小林秀雄「モオツァルト」1946.12から40年弱たつと、モーツァルトを語る方法もずいぶんかわるものだ。もはや敗戦直後のような演奏会やレコード、資料の不足などをいいわけに、足りないところを自分の思想で補う仕方では書くことができない。そのうえ、音楽学と演奏方法は劇的に変化して、それも無視するわけにはいかない。振り返ると1983年はまだそのきざし、暁であるのだが。言及されるピリオド演奏家はホグウッドとアルノンクール、インマゼールくらい。これが1993年に書かれていれば、ガーディナー、ブリュッヘン、コープマン、ノリントンと、指揮者に限ってもこれだけの名前が出るだろう。そうそう、シェーファーの「アマデウス」は舞台劇として言及されているが、ミロシュ・フォアマン監督の映画「アマデウス」1983は書けなかった。他のモーツァルト映画(しかしヒットしていないマイナー映画)には言及があるのに。あと山口昌男「モーツァルト好きを怒らせよう」も反映しているのではないかな。「俺のケツをなめろ」の歌詞がほぼ全部引用されているくらい。ほんのちょっとタイミングがずれたら、もっと多彩な話題をとりあえげられたかもしれない。
小林秀雄「モオツァルト」だと言及された作品は10個もなかったのではないかな。ここでは、逆に有名作品の言及はすくない。そのころはあまり知られていない作品(それも若いころの)を取り上げて、モーツァルトの仕事を8つの分野にわけている。リストアップすると
教会作品 ・・・ ドミーニクス・ミサ、フリーメーソンのための葬送音楽
歌曲とカノン ・・・ すみれ、俺の尻をなめろ
オペラ ・・・ 後宮からの誘拐、ドン・ジョバンニ
ピアノ曲 ・・・ ザルツブルグ・ソナタ
室内楽曲 ・・・ 弦楽四重奏ト長調K156、ハイドン四重奏
協奏曲 ・・・ ピアノ協奏曲
セレナード ・・・ 13管楽器のためのディヴェルティメント、
交響曲 ・・・ ハフナー交響曲
どうしても新書という形式(300枚くらいの短いもので、高校卒業くらいの知識をもっているが、モーツァルトの名前を知っていても熱心に曲を聴くわけではない人を対象にする)のために、記述を深くすることはできない。マニアックな話題を出すのははばかられるし(その割に最新研究は紹介)、作品紹介にターゲットをしぼったので作曲者の生涯は詳しくないし、作品を聴いていくガイドにするには情報が少ないし。初読の時には興味深かったけど、二回目にはざっと読んですましてしまった。それでかまわないくらい。まあ、21世紀だと廉価CDでモーツァルトのほぼ全作品を数万円の出費できくことができるようになったからね。もちろん、この種の本を読むより、モーツァルトの音楽を聴く方がずっと楽しい。おもしろい。
この本のもう一つの不満は、啓蒙に力を入れすぎた結果なのか、読者の説得を図らなければならない研究者のさがなのか、書き手のモチベーションが文章に現れてこないことだな。小林秀雄ほどではなくても、吉田秀和や柴田南雄の文章がおもしろいのは、そこに書き手の個性や主張がおのずと現れること。共感や敬意、あるいは反発が生じるとしても、書き手との強い関係が生まれるのだが、この先生の仕事がえらいもので業界をリードするものだというのはわかっても(大学の学長としての組織者の能力があることをしっていても)、この書き手へとの関係を深めるまでにはいかなかったなあ。そのせいか、ここに書かれたモーツァルトも他の本ほどの生彩が感じられなかった。
1983年初出。このころ岩波書店新書編集部にはクラシック音楽好きの編集者がいて、この本や柴田南雄「グスタフ・マーラー」、脇圭平/芦津丈夫「フルトヴェングラー」他を出した。ずいぶん重宝した。