もともとのタイトルはイエーツの詩からとった「摩訶不思議な混沌とした闇黒」らしい。なるほど、このタイトルはこの小説のある面を示しているが、そのままでは理解されがたいし、なにしろ出版したのはペーパーバックの老舗のエースブックスだ(PKDの初期長編の出版社)。タイトルはセンセーショナルでなにかのイメージを持たないといけない。そこで、編集者が小説で言及されるアインシュタインをとってこの名前にしたらしい。同じくゲーデルの不完全性定理も出てきて、それらから想像すると、この小説が複数の神話(未来・現在・過去)を折りたたんで圧縮し、そのどの時制がもっとも強固であるのか判断できないという事態を示している、と漠然と思う。
とりあえずぼくらの読むのは遠未来の地球で、人類は消滅したかどこかに飛び去ったかして既に存在しない。人類が獲得していたニッチを別の生物が埋めたのだが、それは動植物の進化したものなのか、人類が残した人造生物であるのかははっきりしない。ともあれ、読者の現実世界にいる動物や幻想世界の動物を彷彿とさせる動物が独自のコミュニティを作り、人類の作ったものに似た言語を話しているらしい。そして科学技術はとうに滅び、原始共産制か狩猟採集の社会になっている。どうやら人工の放射性物質が放置されたようで、奇形や不妊の個体が頻繁に生まれるらしい。それらには、命名の差別があり、ときに「終容所(ママ)」に収容される。
そのような社会に、知能の少し遅れたと自覚するロービーが放り込まれる。彼は、笛でもある刀で音楽を奏でるのに秀でている。そして、キッド・デスによって恋人フライザを殺されてしまっている。そこで、ロービーは成り行きでフライザを取り戻す旅に出る。その間に、さまざまな奇妙な人物に会い、奇妙なできごとに巻き込まれる。さて、キッド・デスに出会い、フライザを生き返らすことができるか・・・
このような未来の物語ではあるが、その下敷きになっているのはオルフェウス神話だ。仲睦まじい恋人であったが、嫉妬にあい若い女性が殺され、冥界に送られる。ヒーローが冥界にいき取り戻そうとするが、彼の心の弱さが最悪の結果を招いてしまう。ぼくらはモンテヴェルディのオペラでこの神話をよく知っている(あとグルックだし、コクトーの映画「オルフェ」に、マルセル・カミュ監督の「黒いオルフェ」だし)。もちろんオルフェウス神話だけがここにあるのではなく、牛の魔物が地下の迷宮にいて、ロービーは迷宮をさまようという小事件があるが、それはミノタウロス神話であるし、ロービーがドラゴンに襲われそうになるのはジークフリート神話であるかもしれないし、叡智の言葉が語られる中眠りこけてしまうのは最後の晩餐のあとのイエスの祈りであるかもしれないし。そういう西洋のさまざまな神話がたぶんそこかしこに埋め込まれている。
そのうえに、今度は現代(当時)の神話が細部にあって、ジーン・ハーロウ、ビリー・ザ・キッド、ラディゲというような早逝のしかも悲劇的な死を迎えたものたちがそこかしこにいる。この小説を書いているとき、作者は21歳から22歳にかけて。早逝の天才イメージの自覚がここに反映しているかな。で、作家はのちにゲイであることを公言しているのであって、たぶんその種のメタファーもあるはず。笛に山刀に鞭など。この社会では生殖能力に応じて「ラ」「ロ」などの名称がつけられるのだが、ロービーはそれをもっていない。にもかかわらず、彼は世界の混乱を収める旅にでる英雄的な役割を与えられる。となると、書かれた1967年ころから現れたゲイの公民権運動を見てもよいのかな。
加えて、1950-60年代のロックにジャズ、コダーイの「無伴奏チェロ・ソナタ」(!)がそこかしこで響き、ロージー自らが奏でるという次第。となると、これらの音楽にまつわる神話もそこかしこにあるのだろう。
ともあれもどかしいのは、作者の知的関心がどのあたりにあるのか見当がつかず(相当に広範な知識の持ち主)、彼と彼の読者がもっていると想定するトリビアや社会的事件などを知らず(1950-60年代アメリカのテレビ番組のパロディもあるはず)、複数のことばをひとつに圧縮したカバン語(@不思議の国のアリス)の多義性が翻訳によって損なわれていて(訳者の力量不足ではない)、筒井康隆や井上ひさしをこの国で読むときのような連想飛躍やネタ元探しができない。アニメオタクみたいに細部の読み取りにこだわれば、これはけっこう手応えのあるものではないかな。