odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ロビンズ・ランドン「モーツァルト」(中公新書) 1991年没後200年記念CDセットの解説集。モーツァルトの見方が変わった時期の啓蒙史料。

 1991年はモーツァルト没後200周年。さまざまな追悼・記念企画があった。この国で大規模だったのは、トン・コープマンアムステルダムバロック・オーケストラによる交響曲全曲演奏会。都合3回来日したのかな。12月5日の命日には全曲がラジオ放送され、40番とレクイエムの演奏会が生中継された。CDでは小学館とフィリップスが全作品を網羅したCDセットを販売した。新聞に大きな販促広告が載って、購入するには30万円くらいかかったと思う。

 さて、イギリスのCDレーベルDeccaでもモーツァルト記念企画があり、代表曲を集めた20枚のCDが出た(この国では販売されなかったのではないかな)。その解説を書いたのが、碩学ロビンズ・ランドンで、全部を集めたのがこの新書。
 この種の啓蒙書を書くとすると、全20章をモーツァルトの生涯に割り当て、その時代ごとの代表曲を説明する、というのを思いつく。自分でさえそういう書き方をすると思う。どこにもあるような書き方で、ちっとも面白くないだろう。それならモーツァルトの手紙を読んだほうがよい(岩波文庫で2巻本になっている。講談社学術文庫にもある)。
ヴォルフガング・モーツァルト「モーツァルトの手紙 上」(岩波文庫)
ヴォルフガング・モーツァルト「モーツァルトの手紙 下」(岩波文庫)

 でも、著者は生涯を序章と最初の章だけにまとめてしまう。そのあとは、彼の編集の妙を味わえる。いくつかの関心領域をつくって、そこの焦点を当てて、曲を紹介する。たとえば、旅をするモーツァルトからパリ、ウィーン、イタリア、ザルツブルグを示す。すると土地ごとの政治状況、音楽趣味、音楽関係者を紹介することになり、彼の生きた時代が浮かび上がってくる。映画「アマデウス」では凡庸な王様だったヨーゼフ2世も、モーツァルトと著者ととおしてみると、オーストリア帝国の斬新な改革者であり、モーツァルトの庇護者であった。あるいは1787年まで人気のあったモーツァルトが突然生活に窮したのは、「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」というダ・ポンテ三部作を発表したことにあり、そのスキャンダラスで不道徳な内容にウィーンの貴族やブルジョアたちが背を向けたということで説明できる。そしてオペラの改革者はグルックではなく、モーツァルト自身に他ならないという著者の高らかな宣言が謳われる。
 あるいは、彼の創作を種別ごとにみたり、楽器の偏愛でみたりする。すると、従来はオペラと協奏曲と即興演奏の大家であるとされていたのが、教会音楽とディヴェルティメントなど機会音楽を注文にぴったりあうように書くことのできるプロフェッショナルなところが重視される。ピアノ、クラリネットなど偏愛する楽器でも、当時の楽器の性能を超えるような要求をすることもある改革者であったとされる。それまでだらしがなく浪費家とみなされていたコンスタンツェも、死後はモーツァルトの遺産を活用して、巧みに生き抜けたしたたかな生活者であることも強調される。モーツァルトの葬式のさびしさも、当時の習慣では埋葬までは立ち会わないなどの新資料が提示される。
 このように、CDの日本語解説や評論にはなかった情報や音楽の見方が提示される。これを読んで情報をアップデートして、モーツァルトの音楽に対峙するようにするのがよい。昭和20-30年代のこの国の評論を読んでもいいけど、あれらは情報が古すぎ、それを20世紀初頭のモーツァルト研究で埋めているからね。
 CDの解説で限られたスペースに大量の情報を積み込んだものだから、時に味気ない描写にもなるが、仕方がない。それに四半世紀前の本で、いろいろ研究が進んでいると思うので、これでももう古くなったところもあるだろう。それに代わる最新モーツァルト啓蒙書は知らないので紹介できない。

 今では170枚のCDでほぼすべての作品を耳で聞けて、33枚のDVDでほぼすべてのオペラの映像を見ることができる。両方揃えても10万円もかからない。何とも贅沢な時代になった。
モーツァルト:作品大全集(170枚組

モーツァルト:オペラ全集
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オペラ全集 アーノンクール、ハーディング、ノリントン、他(33DVD) : モーツァルト(1756-1791) | HMV&BOOKS online - B001470109