odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

橋本克彦「バリケードを吹きぬけた風」(朝日新聞社)

 全共闘運動は、どうにも心にいろいろなしこりがあって、実体験がないにも関わらず、うまいことまとめられないでいる。これは1968年の日大闘争の記録を1985年に出版したもの。いくつかの学部で別々の闘争があったが、ここでは芸術学部で起きたもの。ほかの学部の運動は手元にある日本大学文理学部闘争委員会書記局編「叛逆のバリケード」(三一書房)で知ることができるが、読み返す気力はない。

 1983年が東大安田講堂落城15周年(なんだかなあ)とかで回顧ブームがあり、単行本の出版・雑誌の特集(なんと「近代麻雀」誌が別冊を刊行した)・映画の上映・ビデオの販売などを行った。
 さて、1984年ころに朝日ジャーナルに連載されて、翌年に単行本で出版された。ここでは日大闘争の全貌をまとめるという意思はなくて、著者の個人的な記憶と周辺の友人たちの証言からできている。40代になったばかりの著者の半生記というわけか。笠井潔野崎六助のような思想の深みはないし、佐々淳行「東大落城」(文春文庫)のような体制側の記録でもない。半径3メートルくらいの見聞記。9/30の大衆団交以降は、「芸闘委」の執行部で運動の理念と方向をつける議論をしてきた著者にとっては、日大会頭の退陣表明獲得は敗北であったということになるらしい。その直後のバリケード排除ののち、著者は運動から撤退している。このあたりの記述から自分を擁護する雰囲気が漂う。わかるんだ。逮捕の恐怖とか、家族の圧迫とか、未来が闇に見える感じとか。それで運動から離れ、自己嫌悪と自己弁護と過去を美化するというのは。その臭いとか雰囲気は自分自身にもあるので、どうにも苦い読書になった。

 いちおうラフな感想をいうと
・日大闘争の始まりは、使途不明金の発見(約20億円)が発覚したこと。私学の経営も資本主義の理念が貫徹しているとはいえ、不正は正されなくてはならない。なにしろ使途不明金のもとは学生の受験料に授業料であるから。
・当時の大学進学率は20−30%。とはいえ、敗戦直後のベビーブームのために同世代の人口は非常に大きく、この程度の進学率でも年々増える学生数に対して大学は充分な投資をしてこなかった。彼らの不満は全員が出席すると立ち見も入らなくなる教室であり、正確な学生数すら把握していない事務方であり、新書一冊の内容すらない一年間の講義内容であり、不十分な施設(図書館とか教材とか)であった。しかも経営当事者がそれでよしとし、数年後におこる受験者減を見込んでこの数年間に利益をためようということを放言していたのであった。
・まあ、このような不満に対し学生が文句を言うと、除籍や停学などの処分をちらつかせて恫喝し、右翼や体育会系学生などを使って暴力を振るわせ、政財界に支援を要請(まあ使途不明金の用途はこのあたりだろう)していた。
 というわけで、まず確認しないといけないのは、問題の原因は大学の経営陣にあるということ。ここを忘れるとその後の判断を誤るので強調しておかないと。たしかに学生のやった大学施設の破壊や備品の売却は許せない。しかしそれが問題の主題でないのはたしか。このような大学当局(なつかしい言い方)のやり口は、宇井純「公害原論」などに記載される公害原因企業とそれに依存した自治体のやり口と一緒。記憶しておくべき。
 後半はバリスト(懐かしい言葉だな、おい)の内部がいかに崩壊していったか。
・若い人が社会や組織の不正や腐敗に憤り、怒りを表明することは重要。彼らの声は、社会に自分の居場所を作って安住している者たちを不安にし、怒りや憤りを共有させる力を持つ。社会を変える力を生む最初の一撃になる。
牽強付会であることをわびつつ、この運動で行われた有志によるオルグとか教室単位の集会というのは、アメリカ独立戦争フランス革命ロシア革命などで見られた自発的運動組織をみてもよい。こういうのが「ソヴェト」なんだなあ、と。
・まず最初に、新左翼という政治組織が暗躍していったことが失敗の原因。彼らは運動のヘゲモニーを握る(もちろん目的は紛争に勝利することではなく、指導しているという事実のみ)、自派の構成員の拡大、当面のかれらの目標である1970年安保の運動員を獲得すること、そのうえで自治会と生協の運営者になり資金を流用することを目的にしている。「前衛」を標榜しても組織はすぐに腐るのだな。数年後の中核vs革マルの内ゲバ連合赤軍のリンチ殺人、いくつかの組織の無差別テロなどの堕落はすでにこの時期に生まれていた。笠井潔だったか別の誰かだったかが言っていたように、革命の成功の直前に前衛は革命を裏切るのであった。まさにそのような事態が起きたのが記録されている。前衛の側は大衆を嫌悪するのであるが(笠井潔「バイバイ、エンジェル」など)、大衆の側からすると追い越した前衛が後ろから刺してくるようなものだな。
・といいつつ、個人の自発性だけに根拠を求める組織体では長期的な運動を継続できるというわけではない。後半で著者が陥ったニヒリズムというか、消耗した後の空虚感とか、そういうのは実存主義文学の主題にはなる。でも、宇井純の記録する公害被害者の運動ではもっと長期間の闘争に耐えることができていた。学生組織にみられる傾向からすると、新左翼全共闘は、学生は革命の主要構成員と論を張ったが、見事に空論であることを立証している。
・問題はいろいろあって、まず要求のポイントがばらばら。1)不正経理の公開、2)施設拡充、3)学生自治権の獲得、4)処分撤回などで、これらをいっきに獲得しようとしたこと、しかも自分が学生のうちに(というか数カ月の間に)。こういうヴィジョンとミッションおよびタイムスケジュールの混乱と性急さが失敗の原因。1と2を実現してから(そのときには会頭以下経営者の総辞任がおこる。そうすれば学内の改革派が経営者になる可能性もでてくる)、3へ、そして4へというように数年越しのスケジュールであればなあ。あと、問題を学内に限定して、大学当局vs学生という図式にしてしまったこと。そうでなくても全共闘は少数派であって(数千人規模の集会ができると豪語しても、そんなのへのつっぱりみたいなもん)、弾圧や差別の対象になるのだから。だから、もし勝利の展望を見出すとすると、OBや父兄が学費返還請求訴訟を起こして、学外団体が主体になり、学生がその支援をするという図式にすることだったのだろうなあ。
島泰三「安田講堂1968-1969」中公新書を読むと、父兄会ができて事態収拾にあたったが、法律家の参加者がいなくて事態を収拾できなかったし、大学幹部との折衝で懐柔されてしまったとのこと。うーん、俺程度が考えることはすでに考えられて実践されているのか。己の馬鹿さをさらすために上記はそのままにしておく。それにしても、この国の権力者は政治的寝技がうまいよなあ。)
 という具合に悪口を言い出すと止まらない。
 ではお前はどうかと問われるとうつむいて沈黙するしかなく、より巨大な組織が不正をしていることに抵抗し、その国家をつぶした東欧革命やジャスミン革命を差し出すしかない。この国とこれらの国の違いは何なのか、今起きている国家や組織の不正や怠慢に国民はどのようにアクションするのか、自分に答えはないけど、ここら辺に手がかりがあるのではないかしら。
 まあ、1970年以降に生まれた人には関係ないし、知る必要はないので、この本はスルーしてください。