odd_hatchの読書ノート

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ロバート・ハインライン「時の門」(ハヤカワ文庫) タイム・パラドックスは「どこかにハインラインのロジックの誤魔化しがあるのに気がつく、にもかかわらずそれを指摘することができない」

 1959年に刊行された短編集。1940年代初期のものと1950年代の短編が交互に並んでいる。

大当りの年 1952.3 ・・・ 街で突然ストリーキング(死語)を始めた女を見たのが始まりだった。統計学者はそのような突発的な事象が増えているのを見つけてグラフ化していた。この年は大当たりの年! 株価の大暴落、洪水、地震、ハリケーン、スパイの暗躍、新型ウィルスの万延。学者はガールフレンドと山中に避難し、世界の崩壊を見ていく。そして…。ペシミスティックな終りはハインラインには珍しい。書かれた年に注目。統計学は第2次大戦で有効性が確認されビジネスでも使われるようになった新しい学問。星の一生のモデルはだいたいこのころにつくられた。ソ連が水爆実験に成功して、核戦争の恐怖をアメリカ市民は共有していた。そしてマッカーシズムが最高潮に達していた。あと相関関係と因果関係を混同するのはこの時代にもあったのだなあ、と嘆息する。陰謀論や宇宙的な決定論や超越者の意思を関連のない事象にみるようになるまであと一歩のところで、この小説は成り立っている。

時の門 1941.10 ・・・ 時間はおおざっぱには、1)ビッグバンから熱的死までの宇宙的なもの、2)時計で計測できる物理的な時間、3)生命が把握する生理的・主観的な時間。われわれは3の時間を経験しているが、互いに語れるのは2だけという不自由な状態に置かれている。で、若い文学博士ボブ・ウィルソンが「時間航法」の論文を書いていると、一人の男が侵入してきた。彼の横には「時の門」があり、それに入れという。そこに第三の男が来て入るなと命じ、第四の男から電話がかかってくる。そして、「時の門」の先にはディクトールという男がボブを待っていた。ディクトールはボブを介抱し、再び「時の門」を入り、帽子を回収しろと命じる。これらの男はボブに他ならない(それは3章くらいで明らかにされるので、サマリーに入れて構わない)。自分が自分に会い、複数の自分がそれを見ていることになる。このタイム・パラドックスは初出の解説で「これを読むとだれでも、どこかにハインラインのロジックの誤魔化しがあるのに気がつく、にもかかわらずそれを指摘することができない」とあったそうで、広瀬正が「『時の門』を開く@タイムマシンの作り方(集英社文庫)」というエッセイで解読を試みている。彼の解釈は複数の時の門があったとする考え方。まあ、自分だと、上記の時間区分でいうと、2の物理的な時間が「時の門」で時の流れを切断・跳躍することができるのに、3の生理的・主観的な時間が連続的であるとする前提がおかしな事態にする原因だと思う。2の物理的な時間は連続的だが3の生理的・主観的な時間が切断・跳躍するタイム・パラドックスものにシルヴァーバーグ「確率人間」ヴォネガットスローターハウス5」、ウィルソン「賢者の石」F・M・バズビイ「ここがウィネトカなら、きみはジュディ@「タイムトラベラー」新潮文庫)などがあって、こちらでは自分が自分に会うことはないが、自己意識・自己同一性が崩壊しそうになる。あと、「時の門」はウェルズ「タイム・マシーン」への挑戦状でもある。こちらでは三万年後の世界が描かれ、そのころ人類は退化している。でも、ハインラインはボブの介入で人類は再び進化の道を歩む。その楽観主義はハインラインらしい(まあ、自分を独裁者にする権威主義的世界にするのはちょっとひっかかるが)。似たような話にジョン・G・バラード「静かな暗殺者@時間都市」創元推理文庫)があるので、読み比べてみて。

コロンブスは馬鹿だ 1947.5 ・・・ 恒星プロクシマ・ケンタウリに向かう世代間宇宙船を建造している博士に建材業者とバーテンがなぜそんなことをするのか、と問う。なぜって、エヴェレスト(ママ)に登ったり、コロンブスが船を出すのと同じだよ、と答える。納得いかない二人はブランデーグラスを放り投げ、優雅に宙を舞うのを眺める。まあ、当時の読者から見ると博士と二人の差異はないよってことだ。さて、世代間宇宙船に乗り込む夫婦がまだ生まれない子供を後継者に選ぶというのは、子供の意思をないがしろにしているのだろうか、それとも伝統芸能みたいな家のことなので公共は介入できないプライベートなことなのだろうか。

地球の脅威 1957.8 ・・・ 宇宙船のデザイナーを目指しているハイティーンくらいの女の子。アルバイトで地球人のガイドをするのだが、いつか一緒に会社をつくろうと約束している男の子がきれいな地球の女性に惚れてしまって、二人は急速に気まずくなっていく。ああ、こういうティーンエイジャーの女の子の嫉妬の物語は、昔の少女漫画にたくさんあったなあ。年上の女性が恋愛指南をするというのも。ただ、月世界人が地球人を根拠なく敵視するというのは、なんとも後味が悪い。

血清空輸作戦 1942.3 ・・・ 冥王星で奇病が発生し、血清を至急送らなければならない。そこで、若い中尉二人がパイロットに選ばれ、3.5Gの環境で18日の旅にでることになった。まあ、有人ロケットに成功する15年以上前の話だ、3.5Gの加速がずっと続く飛行はちょっと考えにくいのだが。発表当時の空軍にはこういう向こう見ずな実験はたくさんあったのだろう。

金魚鉢 1942.3 ・・・ このところ異常なことが立て続けに起きている。火の玉が出て人間が消失し、海上に巨大な竜巻がいつまでも消えず巻き込まれた人間が消失している。そこで、軍艦マハン号(「坂の上の雲」で秋山真之が習ったアメリカ海軍の将官で戦術研究家の名をとったのだろう)で、潜水球を竜巻に投げ込むことになった。ああ、この時代から火の玉や人間消失などの超常現象が知られていたのだし、超越的な存在と人間の間の通約不可能性が問題になっていたのだね。戦後、宇宙人にさらわれたと称する「ノンフィクション」が次々でたが、この小説あたりが発祥かもしれない。それに「2001年宇宙の旅」の最終章のシーンとそっくりなシーンが書かれているのにも注目。

夢魔計画 1953.4-5 ・・・ ソ連が「人民共和国になれ、さもないと隠匿した原爆を遠隔で爆発させる」とアメリカに脅しをかけてきた(冷戦の真っただ中に書かれたのだ)。民間のエスパーを集めて、爆弾を透視して爆破させないように命じた。アメリカ中がパニックの中、作成は成功するか…。もう少し後には、「渚にて」「未確認原爆投下指令」「黙示録3174年」などの冷戦下核戦争SFがたくさん書かれるが、その嚆矢になるのかな。ほかのと違ってとてもマッチョな物語。


 作家になる前に海軍士官を務めていたせいか、軍隊を舞台にする小説が1940年代にたくさんある。そこではマチズモ、男の勇気とか身体的な力とか自己犠牲的な選択とか、を優先する思想があるようだ。それを逆転すると、男に強く主張するが彼らに尽くす女になるわけだろう(「地球の脅威」が典型)。
 さて、ハインラインの初期作品をまとめて読むと、こんなところが特長かな。1)思想的には個人主義。自己が自己であり、事態から行動を選択するのは社会や共同体ではなく、個人の意思であること。その主体性を他の人々は尊重しなければならない。そのような世界の典型は重力=権力の桎梏から解放された「月」だ。ただし軍隊を除く。2)政治的・経済的にはリバタリアニズム新古典主義的で、個人主義からの延長にあり、個人の活動を政府や共同体は制限してはならないし、経済活動に介入してはならない。それを国家レベルに拡大すると、軍事的な強国を目指すことになり、他国の介入・侵略は暴力的に排除されなければならない。3)文化的相対主義を持っているが、今日(21世紀)の目からすると、差別的であるかもしれない。男女の平等は強調され、当時のアメリカ国内に住んでいた黒人と白人の平等も実現される。とはいえ、アジア人は視野に入っていないし、権威主義国家に住む人々には敵視を隠さない(ファシズム共産主義国家には敵対。それを投影した異星人にはもちろん即座に攻撃する)。そのようなところを抑えておくと、彼の小説の立ちどころは見えてくる。ときに、作家の考えに反発することがあったのを書き留めておこう。
 その一方で、テーマと設定の多彩さには驚いたし、魅了された。SFのテーマは多岐にわたるが、これほどさまざまなテーマを縦横無尽に書くことのできた作家は少ないのではないかな。それこそハインラインの短編を並べると、1940-50年代のSFのテーマは網羅してしまうのではないかしら。ひとりでこれほどのテーマを取り上げ、優れたストーリーで楽しませることのできる人は思いつかないくらい。
 彼の作品には愛憎ともに感じて、反発しつつ魅了されるというアンビヴァレンツな感情と感想をもってしまう。


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