odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小田実「ベ平連」(三一新書)

 これは1969年秋に出版されたべ平連の途中経過報告。冒頭は、吉川勇一小田実鶴見良行の論文。次は、事務局のひとたちの座談会。後半は各地のべ平連の活動報告。最後の報告を書いているのは、高校生だったり、主婦だったり、学生だったりさまざま(なぜか会社役員、教師を除く公務員、サラリーマンはいない)。論文や座談会では、「ベトナムに平和を」を訴えることで朝鮮がみえてきたとか、ゲバ棒(死語!)をもつだけが運動ではないとか、まあいろいろ。特に読むこともないな。
 では感想を。こういう社会を変える運動というのは、この国特有のものではなく、1989年東欧諸国や2011年北アフリカ諸国で成功しているのであって、それらと対比すると見えてくるところがあるはず。また時間を経過したことで見えてくることも。

 問題点を挙げると
1.運動の参加が個々人の「決意」であること。それはあったほうがよいにしても、当時の運動で起きたことは決意がくじけた時に(それは短期行動で成果が出ないとか、マイルストーンで失敗するとか、機動隊に傷つけられたとか、仲間と一致点をみいだせなかったとか)、心が折れて運動から離れる。むしろ運動すること、参加することから総退却する。
2.運動がマンネリになること。少ない人数で、まずは仲間うちの勉強会とか討論会から、というはじめ方をすると、数か月で限界が出てくる(変化がなくて飽きてしまうし、上記のように心が折れるのだ)。また手弁当というか自費の持ち出しが増えて、負担が大きくなる。
3.運動の方針とかターゲットなどで内部分裂。たとえばフォークゲリラの活動報告でも、新宿駅西口広場でフォークソングを歌うことを「政治活動に止揚すべき」と「大衆にひろげるべき」との二つの立場で議論が起きて決着がつかないことが書かれている。この国の1960-70年代の運動はたいていこの種の運動の仕方批判で議論の時間をつぶしたものだ。1980年代にもそういうのをみたことがある。
4.この本には書かれていないが、人の意識を変えよう(そうすると社会が変わる)というスローガンはたいていの運動にあったが、成功したためしはない。意識変革を求める運動はカルト化するし、それに人の意識はなかなか変わらない(勉強嫌いだった子供に大人になったら勉強させるようなものだから)。そのうえ、無理やりやれば洗脳だ。
5.とはいえ、デモや集会に対する規制や不当逮捕など体制の側の規制や監視がひどいこともあげなければならない。彼らは体制の維持のためには法律を違反し、人権を無視することを躊躇しない。このような権力やその維持機構は体制維持が目的であって、個々人の権利や財産を無視することは厭わない。それができれば、1950-60年代の強制代執行など起こらないはず。ここは特筆大書しておかないと。
6.同様に、「運動」は禁忌するものだという印象を、体制といっしょに、マスコミ(新聞とTVだ)が行ったことも重要。ここは特筆大書しておかないと。もちろん、よい記事、ドキュメンタリーが作られたり、記者個人の頑張りがあったことも事実ではあるが、業界全体の問題を免責するものではない。
 べ平連は拡大していったけど、1974年に解散。事務局の人たちが1980年代に立ち上げた運動はあまり反響がなかった。それから30年を経て、2011年からあとには市民運動が活発になっている。ベ平連によく似ていて、しかし異なっている運動は、日々更新されている。メンバーも、方法も、組織も、対象も。これは本や雑誌、論文では全く追いつけないし、ネットの情報だけでも不十分。
 小田実は2007年7月30日、胃がんのため東京都内の病院で死去。享年75歳。事務局長だった吉川勇一は2015年5月28日死去。享年84歳。ベ平連の結成に尽力した鶴見俊輔は 2015年7月20日死去。享年93歳。

べ平連 (1969年) (三一新書)

べ平連 (1969年) (三一新書)

 【参考画像 2015/8/30 国会前】


 この二人のみならず、樺美智子さんや無数の無名の死者たちもともにいたのだろうと思う。60年安保の運動者のみならず、この国の侵略戦争の死者までも。


 2015/8/30の全国の安保法案反対の運動をSNSやネットでみると、おれが数年前に書いた上のぶつぶつは全部吹っ飛んでいました。2012年からたった3年でこの国の市民運動がどんなに成熟したか、どれだけの力になったかに驚愕し、感動しています。


<参考エントリー>

2016/06/27 高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書) 2015年
2016/06/28 高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ?」(河出書房新社) 2015年