odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

五十嵐一「音楽の風土」(中公新書)

 著者はイスラム学と比較思想専攻(奥付の著者紹介から)。1970年代後半にイランに留学。その最中に1979年のイラン革命に遭遇した。同時期に小田実もイランほかを訪れている(小田実「天下大乱を行く」(集英社文庫))が、彼の見聞とは相当に違う。テヘランで生活して、大学人や政府に近い人、町の生活者と話をし、デモやその鎮圧を目撃しているのであるから。そうすると、イラン革命は小田の報告するような社会主義革命や思想革命であるとは必ずしもいえない。革命から日を経ていないから、皇帝を懐かしむ人もいるし、変化に即応して家賃他の物価を便乗値上げする商人もいるし、という具合。ホメイニ師西洋音楽やプールを禁止したのを憤る西洋人もいるが、9割の貧困者や中流階級には無縁であって、1割の上流階級にしか関係しないことで、彼らの多くは革命と一緒に亡命したから、実効力のある指示であるとはいえないとか。あるいは皇帝の時期、親米派が重用されていて、革命にあわせて昔は羽振りの良かった親仏派が盛り返したとか、そういう政治の寝技のような話もでてくる。


 なるほど、一国のこととはいえ、一人のレポートでもって全容を把握しようとするのは危険であるというのがよくわかる。もうひとつは、ちょぼちょぼのおっさんおばさんはどこに行っても変わりはねえなあ、政治より生活が大事だよというところ。とはいえ、そのもとになる考えとか習慣とかは、場所の差異が大きいので、この国のあり様をそのまま持ち込むと足をすくわれる。足をすくわれたのをそのまま放置すると、かの国の人たちを見下すようになる。これはこの国の多くの人の共通する欠点みたい。とりあえず著者のような専門家の書いた本を読むなどして、イスラムやアラブのことを少しは知っておいたほうがよい。
 イランやイスラムはどこか隔絶した土地であるように思うことがしばしば。でも、この国はパキスタンアフガニスタンイラク、トルコ、ソ連(当時)に国境を接していて、人々は国境や国籍を気にしない生活をしていたから、そこからヨーロッパやインドとの連続性が見えてくる。たとえば、18世紀末にトルコ音楽が西洋ではやったとか(モーツァルトベートーヴェンの「トルコ行進曲」ほか)、20世紀初頭のトルコとアルメニアの紛争で難民が出て、フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブールが亡命アルメニア人の息子であるとか、目からうろこの情報がたくさんある。あるいは、古代ギリシャ語は独自のリズムをもっていたが、オスマントルコギリシャを征服してトルコ風の発音とリズムがギリシャ語に反映されたために、「イーリアス」や「オデュッセイア」を現代ギリシャ語で読むと味気なくなるとか。こんな話題を振りまかれれば、おのずと興味と関心がわいてくる。
 このような事例を知ることで、読者を含めたこの国の人の偏狭なものの見方が相対化できるだろう。上記のようにイスラムからヨーロッパを見ると、かつてはヨーロッパはまことに武骨で粗野な人たちであった。それが中世の農業革命と近代の科学革命を経て、ヨーロッパは普遍主義を打ち立て、それをかざして周辺を威圧的に侵略・支配する。著者はヨーロッパの普遍主義は普遍的であるかと問い、そうではなくたまたまその場所と時期に生まれたそれ自体が地域的なものの見方だとする。普遍主義を強く推し進めると、それは同一化、差異の排除や抹殺につながると警告する。イランや周辺諸国イスラムは、多文化が共存する文化であり、そこには現代(当時)の民族紛争を鎮める知恵と融和の技術があると示唆する。あいにく、これが書かれた後のイランやアラブ諸国はそのような寛容と融和を政策にすることができなかったようであるが。
 「音楽」の話は、イランやトルコの音楽から、キリスト教のミサ曲ほかまでの話題も豊富。ここでもヨーロッパ古典音楽に傾倒する人たちの目からうろこを落とす。この種の知識を増えたおかげで、再読したときのほうが面白かった。
 著者37歳の本。たぶん一般向けの本は最初ではないかな。学者らしい堅実な知識の紹介と、とぼけた味わいの経験談が突拍子もない組み合わせで現れて、とても面白い。この連想飛躍と知識の縦横無尽ぶりは何だろうと思ったら、たぶん彼の講義がこういうものだったのだろう。ときに肩に力の入ったこの国の政治や文化の批判もあって、ほほえましいが、その主張は力が込められている。こういうイスラムから見るという批判は珍しいし、彼の提言は当時受け入れられず、2010年代になってもまだ古びていない。
 章は次の通り。
革命は短調で訪れる/こぞの雪今いずこ…/「アーラーメ・ハチャトゥリアン?」/トルコ行進曲のひとこと/バッハじゃなかろうか/鳥の歌

 さて、自分は学生のころ、著者の講義を受けた。とはいえ、最初の回だけ出席し、試験にだけでるというダメな学生であった。もちろん単位はもらえなかった(そういう時代だったのです。現在の厳しさとは違う)。その10年後に著者は非業の死を遂げる。享年44歳。自分の不明とひどい態度を恥じ、著者の死を心から悼む。