odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

サミュエル・R. ディレイニー「バベル17」(ハヤカワ文庫) 異星人との星間戦争に巻き込まれた科学者の冒険とオデュッセイアが渾然一体。主語を持たない言語は実在するか?

 異星人との星間戦争。インベーダーが同盟軍の破壊活動をするとき、発信源不明の謎の通信が傍受される。それに「バベル-17」と名づけ、解読しようとしたところ軍の研究所はことごとく失敗。そこで、絶世の美女の言語学者で詩人のリドラ・ウォンに調査が要請される。そのときすでにリドラは「バベル-17」が暗号ではなく、言語であることまでわかっていた。暗号は鍵が有ればとけるが、言語はその体系全体を観察しなければならない。というわけで、バベル-17を話す種族と接触するために、リドルは暗黒街で怪しげな連中を宇宙船のクルーに採用する(採用の場面は黒澤明七人の侍」の第一部のパスティーシュだね)。最新鋭宇宙船「ランボー」号に乗り込み、深宇宙に出発しようとすると、機械のエラーが起こり、宇宙船は漂流を開始。機智で乗り切ると、そのときにはリドルは「バベル-17」で思考するできるようになり、これがスパイの謀略活動の指示であることを知る。そこで次の攻撃目標とされる兵器工廠に向かい、事態を調査する。歓迎のパーティで、兵器工廠の支配人が殺され、混乱の最中逃げ出すとき、数名の宇宙人も救い出す。彼「ブッチャー」は記憶もないうえに、<わたし><あなた>を区別することができない。リドルはこの男に興味を持ち、彼の記憶と言語を調査する。そして、今度はリドルの乗る宇宙船が攻撃の目標になり、小型艇の空中船に、宇宙船同士の砲撃戦。被弾して爆破寸前に、リドルの意識はブッチャーの意識の中に避難・流入。二つの意識が渾然一体となったとき、「バベル-17」の全貌が判明する。

 とまあ、こんな具合にスペースオペラが展開される。薄い衣装をまとった絶世の美女、奇怪な風貌の荒くれ男たち、幽体やゾンビの乗組員、得体のしれない貴族やその妻などなど。これはまあ、1950年代のスペースアクション映画やモンスター映画のイメージだな。あるいはSFのパルプ雑誌か。この作者、この種のB級サブカルチャーに相当詳しいとみた。なので細部の描き方と、アクションが紋切り型というか定型を踏まえているというか、安心して手に汗握る(ん?)ことができる。
 むりやりこじつければ、リドル・ウォンのこの冒険はオデュッセイアなのだよね。地球=故郷の危機にあって、ヒロインが出発する。そこに集まる数々の異形の英雄たち。旅は苦難の連続で、簡単に目的地にはつかない。英雄たちを誘惑し、奈落の底に叩き落とすセイレーンの声は「バベル-17」になぞられる。旅の途中で遭難し、辺境の地にいる心優しい人に介抱される。ここではオデュッセイアナウシカアの性が逆転しているけどね(リドルは作者の妻をモデルにしたらしいし、作者は失読症だったというから、リドルとブッチャーは作者夫婦を暗示しているのかな)。そのあとに最終決戦があり、無事帰還する。こういう神話のパターンに忠実に則っているので、読者は安心してこの物語に浸り、カタルシスを得られるのだ。
(ついでにwikiをみたら、オデュッセイア時代の古代人の意識が二分心であるという仮説をみつけた。古代人の心は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心とに分かれていたという議論。これはブッチャーの意識やバベル-17に共通すると思うから、「バベル-17」=オデュッセイアというのもあながち的外れではないといえる)
二分心 - Wikipedia
 主題は「バベル-17」という言語と意識についてか。それはブッチャーという記憶喪失者に象徴されていて、彼は<わたし><あなた>の区別を持たない。彼の言語には主語がなく、それに対応するかのように主体が存在しない。どうように過去の記憶を持たない(短期の行動の記憶はもっているけど、系統的な「歴史」にはならない)。通常、そこはたとえば大脳の傷や障害などで説明するところを、ここでは理由を彼の使用する言語に求めるわけだ。なるほど読者や自分が幼児であった体験や幼児を観察したときの記憶から見ても、<わたし>が成立するのは言語を習得したあとのほうだものな。3-4歳児が<わたし>をつかえず「〇〇(自分の名前)ちゃん」を主語にするというのはよく見かけること。言語の習得は共同体に参加することであり、かつ「主体」の構築であるということになるのかな。
 同じように主語を持たないのが「バベル-17」。面白いのは、この言語を使うと、情報処理と思考スピードがあがり、情報伝達が発声では追いつかない。なので精神感応とか直接ケーブルで脳幹を結ぶような仕方で情報交換するし、その際に元データを全部送信すると、人格とか意識の移植も可能になってくる。それに主語を持たないから、バベル-17は命令か情報処理の判断くらいの内容になっている。これは、読者の知っている言語にあるよね。すなわちコンピューターのプログラム言語。作中にもオンオフやフォートランなどの懐かしい言語が出てくる。
 自分が1980年代に初読した時には「なんやらわけわからん、けどすごい」だった。でも、2013年になると「攻殻機動隊」「マトリックス」などを経由することで、ここに書かれていることはすんなり受け入れられる。前出のアニメや映画と同じシーンが出てくるのだし。そこで初出の年が1966年であることを発見し、なるほどサイバーパンクの元祖(のひとつ)はこの小説なのだなあと、驚愕した。