odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

小田実「小田実の受験教育」(講談社文庫) 代ゼミの英語講師でもあった著者による受験の主張。人々の機会を平等にする受験はあってもいいが、目的にしてはならない。

 もとは1965年の発表。文庫版には1983年の英語教師(?)との対談が追加されている。対象とする時代は古い。そのうえ、自分はすでに受験は遠い過去のできごとで、受験を控える子供をもっているわけではないので、著者の想定するターゲットにはあたらない読者である。そんな立場での感想。

 著者の主張は
・文法やイディオム、スペル、発音などの瑣末なことを暗記するのではなく、文章の大意を理解せよ。そのためには教科書、参考書以外の勉強や知識や体験が必要。
和文英訳や英文和訳の些細なことにこだわるより、自分の考えをしっかりまとめた日本語の文章を書けるようにしろ。
・イギリスやアメリカのネイティブが使う英語を目標にするな。それより自分の意見を発表する手段として英語を使えるようになれ。
・「受験」問題を作り出しているのは親の側にある。親が子供の道筋を立てたり、整地したり、介入するのは不要。高校まではちょぼちょぼのところで十分(幼稚園、小学校、中学校の受験はナンセンス)。子供が受験に成功したあと、受験問題を考えなくなるのは、本気でない証拠。
・有名大学→有名会社ないし官僚のコースを目指して、会社社員や官僚になったあと、何もしない人生を送ったり、他人の考えを模倣するだけの人生になにか意味はあるのかい。
・「受験」という体験と仕組みはあってよい。でもそれを目的にしてはならない。
 まだいろいろな論点があるけど、このくらいに。ちなみに、この本の初出のあと、「受験」小説がいくつかあって、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」、井上ひさし「偽原始人」など。とくに後者はできの悪い子がママゴンのおかげで家庭教師をつけられ、つまらないことを暗記させられる(日本各地のソメイヨシノの開花日を覚えるとか)という内容。ここに記載された「受験」問題のカリカチュアを描いていた。あまりフォローしていないが、「三四郎」「若き詩人たちの肖像」「悪太郎」にしろ、曽野綾子「太郎物語」新潮文庫とか大江健三郎「キルプの軍団」岩波書店→講談社文庫とか)にしろ、日本の青春小説はある点では受験小説であったのだが、いまでもその伝統は残っているかしら。
 受験があってよいと考えるのは、人々の機会を平等にする仕組みをもっているから。すくなくともこの国の大学は国家官僚養成目的で作ったのだが、イギリスみたいに貴族やブルジョア子弟だけしか入学できないという規定は無く、貧乏人・庶民でも入学は可能だった(そこに学門自治とか権力の支配を拒否するなど、貴族主義的な科学者の主張がこんがらがって、1950-60年代の大学問題を複雑にしている)。そこはいい。しかし、もっと機会均等の可能性を持たせるはずなのに、戦前に設計した仕組みが残り、大企業が金融資本がフリーライドしているのは問題だともいう。
 あわせて大学改革についてもいくつか意見を持っている。
・学生は大学間の移動を行えるようにするべき(別の大学の講義を単位として認めろ)。教師も移動を盛んにしろ(とりわけ旧帝国大学や早稲田・慶応などの「有名大学」)
・大学の授業料は高くてもいいが、代わりに奨学金を充実させろ。
 子供を高校に通わせることが困難である家庭も出てきたので(2000年以降)、これらの実験を行うようにしたほうがよい。

代々木ゼミナール現役講師の筆者が特別に解き明かす受験のマル秘テクニック。一度は大学をすべった「落第生」たちを、花のトーダイや憧れのジョーチに次々と押し込んできた二十年間の実績に物を言わせ、大学受験常識のウソを徹底的に暴き、貴重な受験体験の意味を語る。人生を損したくない若者たち必読の参考書。」

(2010年に書いた記事なので、2015年の現状に合わないところがありますが、そのままにします。)