odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-1

 1964年刊行。
 「知識人」という言葉がどのような人たちを指すのか。大体わかったような気分になるけど、その内実を見ると、けっこうあいまい。実際に、歴史や社会によって異なっている。18世紀のイギリスと19世紀のロシアと20世紀の日本(それも前半と後半はわけないと)で、「知識人」が指している人はまるで異なる。そこにインドのような被植民地で高等教育を受けた人々をみると、それもまた違う対象を指している。まず違いを明らかにしてみようというところから始まる。

日本の近代化と知識人の変遷 ・・・ 明治維新後の近代化で日本人は西欧を規範にしようとしてきた。西洋にはオモテ(自由と民主主義)とウラ(帝国主義)があって、どちらかしか見なかった。オモテの西洋に心酔したのは「知識人」だし、ウラの西洋を規範にしたのが軍人や官僚。とはいえ、どちらも理想化しすぎるか現実にべったりしすぎるか。西洋が思いがけないことをしたり、国内の思想動向が変わったりしたときに、現実に打撃をうけたり、過度な理想化をしたりと揺れ動いてきた。明治のころもそうだし、戦後すぐでも見られたし、最近(1965年)の左翼知識人にも。
インドの場合 ・・・ インドとの違いは植民地体験の有無。1955-65年ころのインドの知識人の現況。知識人になるには(あるいは官僚になるには)英語ができなくてはならない。
(この国の教育のユニークさは自国語ですべての高等教育ができることで、そうでないアジア諸国からは羨望ないし驚きの対象になっている。さてそのようなこの国で早期英語教育を行う意味はなんでしょうかねえ。)
古代ギリシャ人の知識人像 ・・・ 西洋では、知識人はおおむね専門知識とそれ以外の広い分野の知識を持っていること、および批判的知性の持ち主であることが必須とされる(後者をもたないのは「インテリ」とのこと)。知識人像が最初にことばになった古代ギリシャでは、暇をもって自分で考えることと、他人を行為に誘う説得が市民の技術として必要。後者は、だれにでもわかる言葉と論理を使い、書くよりしゃべることが優先とされる。また西洋ではオモテとウラ、論理と倫理は峻別される。
(うそをつくのはこの国では倫理や節操で非難されるが、西洋では論理的な一貫性があれば許される。でもウラの行為、例えば政治家が妾の家に行くとか秘密クラブに行くとかが暴露されたら致命的。オモテとウラの峻別ができていないから。一方この国では、倫理や感情で非難されるから、政治家の妾宅や秘密クラブ通いがばれても処罰されたりされなかったり。)
知識人像の変遷 ・・・ 古代知識人から中世型、近代の知識人への変遷をまとめる。近代の知識人は「ひま」がなくなり働くようになる(知識人は増えるが質が低下する)、全人から専門になる(判断者としての機能が低下)する。このような動きは国民国家の「国民教育」と「国民皆兵」の動きとセット。西洋でも古典型知識人への憧憬はあり、特にフランスに顕著だった。そういえばオーボエ演奏家ハインツ・ホリガーフーコー「言葉と物」の話をして相手の日本人録音プロデューサーを閉口させたというのを思い出した。
ソクラテスの情報が面白くて、この人はオルペウス教の影響を受けていた、癲癇質の狂信者タイプだったとのこと。そんな性向が論理と生死をごっちゃにした議論を展開する。それをのちの人は称揚したのだが、ニーチェの言うとおり哲学や形而上学をうっとうしいものにしたのかもしれないなあ。)
近代化と知識人 ・・・ 近代国家になると知識人に期待されることが変わる。古代から中世では全人的な人格と判断力であったのが、組織を効率よく運用する技能になる。社会の民主化や工業化・サービス産業化によって、次第に後者であることが要求される。典型的なのは学生と軍人。近代国家になったばかりだと、学生と軍人は知識人とみなされるが、成熟した民主社会になり経済成長を達成すると彼らは知識人とはみなされない。
(で、この国の学生は大人と子供の両方で見られるという話になる。ここは当時の新左翼の「先駆性理論」に対する批判にもなっている。先駆性理論は、学生はプロレタリアートに比べて身軽な存在であるため、他に先駆けて「敵の策謀」を見抜き、警鐘を鳴らせるというわけで、学生は革命の主力となりうるという論。まあ、今から見ると、階級とか所属でもって運動の主体になりうるかどうかを判断・区別するのはばかげた議論。プロレタリアとか革命党が決起して革命になったのではなく、決起した個人の集まりが革命になったのでしょうよ。ここらへんの機敏がわからないマルクスレーニンはダメだよなあ。)


 知識人とそうでない人の境にいるような人の典型は、学生と軍人である。彼らを「知識人」とみなすか否かは、その国の経済・社会状況で変わる。ここが面白い見方。近代化や民主化が遅れている国家では、政治体制の確立と運用のために大量の官吏と軍人がいる。なので、初期の高等教育は官吏と軍人の養成から始まる。当然、進学率はきわめて低いから、そこに行くものは社会のエリートとみなされる(卒業後にほとんどすべてが要請通りの職業について権力を持つようになるから)。これはこの国の明治時代をみればよい。象徴的なのは司馬遼太郎坂の上の雲」だろう。貧乏士族の息子はチャンスの獲得のために、無償の軍人学校にいく。それがために、彼らはエリートとなり、社会的発言を求められるような知識人となった。たぶん本人らも知識人である自覚をもっていただろう。
(21世紀になって、経済格差が広がり、かつ教育費が高騰しているので、高等教育を受けるチャンスにないものが軍隊の奨学金を使うとか、無償の軍人養成学校に入学するなどの経済的徴兵制が実施されている。そのことによって、民主主義・立憲主義から若者がスポイルされ、労働人口に影響がでてこの国の生産性を低め、軍人が政治に介入するようになることなどを恐れる。)
 経済発展と政治体制の確立によって、新たなチャンスの受入先に実業界ができる。こちらの方に人気が高まるようになり、学生の数が増えてきて、一方で軍人の役割が少なくなっていく。著者の観察では、1950年代のイギリスやアメリカでは学生や軍人は知識人ではなかった。この国では敗戦後にこの変化が起きる。敗戦後には、軍人を知識人とみなす考えはなくなったが(建前上いないことになったし)、学生をどう見るか、学生は自分をどのように規定するかは、揺れ動いた。1970年代半ばまでは知識人の範疇にあっただろうが、1980年以降にはそう見る/規定する人はまずいない。
 (戦後の左翼や新左翼が学生の位置を高めようとした「先駆性理論」なるものは、新しい装いを持っているようで、その実は19世紀ロシアの知識人論の影響を濃厚に受けた古いものだったのだね。あと、桜井哲夫「社会主義の終焉」(講談社学術文庫)が「知識人」概念の変遷を追っている。内容は、ロシアの「インテリゲンツァ」からレーニンの革命家概念に至る系譜について。この本が批判のターゲットにしている「知識人」とは少し意味合いが違うが、参考にはなる。)
2017/02/22 サルトル/ボーヴォワール「知識人の擁護」(人文書院) 1966年

  


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