これも20数年前(2005年当時)に購入し、読みかけて、理解できなくて放置しておいたもの。久方ぶりに取り出して読み出すと、きわめてすらすらと読み進めていけた。西洋の中世から近現代の歴史を少しは学んできたのが理由と思う。
もとは1967年の自主講座(懐かしい言葉)で行われた、羽仁五郎の連続講演を活字に起こしたもの。当時の学生運動で多数の読者に読まれた。購入した1982年にはすでに古本でしか手に入らなかった。その一方で、講談社文庫で同じ著者の「教育の論理」といっしょに刊行されていた。中曽根政権誕生後、その保守主義に対抗したのか、多くの文庫でこの種の体制批判の本が出版されたものだった。
著者はマルクス派歴史学と目される。しかし革命の拠点をどこに置くかは普通と異なっている。すなわち本流は労働者(それも資本に収奪されている工場労働者)であったり、毛沢東のように農民であったりするのだが、著者は自由都市共和制に求める。その実例として、ルネサンス前後の特に地中海沿岸からゲルマン地方にかけての独立自由都市(とくにフィレンツェ)をあげる。これらの特徴は、直接選挙による代表選出、警察・司法などを都市が管轄、弱者救済のための政策実行、職業組合によるアソシエーション。なによりも都市の外部にある地方権力からの完全自治の実現。ここでは、自由とは外部の権力が介入することを拒むことであり、そこからは必然的に自由を行使するための義務と倫理が現れてくることになる。著者は大学の自治にも言及し、大学の自治が認められなければならないのは、西洋とくにイタリアやドイツ、ポーランドなどにおける大学は、その地方を治める王権や教会などから学問の自由(教える権利と教えられる権利)を奪われたことに対する対抗として生まれた。すなわち大学を追放された教師と学生が組合を作り、講義を開設したのである。もちろんこのような「自主講座」に対して体制は弾圧したのであり、その跳ね返す根拠地が大学であり自由都市であったということになる。この故に、大学は治外法権(実際にルネサンス時代の大学はこの種の「政治犯」が逃げ込める場所であったらしい)を得ていた。それを支援したのが自由都市であるということだ。(この議論は日本において歴史的に成立するか問題が残る。また大学の機能のひとつである研究費が体制から出るようになり、体制の審査をへて配分され、同時に大学の人事権を体制が持つようになってからは、以上の歴史的経緯を持って「大学の自治」を主張するのはきわめて弱い。それこそ人文系だけしか通用しないものになるようだ。)
面白い指摘は、権力は田舎から来るという指摘。たしかに、農業に依存した経済体制においては中央集権的な組織を持つことになり、それが権力組織に転化することは必然であるといえる。その意味では権力は田舎から来ることになる。一方、自由都市は貿易に依存した経済体制にある。それは市場経済であり、個人が自由に参加し自由に競争できるようなルールになっている。複数の職業がある上、利益関係が複雑であるので、体制は抑圧的画一的であるよりも、調整的制度的にならざるを得ない。そのようなところから「自由」「自治」という思想と仕組みが生まれたと思う。ただこの仕組みが発展進化しなかったのは、ひとつは都市内部が自己改革・変革を行わなかったこと。中世の農村依存型の小権力が都市に生まれた絶対王政型の大権力に変化していった際に取り込まれていったことや、世襲制が誕生し都市内の市民に格差が生じていったことなど。さらには、都市が生まれからして田舎との連帯を求めなかったこと。中世の都市はたいてい城壁で防御されていて、外敵の侵入者を防いだ。このとき、市民は都市内に迎えられたのだが、周辺農漁村の住民は都市にはいることができなかった(城門が閉められる)。このような都市と田舎の懸隔が、都市を衰退していったということになる。実際、北イタリアの自由都市は没落しつつある。ベニス(フィレンツェ)は19世紀のときから没落する都市と呼ばれることになったのだ。だからトーマス・マン「ベニスに死す」のロマンティックな物語の舞台になる。都市と芸術運動と芸術家個人の三つが没落していくのが重なっているのだ。
日本の場合では、戦国時代の山城の国、堺、一向宗自治下の加賀辺りが有名で、もしかしたら明治維新直前のころに自由都市運動があったかもしれない。このあたりは研究の必要がありそう。
以上、本書の前半にあたる歴史性を読んでの感想。著者は19世紀ドイツの歴史家マウレルの著書を盛んに引用するのだが、この人のことはよくわからない。マルクス、エンゲルスに影響を与えた人でもあるらしい。
つづいて後半第2部に入る。ここでは1960年代当時の都市問題、というよりも政−官−産の鉄のトライアングルの構造とその腐敗を指摘することに注力する。現代の言葉に言い換えれば、社会的共通資本をないがしろにしていること(上下水道の不足、公害など)、警察公安体制の貫徹、不要な公団設立や存続などの日本的体制の不具合となれあい、一般市民の住生活環境の不具合と放置、などが指摘されている。現代の経済史ではこのような問題が指摘されることはまれであり、60年代は鉄のトライアングルが高度経済成長を達成したと喧伝されがちである。上記の問題は、70年代を通じて多かれ少なかれ解決・克服していったということになっている。後付であれば、問題の克服は達成されたにしても、それを行ったのは政−官−産ではなくて、文字通り命がけで戦った人たちがいたためであった。そのことは忘れてはならない。しかも、鉄のトライアングルはほころびが目立つと自滅していったが、その後には官が主導するステンレスのトライアングルが作られ、上にあげた問題が現在でも継続している、しかもその克服はなかなか達成しがたい状況になっている。
著者の主張は、野党第1党に投票を集中し、与党保守政権を打倒することにあるとしている。この主張は彼の晩年になっても揺らぐことがなく、1983年の「君の心が戦争を起こす」でも同じだった。1990年代半ばに社会党が第1党になる村山政権が誕生したが、それは日本の野党には政権担当能力がないことを暴くことになった。現在は自民と民主の二つの政党がほぼ同数の議席を持っているが、自分からすると元は保守党で、単に利権争いで分裂しただけにすぎない。どちらが保守でどちらがリベラルであるのかわからない状態になっている。そのような状況では、著者のように野党第1党に投票を集中せよとは言いがたくなっている。
第1部が都市の歴史を語ることでそこではマウレルという19世紀の歴史家の著述を中心に話が行われていた。第2部になると、著者は新聞記事や社説を膨大に引用することによって、論を進めている。読売、朝日などの大新聞の記事を使い、完全に市民・住民の側についているとは思われない企業の文章から、体制を批判する言質をとっている。あちら側の論理と言葉を使ってあちら側を批判するという戦術。この人は若いときから引用癖が激しく、ときに文章を読みにくくしていたが、それは体制批判の戦術としている。
第2次大戦直後、著者は議員になって、いろいろな政策の立案にかかわった。非常に急進的な政策を要求し、いくつかは実現している。このような体制批判の側の人を政策の内部に迎え入れることは、政治を倫理的に行うひとつの仕組みである。そのようなことはこのところ実現できなくなってきているし(最近はNPOが国際会議に招かれるようになるなど、少しは変わってきた)、問題があったにしても、敗戦直後の政治はすこしは「正し」かったといえるのではないか。
(以上を書いたのは2005年なので、現状とあわなくなっていますがそのままでエントリーにします)
中世の都市にはいろいろなパターンがあった。また自治都市といえども、市民の負担や制限はいろいろあった。そのあたりは鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)が参考になる。