odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

島泰三「安田講堂1968-1969」(中公新書)

 東大闘争の経緯を簡単にまとめると、医学部の学生やインターンが待遇改善をもとめて(無給で長時間労働を強いられ勉強する暇がない)、1968年冬に無期限ストを行った。学生と職員がもめると、その場にいた学生に処分(退学とか停学とか謹慎とか)がでた。そのなかには現場にいない学生が誤処分された疑いがあった。そこで、ほかの学部の自治会でも処分撤回の決議をだし、ストライキに入る。大学当局との交渉はうまくいかず、一部の学生は安田講堂を占拠する。その排除に機動隊を導入した。夏休み中に大学は、学生に「告示」を送付した(俺のいた大学でも東大闘争の10数年後に同じことをやられたなあ)。これらの解決策はさらなる反発を生み、7月に全学共闘会議が結成される(ここらへんよくわからないのだが、自治会はどうなっていたのかな。交渉の窓口機能は自治会、運動の指示は全共闘というすみわけになっていたのかな。手元に東大全学共闘会議編「砦の上にわれらの世界を」(亜紀書房)があるけど、読み返す気力はない)。

 秋になるとほぼ全学の建物はバリケード封鎖され、教職員は入構できなくなる。一方、右翼・体育会系学生や民青の武装集団が全共闘にテロをしかけたり、バリケードを破壊したりする。バリケードの中には東大生だけではなく、新左翼の構成員が応援・支援の名目で入るようになる。あくる69年1月、同年の入試を実施するか否かの結論を出せる間際の日に、機動隊が導入され、2日間かけて安田講堂に立てこもる学生らを逮捕・排除する。その後は裁判闘争。著者は19日に逮捕された組なので、記述はここまで。翌年からその後の動向は書かれていない。

 さて、このような学生運動をどのように評価するかということだ。やりかたは二つある。ひとつは、決起した学生らの「動機」「決意」「提起した問題」で評価するという視点。これだと、学生の「心意気」を称賛することになる。なるほど東大というブランドを捨て、高級官僚や大企業の経営陣になれるキャリアを捨て、かわりに怪我・逮捕、ばあいによっては傷害や殺人の罪を持ちかねない最大限のリスクをとって正義を実現しようとする。国家ほかの暴力と対峙するわけだ。なにしろ催涙ガス・糜爛ガス・大量放水を受けて、機動隊や警官の暴行をうけ、ときに右翼・体育会系・民青の暴力もある。そこまでの決意はこの国ではなかなか事例を見出せない(おっと明治の一揆自由民権運動、あるいは公害被害者の運動などを忘れてしまった)。また彼らの提起した問題(政治、教育、学問、大学組織など)は多くの人に深刻な影響を与えた。彼らの言葉は生煮えで生硬だったけど、それを解読して自分の問題にしたひとはいた。影響を受けたと思われる本はしばらくしてからたくさん出た。
 ここでは決意や動機で評価しないようにする。代わりに、この組織や運動の成果とパフォーマンスを評価軸に用いる。そうすると、この運動には様々な失敗と退廃を見出せる。まず、彼らの獲得すべき目標、達成指標があいまいであること。当初東大闘争では7項目要求があった。そこには処分撤回とその後の処分をしないことの確約、学生自治権や表現・思想の自由などが獲得要求としてあった。処分撤回以外はあいまいでどのような落としどころにするのかが明確でない。そのうえに、大学音のへの文書の要求とは別の獲得目標も出てくる。たとえば大学解体とか軍産学共同研究停止とかベトナム反戦とかが追加されていく。こうやって最初の獲得目標のあとに、あいまいで理解しにくい目標が追加されていく。さらに参加した新左翼たちは「プロレタリア革命」「帝国主義粉砕」などの党派の目標も掲げだすしまつ。そのために、外部からすると運動の目的がわからなくなり、内部では獲得目標の統一ができないで混乱する。個々の局面では、全共闘の運動に賛成し支援する人もいたのだが(佐世保や横須賀などの空母入港阻止とか、ジェット燃料運搬阻止とか、国際反戦デーとか)、継続的に支援する人が極めて限られていた。学生のほかのステークホルダーを獲得することに失敗している。
 パフォーマンスとしては、彼らの運動が警官や機動隊との肉弾戦をし、バリケードをつくって立てこもるというやり方。そのようなやり方にしたのは、国家や警察の側の責任が極めて大きい。60年安保の岸のやり方(権威主義的に物事を決め、議会主義を無視して政策を決め、抗議反対するものには暴力で対抗し、一切の説明責任と結果責任を取らず、問題を起こさないことを下部の組織に要求して暴力を誘発するなど)をそのまま踏襲。日本的な政治の悪さがもっとも際立った時期だった。彼らの暴力に対抗するために学生も武装し暴力を使うようになる。その結果、彼らの「敵」が警察と機動隊になってしまった。このような「敵」の立て方と戦術も、ステークホルダーを獲得することに失敗した理由。そのうえ、逮捕も辞さないという決意は、大量の逮捕者を生み、長い裁判闘争を行うことになる。それは運動の人的リソースを割くことになり、資金と指導者の不足に悩むことになる。そのうえ、逮捕者(それも傷害や公務執行妨害など)がでることは当局や権力のデマや煽動を裏書きすることになり、ここでも運動とステークホルダーを消耗することになる。
 気になるのは、自治会でストライキを決議するまでのプロセス。小集団のクラス(大学だとソヴェトを生むのを待てないから、クラスが最小の集団になる)で「全学ストライキ」の決議をだし、その代表が集まった学部自治会でストライキが運動方針になる。これは多数決原理の正当な手続き。でも、クラスという20-30人の小集団では一人の煽動者ともうひとりの同調者がいることで、「ストライキ」の決議を出すことが可能。そうするとたとえば、20のクラスがあったとすると、総計300-400人の学生の総意を形成するには、20人の煽動者と20人の同調者でできることになる。そのような「下からの総意」を少数者が形成して、大組織の運営を行うことが可能になる。俺もそういう「総意」形成に参加したことがある。資料を作ってクラス会議に出席して、進んで自治委員になって、という具合。これはロシア革命時のボリシェヴィキがやったやりかた。さて、このようなプロセスで形成された「民衆」「大衆」の総意は民主主義であるのか。俺はそう思えない。
(そうやって手続きにこだわるから、今度はもめると組織の運営が滞る。学生総会などの最終決議決定の場では、しばしば議事が混乱し、長時間の会議になる。6時間は短いほうで、徹夜だったり17時間をかけたりなど。こういう長い会議には自分も消耗したなあ。統一と団結にこだわることが個人の創意を減らし、画一的な運動になってしまった。同工異曲の大量のビラとタテカン、全員がヘルメットにマスクとサングラスを身に着け、角材を持つというスタイルになるというのもよくない。多様なやり方が共存併存しないと、ステークホルダーは増えない。)
 国家や警察の暴力にさらされた学生の内部では、自主講座や勉強会などを行うものもいる。しかし全体として、倫理は退廃してくる。教授の蔵書を売って闘争資金にするとか、博物館の岩石標本を投石に使うとか、学内の備品を破壊し掃除をしないとか。あるいは運動者の内部で起きた性差別を放置するとか、敵対グループには暴力をふるうとか。このあたり。
 この本を読んでも全共闘や東大闘争の目的がよくわからない。文中のことばで腑に落ちたのは「大人、人間扱いしてくれ」。なるほど、政治的思想的主張であるよりも、この感情が先にあったのだなあ。その怒りとか失望とか、感情の爆発があったのだろうねえ。
 という具合に、悪口をやめることはできないのだが、ここまで。戦後の学生運動にこだわるのは、自分がそのような運動の最後期に参加していたことにある。自分のやったことや主張してきたことが長年引っかかっていてそのまま放置しておけないという感情が俺のなかにあるから。そのうえで、もし自分の生まれがもう少し早かったら、学生運動に入れ込んで暴力をふるうかふるわれるかの経験をしていただろうという恐れもある。十分な理解のないまま、感情で集団心理に飲み込まれ悪や不正を行う可能性があった。なので、著者などの学生運動の経験はひとごとではない。彼らはおれの鏡像で、優れたところとだらしないところの両方を具現している。だから、このようなレベルの低い「批判」「感想」をしないわけにはいかない。
 まあ、1970年以降に生まれた人には関係ないし、知る必要はないので、この本はスルーしてください。