odd_hatchの読書ノート

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トーマス・M・ディッシュ「キャンプ・コンセントレーション」(サンリオSF文庫)

 まずタイトルから。通常は「コンセントレーション・キャンプ」で使われて「収容所」の意味を持つ。ここでは意地悪く、「キャンプ」に低俗なもの・悪趣味なものを楽しむ趣味倒錯の意味をもたせ、「コンセントレーション」に神経衰弱の意味も含ませる。そのうえで、通常の語順を逆転させているのだから、いったいいくつの意味を持つことになるのか。詩も書く作家の造語能力にまず惑わされる。

 とりあえず状況は、戦争捕虜となったルイス・サケッティが「キャンプ・コンセントレーション」に送られ、戦争捕虜を対象にした実験を強制されている。スピロヘータ・パリダの突然変異したものを寄生させられ、知能を最大させるという人体実験だ。なにしろ、ドニゼッティゴーギャンニーチェという幾多の天才を生んだ病気に罹患させるのだから。被験者となったサケッティらはコミュニケーション不全という問題を抱えるものらであり、実験によって言語や認識の拡大が起こる。彼らは日記を書くことが強制され、看守や科学者はそれを読んで、実験の成り行きを監視する。次第に精神は崩壊するかと思いきや(それを実験者はもくろんでいたのだが)、被験者は新言語をつくり、それによって人格転移の方法を発明する。一方、彼らに通じた科学者はひそかに収容キャンプを脱出し、精製した薬品を蔓延させて人類に同じ至高体験をもたらすようにする。そして人類が新たな階梯に上ることを暗示させる。
 というような話があるように思えるが正しいかどうかはわからない。読者の読んでいるのは、サケッティの手記・日記だけで、どこまで正確なのか虚言を紛れ込ませていないのか判断しようがないからだ。
 読者にわかるのは、冒頭で「われ人生の半ばにして」というダンテ「神曲」の冒頭が引用されていること、被験者のおよそ常人とは思えない奇矯な人々の奇怪な議論を聞かされること、収容所の中で外出を禁じられた被験者たちがなにかのゲームをしていること、あたりだ。そこからなるほどこれは現代の「地獄」を描いているのだと知れる。地上の出来事に対する劫罰を受けるという意味ではなく、地上の悪や罪のさまざまな諸相が現前としていて、そこから逃れることができず、また自分がそれに染まらないでいられるわけではなくモラルを喪失して悪業を重ねざるを得ないという点に置けるという意味の「地獄」。なるほどサケッティは地獄めぐりをするダンテその人であり、彼に最も近しいモルカデイは地獄の案内人のヴェルギリウスといえるだろう(実際そのような役を演じたのだ)。そのうえ、無理やり収容所に収監されることになり疾病にかかるというのはトーマス・マン魔の山」のハンス・カストルプ少年でもあり(「ファウスト博士」の登場人物エイドリアン・レーヴェルキューンに名を借りた作曲家が登場)、アイデンティティを探し言葉遊びにふけるというのはジェームズ・ジョイスユリシーズ」のスティーヴン・ディーダラスであり、収容所のさまざまな人物を延々とかくというのはドストエフスキーの「死の家の記録」であり……という具合に先行するさまざまな「地獄」を描いた作品を想起させる。実際、以上の作家ないし作品名は本書に登場するものだ。
 そのうえ、ここには、さまざまな言葉や引用がたくさん散りばめられていて、その言葉に連なる知識が小説のイメージをふくらます。小説に限るだけでなく、時事問題や西洋文化の教養やサブカルなど膨大な知識を要求するのだ。いくつかあげると、マクナマラ、サイコ、サイラス・マイナー、老水夫行、フルブライト、地底のペルシダー、バイロン卿への手紙、R&D、メフィストフェレス(モーロウ版)、のみの歌、エントロピー、トマス・アクイナス、スピロヘータダッハウ裸のランチ、日本版「フランケンシュタイン」映画(「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」1965年なのか「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」1966年なのかどちらだろう?)、ヘルメス学、ケストラー(アーサーかエーリッヒか)、アイヒマン、オルゴンボックス、メシアン、ヴィッカーズの歌う「影なき女」、ミューザック……。さて一体いくつ注釈抜きでわかるかな。
 筋らしい筋(ストーリー)はなく、分節されたキャラクターはいないし、このような言葉遊びと衒学をひけらかしたテキスト。こういう仕掛けはディレーニもしていたけれど、こちらのほうがもっと徹底している。困惑が残るわけで、すげえものを書いたなあと口をあんぐりすることになる。ただ、これは読む人をすごく限定しそうだし、小説の方法としても一発芸みたいな感じ。むりくりいえば、ヘンリー・ミラー「南回帰線」、ダレル「黒い本」などの系譜に入る一冊。

キャンプ・コンセントレーション (サンリオSF文庫)

キャンプ・コンセントレーション (サンリオSF文庫)

 1968年に書かれた。サンリオSF文庫1986年は入手困難になっているが、「NW−SF」版1980年がフリーテキストとして読むことができる。ただし、文庫についていた90ページにおよぶ訳注はついていない。
フリーテキスト版のリンク先 → http://cruel.org/books/campconcentration/campconcent.pdf