odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

学生運動研究会「現代の学生運動」(新興出版) 1960年安保闘争を総括。島渚監督の「日本と夜と霧」の参考書。

 21世紀のいまどき、誰がこんなものを読むのかというようなタイトル。しかも1960年代後半の全共闘をテーマにしているならまだしも(この文章を書いたのは2006年)、これは1960年安保闘争を総括したもの。書かれたときの状況とテーマは大島渚監督の「日本と夜と霧」につながる。著者(たぶん当時の学生運動活動家だ。とういうことは20代前半から後半の連中)の立場は、学生運動は自立した運動にはなりえず、労働者の運動の補完ないし指導を必要とし、その際前衛党の存在は不可欠というもの。これは全学連主流派のブントの立場を批判したもので、一方で前衛党をも批判するという中庸の立場をとっている。映画でいうと佐藤慶戸浦六宏の立場だな。きっと当時のブントの連中は津川雅彦同様「甘い、甘すぎる」といったことだろう。
 ついでに言うと、ここでは日本の学生運動は戦後から始まるという視点にたっていて、戦前の運動はすべて黙殺。滝川事件はどうした、京大の闘争はどうした、と黒澤明あたりはいいそうだな。今日的ではないのだから、まあいいや。それにここに書かれている戦後学生運動史のほとんど(東大ポポロ事件とかイールズ反対闘争とか砂川闘争とか血のメーデーとか勤評闘争とか)は詳細が書かれていない。当時の読者はすでに知っていることだから。逆に言うと、この種の歴史的事実を知っている人はほとんどいなくなっているのだ。おおげさにいうと、このことは民間防衛の方法や民主主義のうち直接行動に関する知識が失われていることを意味している。一方で、知識が失われたことにより、ボルシェヴィキ風のヘゲモニー争いが運動に入りにくくなったことは喜ばしい(追記 とはいえないみたい。2011年以降の市民運動にはありそうだ)。

 自分がこの種の運動に近いところにいたときから思っていたことだが、彼らの運動というのはビジョンやミッション、タスクを十分に検討していたものではなかった。しかも、ビジョンとミッションには極めて大きな開きがあった。目前の法案阻止や農地収容阻止の運動は、どのような理論でもって「革命」化につながるものであるのだろうか。あるいは「革命」実現のスケジュールはどのように個別案件の実現と関連していたのであろうか。警察や機動隊との直接対峙はタスクとして正しかったのであろうか、デモやストライキは大衆を巻き込む運動方法として適切であったのだろうか。このような検討を経ないで、目前の問題解決に走らざるを得なかった結果、ほとんどの運動は小さな成果をあげただけで(あるいはあげられずに)、壊滅したのではないか。21世紀だと、ビジネスの世界ではプロジェクトを成功させるための管理の手法にPMBOKが取り入れられている。ビジョンを明確にし、達成するべきミッションを定め、そこから個別タスクに落としていく。それを実行する上で、タイム・リスク・人・調達などのマネジメントを行うというものだ。19世紀の「革命」運動は、当時としてはかなりこのようなマネジメントを意識しているものだった。だが、そのスタイルをたんに継承するだけにとどまった日本の労働運動や学生運動は破綻するしかなかったのだ、ろうな。
 あと運動(デモでもバリストでも団体交渉でも陳情でも)では、主催者や組織者の意思や思惑をたんに集まった人々が超える瞬間がある。自分もいくつかの現場で目撃してきた。それをどのように捌くか。操縦不能な事態が起きたときにどうするか。党派は弾圧する(その種の事実は事欠かない)。そうでないときには流される(べ平連のデモでそのあたりの選択の苦渋は小田実とか小中陽太郎の文章に頻出)。ここの「操縦」の手腕は大事。
 もうひとつ戦後の労働運動についての感想。戦前のプロレタリア文学を読むと、闘争中の労働組合はそのまま生活組合の機能を持っていて、未亡人や失業者の家族たちを保護していた。ところが戦後の運動の中ではそのような機能を持っていたことを聞いたことがない。だからなのか多くの労働運動は賃金あるいは業務改善闘争に限定されていて、しかも政治闘争の課題も引き受け、うまくいかなくなった。このあたりいろいろ批判の論点があるのだが、自分の想像はひとつ。彼らが金融機関を組織して、セイフティネットの役割を持たせると同時に、既存の資本を解体するために自前の組合組織(生産を行う場としての)を持ち、民主経営を行っていればということ。そうすれば、企業と直接対峙することなく「革命的」な生産拠点を持つことができたのではないか。
 そういう視点を持たなかったとすると、戦後の「労働運動」は経済に依拠しているといいながら、まるで経済を理解していないという感想を持つことになる。
 まあ、1970年以降に生まれた人には関係ないし、知る必要はないので、この本はスルーしてください。(以上を書いたのは2006年なので、現状とあわなくなっていますがそのままでエントリーにします)