odd_hatchの読書ノート

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アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-1

 このエントリーを読む前に、オーウェル1984年」を読むことをお勧めします。このエントリーは、「1984年」の感想とつながっていますので、先に以下のエントリーを読むことを希望します。
2015/12/01 ジョージ・オーウェル「1984年」(ハヤカワ文庫)-1
2015/12/02 ジョージ・オーウェル「1984年」(ハヤカワ文庫)-2
2015/12/03 ジョージ・オーウェル「1984年」(ハヤカワ文庫)-3
2015/12/04 ジョージ・オーウェル「1984年」(ハヤカワ文庫)-4



 この奇妙なタイトルは、オーウェルの「1984年」に続くディストピアを構想したことに由来する。

 バージェスは1917年に生まれたイギリスのアッパークラスの作家。優秀な成績の華麗なキャリアののちに作家になる。過去と伝統を重視する保守主義者を自認している。そのような経歴からすると、同じクラスの出身ではあるが社会主義に傾倒したオーウェルの見方は批判されるものであるとされる。オーウェルはスペイン市民戦争に従軍したり、イギリスの貧民街のルポをするなどして社会的な不正を改善し、社会の構造が社会主義になることを夢見た。でも、オーウェルは労働者になろうとしてなれず、労働者からは嫌われた。ここはイギリスの階級社会があることを知らないとわからないことだそうだが、そうなのだろう。オーウェルのアッパークラスの言葉使いあたりにその原因があるのかもしれない。ともあれ、バージェスによると、第2次大戦後、労働者になじめず労働者に嫌われたオーウェルは復讐の意で「1984年」を書いた。それは予言であるより絶望の書であるという。
 復讐と絶望。「1984年」にはその感情が常に流れていて、その矛先は全体主義の国家と党に向けられているようであるが、さらにはプロールと呼ばれるワーキングクラスにも向いている。プロールは社会の改革にはまったく関係しない堕落した階級であると、党(オブライエン)も特権階級のスミスもそう思っているからだ。スミスは党からも排除されるのであるが、なるほどバージェスの読み方に倣うと、国家や党から、そして労働者から排除されるスミスはオーウェルの姿に重なるのであろう。
 そのうえ、「1984年」の世界は執筆時の1947年を描いたものであるとされる。スミスの通う「栗の木」というパブは当時実在していたと証言があるし、1930年代にはイギリスでテレビ放送があったのでテレスクリーンが一日中ガナルというのもあったことだし。物がない(剃刀の刃が入手できない、安くてまずいジンしか飲めない)という小説の状態も当時のイギリスの状況そのもの。そして耐乏生活・戦時生活では官僚主義が蔓延するが、これも当時のイギリスの体制。
 バージェスの指摘でなにより驚いたのは、小説ではオセアニアはユーラシアとイースタニアと交互に戦争をしていたのであるが、1937年から47年までにイギリスとソ連の関係はこれにそっくりであったということ。ナチとの不可侵条約でそれは敵となるが、ポーランド侵攻後は味方になり、鉄のカーテン演説はこの後だとしても関係が冷え切っていた。1947年の世界では政府や国家の意向で「敵」は自在に入れ替わる。そのうえナチス共産党の暴力、残虐事件の報道はそのまま「二分間憎悪」になるのであろう。違いはオセアニア全体主義国家と一枚岩の党であることだが、ナチスソ連の二つの全体主義国家が先行して存在し、それに忠実であろうとする「党」が当時のイギリス国内にあるとすると、それほど遠いものではない。
 もう一つの指摘で興味深いのは、「1984年」のディストピア・イメージがオーウェルのオリジナルではなく、先行する諸作品のパッチワークとも思えること。ザチャーミン「われら」、ハクスリー「すばらしい新世界」がそれにあたる。これらの小説でも「党」やビッグブラザーに当たる存在があって、階級の固定や貧困な教育、自由や権利の剥奪、性の国家管理などがある。オーウェルはそこに永久戦争を加えることによって、党の権力の増大に合理的な説明をすることができた。
 もうひとつ共通するモチーフがあって、それは支配される側の心理にある。彼らは無知や貧困で自分の価値を自ら見出すことができない。そこで、彼らは「わたしがわたしであるより、われらでありたい」という欲望を持つ。「わたしがわたしである」には、現在に語りかける過去が必要であり、そのために教育と伝統がある。それが剥奪されて、過去と自分を結び付けられないと、自分の空虚をうめるのは「われら」しかない、というわけだ。「われら」にはなんでもはいることができて、国家であるとか党であるとか。自己を集団自己(笠井潔「テロルの現象学」だと「党派観念」)に置き換える。まあ、集団的唯我論(それ自体がダブルシンクなのであるが)を実現したのが「党」であるということだ。
 バージェスの考えはざっくりこのとおり。なるほどイギリスの国内の人でないとわからない知見だと思う。「1984年」の読解の参考になります。
 この奇妙な本はエッセイ=ノベルと名付けられ、半分が小説、残りが全体主義に関するエッセイからできている。翻訳では最初に小説、続いてエッセイの並びになっているが、「1984年」の読後だったので、エッセイを先に、続いて小説を読むことにした。

2015/12/08 アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-2
2015/12/09 アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-3