまれるようになったのは、12-13世紀ころからだが、その背景にあるのは農業革命と十字軍だろう。生産に余裕ができ、進んだアラビアの文物を持ち帰るところから、ヨーロッパの文化が変化・多彩になったということだ。
ヨーロッパの弦楽器はリュートとヴィオールから始まるらしい。いずれも貴族・王侯など上流階級の手慰み用。所有していることが資産の多さを示すことになるので、複雑精緻な装飾が施されていた。この時は楽器の形はまちまちで、音色や音量は小さい。17世紀に北イタリアあたりでヴァイオリンが制作される。受容が広がったので、製作者が増え、次第に企画化されて、にたような外見と音を持つようになった。あわせて大きな音と多彩な響きを持つ。17世紀のあたまに、ストラディヴァリ、ガルネリ、アマティなどの名人が誕生。工夫を凝らして名器をたくさんつくる。そこから合奏という演奏形式が生まれたのだろう。リュートは単独演奏だし、ヴィオールでは楽器をそろえるのが大変で大編成の曲はあまりない。
楽器の製作はかつてはOJTで親方から弟子に直接継承されるもので、そこには文章や記号にできない暗黙知があり経験を積まないといけない。それを保証するのがドイツのマイスター制度であったが、20世紀にこれが破壊される。二つの大戦で徒弟がいなくなったり、戦後の文化産業のために楽器の需要が減ったりして、親方制度が崩れたから。すでに1960年代にはヨーロッパの民族楽器のいくつかは製造も修理もできなくなっていたという(Deccaがショルティ指揮でワーグナー「ニーベルンゲンの指輪」を録音したとき、スイスのアルペンホルンを使おうとしたら作れる工房がなくて、納屋に眠っているのを集めたという)。マイスター制度に代わるのが企業であるが、親方制度の強いドイツでは大手は生まれず、日本の楽器メーカーが市場を席巻することになった。この国の職人気質がマイスター制度にあっていたみたい。
日本に洋楽が入ったのは、現在までの系譜をたどれるのに限ると、明治維新頃から。当然、楽器はすべて外国人のおさがりか輸入品になる。しばらくすると、洋楽器の需要がでて、国内で製作を始めるものが出た。ここらは堀内敬三「音楽五十年史」(講談社学術文庫)がまとまっている。ヴァイオリンの国内製造は1890年ころから始まる。粗悪な廉価品だったのが、しだいに優秀なものにかわっていったみたい。面白い記述は、大正から昭和の演歌がヴァイオリン伴奏でうたわれたというのが、その哀調のあるヴァイオリンの響きは当時の粗悪な廉価品だからでたというところ。第1次大戦で西洋での製作が止まったときには世界のシェアのトップになることもあった。第2次大戦で壊滅状態にあったが、戦後復興して、いくつかのメーカーや職人が製作を続けている。有名なのは鈴木バイオリン。
ヴァイオリンの面白いのは、制作されから100-300年たったときに、もっともよい響きを出すようになるところ(別の本で読んだ情報)。なので、17世紀の名人職人たちのは制作当時から名器になったのではなく、そのあとに名器とされるようになった、なるほど、名人たちの製作から200年後の19世紀初頭に、パガニーニ、シュポーアなどの名人が一斉に生まれたのだった。ピアノは生まれたと同時に名人を排出したのと対照的。そういう楽器なので、ストラディヴァリ、ガルネリ、アマティなど17世紀の名器が豊潤な響きをだせるのは、あと200年くらいだろうとみられている。あと300年したら、著者らのような日本人が20世紀に制作した楽器が世界で名器とされているかもしれないと主張する人がいた。そうなれば楽しいが、あいにく確認することはできない。
著者は、戦後大学で音響研究をしていて、ヴァイオリンの製造修理を行うようになり、ドイツ留学して、マイスターの資格を初めて得た。彼が自分の経験をもとに、歴史・製造・修理などについて語る。1975年初出。
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〈参考エントリー〉
odd-hatch.hatenablog.jp